[CML 038109] <テント日誌6月23日(火) 経産省前テントひろば1379日目、商業用原発停止645日目>

Kimura-m kimura-m at ba2.so-net.ne.jp
2015年 6月 24日 (水) 23:10:07 JST


(転送します)

テント日誌6月23日(火)
経産省前テントひろば1379日商業用原発停止645日

経産省との院内交渉の報告など
23日の経産省との交渉での解答によれば、 核のごみの最終処分場の選定には、現地調査に入ってからでも20年以上かかるが、いつ入れるか、の見通しも全く立っていない、という事でした。
以下は録画です。
http://twitcasting.tv/showering00/movie/178582291
http://twitcasting.tv/showering00/movie/178589407
http://twitcasting.tv/showering00/movie/178593725
http://twitcasting.tv/showering00/movie/178598534
薩摩川内市長の記者会見
 <薩摩川内市長、核のごみ「施設内貯蔵は10年間だ」> 西日本新聞 http://qbiz.jp/article/65122/1/?utm_campaign=nnp_article&utm_souce=nnp&utm_medium=nnp_web
 再稼働が近づく川内原発が立地する鹿児島県薩摩川内市の岩切秀雄市長は23日の市議会で、川内原発1、2号機の使用済み核燃料の処分をめぐり、「施設内に貯蔵できるのは再稼働後10年間だ。(国内にまだゼロの)最終処分場を国は10年の間に建設すべきだ」と早期建設を促した。市内に最終処分場を受け入れることについては「その考えはない」と明確に否定した。

原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場について、政府は5月、従来の公募方式から国主導で「科学的有望地」を示すように方針を転換した。川内原発の使用済み核燃料の貯蔵率は現在60・4%。岩切市長は処分場の建設は「国が前面に立って取り組むべき国策だ」と強調し、中間貯蔵施設の建設も促す考えを示した。

鹿児島県の伊藤祐一郎知事も11日の県議会で「県内に(最終処分場を)立地する意思はない」との考えを示している。

大賀英二さんの報告 裁判関連としては大事なものです
昨日(23日)はテント運営委員会を休んで、たんぽぽ舎主催の「内藤光博教授の学習会」に参加しました。参加者は10数名、午後7時からの2時間という、小規模の会でしたが、1時間強の内藤先生のお話、その後の参加者との討論は示唆に富んだものでした。議論の冒頭に発言された倉田さんは、福島在住者でない正清、淵上に「当事者能力」はないのでは、とのご指摘。また、次に発言された岩田昌征(千葉大名誉教授)先生は、エンキャンプメントについて長期的と一時的とは矛盾するのでは、また、ひろばの公開性と「土地の占有」の権利性との関係を指摘された。その後も、皆さんの意見が続きました。なお、「ちきゅう座」のサイトに岩田先生は、下記の意見を投稿されています。ご参考まで。

<岩田昌征:千葉大学名誉教授>
「ちきゅう座」で、内藤光博教授(専修大学法学部)による「いわゆる『経産省前テントひろば』に関する憲法学的意見書――表現の自由と『エンキャンプメントの自由』――」を一読した。

それによると、日本国民は、「公開空地」や「公開の空間」を活用して、アメリカでいわゆる「パブリック・フォーラム(公共の言論広場)」を設定する事が「集会の自由」として憲法的に保障されており、「集会の自由」の実践行為として「公開空地」に「テント設営および居住」する事が許されている。経産省前の「テントひろば」は、経産省管理の国有地であるが、経産省敷地本体の柵外にあり、あきらかに「公共空地」である。

私のような市民法学に不案内な者は、2013年5月11日に「ちきゅう座」で「テント出現の意味」を論じて、以下のような趣旨を書いた。すなわち、どんなに民主的法であっても、日本史上初の重大社会問題が発生して、民衆がそれに関する自分達の正直な判断を実践的に表現しようとすると、既存の法に触れる所、すなわち、違法性、不法性が出て来る。経産省の土地に他人が反原発のテントを建てると言う行為は、社会的正義に適っていても、実定法的に完全に合法的とは言えまい。
その意味で正清、淵上の両人は違法者であるかも知れない。しかし、だからと言って、正清と淵上だけに社会的責任を負わせてしまうのは、日本常民社会の仁義にもとる。気が付いてみれば、私も女性テントで開かれた研究会に3回ほど出席していた。経産省の許可なく、経産省の土地を利用していたわけだ。その意味で両人ほどに正々堂々の「違法者」・「不法者」ではないとは言え、私にも一種の「共犯性」があるだろう。2年前の私の実感であった。

内藤意見書を読んで、「違法」や「不法」や「共犯」のイメージから解放され、なるほど、このように「テントひろば」の正当性を理論付け出来るのかと、感じ入った。同時に、一つの難問が出て来ると思った。経産省前の「公開空地」は、意見書によれば、狭く89.63平方メートルである。反原発の三テントで満杯である。

ところで、ここにもう一つの社会運動があり、経産省と東京電力に対して「人間に値する生存」を維持しようと抗議しているとしよう。「化石燃料使用の全発電所の即時廃止。自然エネルギーと原子力発電のみ許容。」要するに、放射能の危険性よりも炭酸ガスによる地球温暖化の脅威を重視する市民運動である。全原発の再開、そして石炭発電、石油発電、天然ガス発電の即時廃止の要求である。当然「反原発テントひろば」と正反対の社会的主張である。しかし経産省も東電も反原発以上に拒絶するであろう。そこでこの市民運動も亦、経産省前に自分達の「テントひろば」を設けたい。しかしながら、かの「公開空地」は満杯。内藤意見書によって「公開空地」の市民運動による使用は、憲法的に正当化できても、長期独占的使用までは正当化できない、と思われるが…

ここで内藤意見書を再読すると、「エンキャンプメント(テント設営および居住)の自由」は、「緊急かつ一時的に居住する権利」とあり、同時に「その具体的行使にあたっては、…拘・短期を問わずに持続的に…」とある。「一時的」と「持続的」は矛盾するようである。 平成27年3月6日




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