[CML 038804] 今日の言葉 ――民衆の運動は潮の干満のようなものだ。大きく引いてゆく時もあるが、必ず大きな潮となって満ちてくる。平和運動は今、低調だが、必ず高揚の時がくる。

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2015年 7月 27日 (月) 20:21:46 JST


【鶴見俊輔の遺した言葉】
鶴見俊輔氏が7月20日に亡くなった。(略)私が初めて鶴見氏を間近に見たのは1957年11月27日だ。場所は早稲田大学のキャンパス。当時、私は同大学の4年生で、私が属するサークルが大学祭の「早稲田祭」で催した討論会「大学卒業後の生き方」の講師を鶴見氏に依頼したところ快く引き受けられたからだった。氏は当時35歳。確か東京工大の助教授か教授であった。討論会での氏の論旨は実に新鮮にして明快で、さすが新進の評論家の切り口は違うなと納得したものだ。それから10年後の1967年11月13日、私は鶴見氏と“再会”することになる。場所は東京・神田一ツ橋の学士会館。この日、「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)による緊急記者会見がここであり、当時、全国紙の社会部で「平和担当」をしていた私は、内外の報道陣の1人としてその会見を取材すべく駆けつけたのだった。会見に現れたのはベ平連代表で作家の小田実(すでに故人)、ベ平連事務局長の吉川勇一(同)、同志社大学教授の鶴見氏、評論家の栗原幸夫の4氏だった。(略)ベ平連の結成には鶴見氏が深く関わっていた。(略)ところで、「市民による新しい平和運動」は、ベ平連が最初ではない。1960年の安保闘争(日米安保条約の改定阻止を掲げた、戦後最大といわれる大衆運動)の中で生まれた反戦市民グループ「声なき声の会」が最初だったと言っていいだろう。鶴見氏はまた、これにも深く関わっていたのである。(略)私は、新聞社退職後の1996年から毎年、この6・15記念集会に参加しているが、ある時、会場でお目にかかった鶴見氏に「ベ平連と声なき声の会の関係」をうかがったことがある。(略)これまで6・15記念集会で聴いた鶴見氏のいくたの発言の中で、私が最も印象に残っているのは、次のようなものだ。「民衆の運動は潮の干満のようなものだ。大きく引いてゆく時もあるが、必ず大きな潮となって満ちてくる。平和運動は今、低調だが、必ず高揚の時がくるよ」安保関連法案反対運動は、60年安保闘争を越えることができるだろうか。(岩垂 弘「リベラル21」2015.07.27)

【山中人間話】
以下、省略。全文は下記をご参照ください。
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東本高志@大分
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