原発は差別の上に成り立っているRe: [CML 037992] アメリカ人記者(作家)が書いた「福島で本当は一体何が起きているのか?」(マスコミに載らない海外記事 2015年6月18日)という記事に対する私の違和感と批判

檜原転石 hinokihara at mis.janis.or.jp
2015年 6月 20日 (土) 16:03:33 JST


檜原転石です。


東本さん、こんちは。



まあ原発の話題の前に以下でも読んでください。
日本では解剖はほとんどされないので、本当の死因は分からないという話です。

で、これから心血管疾患で誰かが死んだとして、細胞検査で放射性物質の有無を
調べないとどうなりますか?



▼「死因のウソ」はなぜ起こる
日本の死因究明制度の課題

 『死体は今日も泣いている』 岩瀬博太郎氏インタビュー

2015年03月20日(Fri)  本多カツヒロ (ライター)

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4813?page=1

▼2013年2月10日日曜日

放射性セシウムと心臓  第4章 放射性セシウムの心臓への影響の病理生理学
的特徴
ユーリー・バンダジェフスキー著
平沼百合 和訳
http://fukushimavoice.blogspot.de/2013/02/test.html?spref=tw

・・・

結論

 この本を書きながら、私は文明人全てに体内に取り込まれた放射性物質の危険
性を知らせる必要性を考え続けた。残念ながら、この問題に関しての現代社会の
姿勢は、いくら良く見ても、無関心である。私達は、このために、人命という形
の非常に高い代償を払うのである。知的な無知というのは、悲劇に繋がる。大部
分の責任は医学科学者にある。既に入手していたデータを使って人々に情報を与
えようとしなかったばかりではなく、放射性核種の取り込みによる体内での有害
な変化を研究もしなかった。
 私は、この小さな本が既存の問題についての情報不足を埋め合わせる事ができ
ないのを認識している。しかしながら、いくらかの関心を高め、問題の議論に繋
がる事を望む。これは間違いなく有益であろう。



******



今度は「放射能おばけ」ですか・・・

▼原発マフィアの側が使った言葉――「放射線恐怖症」
http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/38588579.html

▼おかあつ
https://twitter.com/ats4u

おかあつ ‏@ats4u 41分 放射能汚染が酷いベラルーシでも「放射脳」に相当する
表現があり放射能を恐れる人を揶揄していたらしい。だが6年程度経ったくらい
からパッタリとそういう批判がなくなったとか。何故ならその頃から誰が見ても
はっきりわかる甚大な被害が始まったからという



放射性物質は人をゆっくり殺すので、貴方が「放射性物質を怖がり過ぎるな!」
と戯言を言っても今のところは大丈夫だということ。おまけにたとえ放射性物質
原因の心臓病で死んでも、ほとんど誰もそれが放射性物質が悪いとも思わない。
よって、もうちょっと時が過ぎても、貴方の戯言がまだ成り立つかもしれない。

こういう状況を誰が喜ぶかというと、言うまでもなく核・原発マフィアの連中で
ある。

放射性物質は人をゆっくり殺し、よってすぐには核産業の悪事はばれないが
(注:今でも十分巨悪だが、あいにく東電関係者は誰も逮捕されちない)、それ
でも原発が大都市・東京に作られないのは、核・原発マフィアも本音では多少放
射性物質を怖がっているわけですね。

科学者の小出裕章は、「原発は差別の上に成り立っている」と喝破している。


▼私が原発を絶対に認めない理由_小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)インタ
ビュー[第2回]
http://yenspa.jp/18947.html

原発は差別の上に成り立っている



──もともと原子力の世界に夢を持って入ったそうですが、反原発に転じたきっか
けは何ですか?

【小出】 私は『原発のウソ』の中で「原子力のコストは安くない」と主張して
います。しかし、仮に原発のコストが安かったとしても、認められません。高か
ろうが安かろうが、代替エネルギーがあろうがなかろうが、即刻止めるべきだと
思います。それは、「原発は差別の上に成り立っている」ということに気付いた
からなんです。

──それはいつのことですか?

【小出】 ’70年10 月23日のことでした。

 当時、私は東北大学原子核工学科で学んでいたのですが、女川に原発を作ると
いう話が出てきました。電力の大消費地である仙台の近くに造れば効率のよい原
発を、なぜ人口の少ない女川にわざわざ造るかといったら、都会では引き受けら
れないんだ……と気づいたのです。そこで、現地で反対集会があるというので行っ
てみたんです。

 電気がほしいから、危険も含めて都会で引き受けるというなら、まだ認める余
地はあります。でも、電気はほしいけど危険だから田舎に押しつけようという考
え方がどうしても認められないんです。その日以来、私の原発に対する態度は
180度変わりました。

