[CML 038572] Re: いまも続く「シールズと関わりがあるとおぼしき人たちから」の執拗な鄭玹汀さんバッシングと福島在住の林智裕さんの批判する「福島」の暴力的な反原発デモとの相似性について

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2015年 7月 19日 (日) 20:23:10 JST


萩谷さん、お久しぶりです。私向けの返信ではないようですが2点ほど。

> 若い人の運動が盛り上がらないと不満を言っていた古い世代の人間は、まず、若い世代が自分達らしい表現の形を打ち出した
> ことを、大いに多とすべきです。私は外国人の気持はいくら尊重してもいいと思ってますが、若い人達の表現を尊重するというの
> は、戦後の大事なテーマですから、それに背くオトナは、イデオロギーは左派でも、根性は反動だと思います。ちがいますかね_

鄭玹汀さんバッシングの本質は、そのバッシングの主体が老人であれ、若者であれ、また、どのような理由があろうとも、人を誹謗、
中傷、悪罵してはならないという小学校の「道徳」の時間にでも習うようなきわめてシンプルな問題だろう、と私は思います。

しかし、そうしたきわめてシンプルな小学生的なモラルの問題をシールズ応援団の人たち(ここでは端的にしばき隊の名前をあげて
おきます)はいとも簡単に蹂躙し、人を「まぬけ」「蒙昧」「サイテーという言葉に対して失礼になるレベルでサイテー」(野間易通さん作
成の「鄭玹汀の間抜けなSEALDs批判への反批判一覧」より)などと悪罵の限りを尽くしています。
https://storify.com/kdxn/zheng-xuan-ting-nojian-ba-kenasealdspi-pan-henofan#publicize

これは人間として「怒って」当然のことです。しかし、あなたの投稿にはその当然の人間としての「怒り」への擁護の思いが感じられな
い。これは萩谷さんに限ったことではないのですが、いまの「活動家」を自称する少なくない人たちが最低ラインのモラルの問題にさ
えきわめて鈍感になっている。その鈍感さで「民主主義」を論じて「恥」という感覚も喪失している。第一点はそういうことでいいのか、
ということです。もちろん、私は、そういうことでよいはずはない、と思っています。 


以下は、昨日見た内藤正典Twitterのサイトから。

     「私は安保法案及びその採決の仕方に対しては批判的なのだけれども、明確に政府を批判しない人、安保法案及び強行採
     決を批判する声明に署名しない人、政府に対する運動に疑問を呈する人、このような人たちに対して暴力的な言葉を浴びせ
     かけている言葉を見ると心底「感じ悪い」←「私もそう思います。批判はあらゆる人の権利ですが、暴言を浴びせれば、社会
     を分断していくだけです」(「内藤正典Twitter」2015年7月18日より)

第二点目。

> 私の見るところでは、鄭さんの件は、SEALDsの表現が軽率なのが原因であることは確かですが、鄭さんもずいぶん即断的に強烈
> なこき下ろし方をしましたね。それでSEALDsの支持者が感情的な反応を返したのではないですか。大田英昭さんの同趣旨のブログ
> に対して毒々しい反応がないのは大田さんの物言いが慎重で、言い過ぎがないからではないでしょうか。

この点については米津篤八さんの次のような指摘があります。

     「(鄭玹汀さんの説の)多くの賛同者のうち2人の在日朝鮮人のみを名指し、「バカ」と罵っています。鄭玹汀さんのFBのコメント
     欄には日本人もたくさん書き込んでいるのに、なぜコリアンだけを名指しで罵倒するのか。そこにはこのまとめをつくった野間
     氏の民族差別意識を読み取らざるをえません」「私はSEALDsを擁護する人達による鄭玹汀さんへのバッシングは、重大な民
     族差別、女性差別であると考えます。」(米津篤八FB 2015年6月25日)
     https://www.facebook.com/tokuya.yonezu/posts/932531400122585

上記の萩谷さんの見方は事実に即していない、と私は思います。


東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/


From: 萩谷 良
Sent: Sunday, July 19, 2015 7:26 AM
To: CML
Subject: Re: [CML 038558] Re: いまも続く「シールズと関わりがあるとおぼしき人たちから」の執拗な鄭?汀さんバッシングと福島在住の林智裕さんの批判する「福島」の暴力的な反原発デモとの相似性について
田島さん、お久しぶりです。相変わらず東本さんを相手にご健闘ですねえ(笑)
以下、ずぼらな私は十分に関係する資料を読んでいないのですが、烏滸ながら、思うところを述べます。

私の見るところでは、鄭さんの件は、SEALDsの表現が軽率なのが原因であることは確かですが、鄭さんもずいぶん即断的に強烈なこき下ろし方をしましたね。それでSEALDsの支持者が感情的な反応を返したのではないですか。大田英昭さんの同趣旨のブログに対して毒々しい反応がないのは大田さんの物言いが慎重で、言い過ぎがないからではないでしょうか。
ただ、SEALDsの側では、表現の軽率さを認めるくらいのことはあっていいでしょうが、その点どうなっているのか、フォローしてないから知りません。
鄭さん、大田さん、ともにSEALDsの意図を誤解した可能性がありますが、それもSEALDsの表現が軽率だからです。
そのなかで、日本がアジアの平和への機運のリーダーみたいなことを書いたのは、特にまずかったと思います。
これは、近隣諸国の人達から誤解を受ける可能性が非常に高いので、鄭さんや大田さんのような反応は、その典型を示したものと受け取るべきで、たんに誤解ですよと言って片付けるてはいけないと思います。
私個人としては、こういうとき、まず外国人の気持ちを考えます。その意味でSEALDs叩きも、わかるなと思っていました。しかし、その後、どうも鄭さんもまずかったんじゃないかと思うようになったわけです。
このへんに関して、SEALDsとしての公式の返答はあったのでしょうか?
鄭さんに対する反応のなかに性差別、人種差別と受け取られてよいものがあったようですが、それがSEALDs総体の問題だと言われるべきでしょうか? それなら鄭さんも学究の一人として、いたずらにきつ
い非難の言葉を連ねたこと、反省してくれてもいいと思うのですが、一方的に被害者になっているようですね。

既成の左翼、市民運動は、どうしても、今の一般市民が快く支持したくなるような運動スタイルを作れないのですから、まずSEALDsのイニシアティブを多とすべきでしょう。それをしないで、アラだけ捜しているのを一部の人達が老害、嫉妬と呼ぶのは,頷けます。

SEALDsから、ちゃんとした返答がないとすれば残念なことですが、それというのも、外野がうるさすぎるから困惑してるのかもしれませんね。
オトナはもう少し人生経験を生かした関わり方をしたいものです。

若い人の運動が盛り上がらないと不満を言っていた古い世代の人間は、まず、若い世代が自分達らしい表現の形を打ち出したことを、大いに多とすべきです。私は外国人の気持はいくら尊重してもいいと思ってますが、若い人達の表現を尊重するというのは、戦後の大事なテーマですから、それに背くオトナは、イデオロギーは左派でも、根性は反動だと思います。ちがいますかね_



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