「立場の弱い者が、より多くの負担をしなければならない」ということに気がつ
いたのです。

 例えば、現場で大量に被曝する仕事のほとんどは孫請け、ひ孫請けといった会
社に雇われた人々が担っています。一方で、多くの電力会社本体の社員や役人
は、比較的安全な場所で仕事をしています。

 発電所の現場だけではありません。私はインドのウラン鉱山汚染も調べに行き
ましたが、採掘現場でも、貧しい労働者ほど被曝させられている状況を目の当た
りにしました。

*****

ユーリー・バンダジェフスキー曰く「大部分の責任は医学科学者にある。既に入
手していたデータを使って人々に情報を与えようとしなかったばかりではなく、
放射性核種の取り込みによる体内での有害な変化を研究もしなかった。」

で、バンダジェフスキーと多分正反対である医学科学者である小野昌弘とかいう
人物の記事を読んでも、彼が何が言いたいのか分からない(笑)。「放射能おば
け」とかいう言葉使いを見れば、「放射脳」とかいうトンデモ語を使う原発マ
フィア擁護者と目くそ鼻くそかもしれない。

簡単な理屈を貴方へ捧げる。みんなが放射性物質を過度に怖がれば、そういう社
会では多分原発も核兵器もないという事実だ。そういう社会ではヒバクシャを使
い捨てることを前提とした核産業は存在できない。人間社会の差別構造を前提と
した労働問題がこの分野だけでも消え去る。貴方はこのことに何か不満でもある
わけ?

※注:私は小野昌弘の記事を流し読みで真剣に読んでいない。「放射能恐怖とい
う民主主義の毒」「放射能おばけ」という言葉使いだけで愚者とすぐ分かるか
ら・・・。

>低線量放射線の影響が、はるか昔よりはずいぶん分かっているとはいってもま
だ完全に解明されたわけではない以上、灰色の領域は存在する。しかし重要な点
は、この灰色の領域は、決しておばけに満ちた恐怖の世界ではない。広島・長崎
以来の社会と科学の努力により随分明らかになってきたものであり、今なお明ら
かにされつつあるものである。この灰色の領域をたとえていえば、湖の波打ち際
のようなものだと言っても良いだろう。湖と陸の境界はいつも揺らいで見える
が、それは風景全体から見れば、ごく小さく静かな揺らぎである。


?????
低線量放射線の影響についての彼の立場が分からない。
 



>こうした重大な責任をもつ組織がいずれも無能だったがゆえに福島第一原発事
故を防げなかったならば、これらの組織の抜本的変革を行う以外の選択肢はない
はずだ。

有能だろうが無能だろうが原発事故は防げない。人間は失敗するものだし、利益
を求めれば安全対策はどの分野でもおろそかにされる。地球の大地は動いている
のであり、況んや、地震激動期に入った日本では原発は存在悪であり破局の元凶
である。


>実は専門家・科学技術全般の不信にこそ、放射能恐怖を生み出すデマがくすぶ
る原因があり、放射能おばけの生存基盤があり、民主政治が麻痺する原因がある。

この考えが根本的に間違っている。もともと“科学技術では制御できない放射性
物質”に人間は手を出したが、強欲連中は兵器として利用することを考え、さら
に原発なるものも考え出した。発電するなら他の手段の方が遙かにいいが、日本
の場合を含めて政治屋・強欲連中は核武装願望でも稼働させている。核・原発マ
フィア連中は今まで「放射性物質は微量なら体に良い」とかいうデマもばらまい
てきたわけで、この種の洗脳がなければ日本に莫大な数の原発などないだろう。
で今回、大量に放射性物質をばらまいておいて、今もばらまいていながらも、今
度は「放射性物質を怖がり過ぎるな!」というのだから、「放射性物質は微量な
ら体に良い」を多少脚色した新手のデマと思えばいいわけだ。

小野昌弘よ、もうちょっと放射性物質を怖がった方がいいぞ。


こんな奴に以下のようなデタラメを言われたくもない(怒!)

▼放射能恐怖という民主政治の毒(13): 福島原発公有化論(1)権威の崩壊と幻想
小野昌弘 | イギリス在住の免疫学者・医師
 2015年4月2日 3時5分
http://bylines.news.yahoo.co.jp/onomasahiro/20150402-00044419/

・・・

反原発運動の欺瞞

しかし残念ながら、この無能で怠慢な組織に対する本当の意味での批判は巻き起
こらなかった。反原発運動もまた、原発管理に失敗した行政や東電と同じくらい
怠慢で無能であったといえよう。要人を原発推進vs反原発の敵味方に色分けする
作業にかまけ、真実や公正さよりも味方陣営の都合を優先し、その時々の政権の
首相をあげつらったり上っ面の批判をするだけで、結局のところ「善政」を期待
し、「悪政」に反発するだけの反発運動に終始した。こうして反原発運動は消費
者の苦情=庇護民の文句に堕落したのである (3)。



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