[CML 038485] 【ブログ記事】■なぜ【フランス革命】には記念日と政府主催の式典があるのに【明治維新】にはそれらがないのか?

山崎康彦 yampr7 at mx3.alpha-web.ne.jp
2015年 7月 15日 (水) 11:07:32 JST


いつもお世話様です。                         

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するネットジャーナリスト&社会政治運動家の山崎康彦です。

昨日火曜日(2015.07.14)に放送しました【YYNewsLive】の『メインテーマ』を加 
筆訂正して【ブログ記事】にまとめました。

【ブログ記事】■なぜ【フランス革命】には記念日が祭日となり政府主催の盛大 
な式典があるのに【明治維新】にはそれらが一切ないのか? 
                
今日7月14日は、226年前のフランスで革命の最初の狼煙が上がったバスチーユ監
獄襲撃の日にあたる【革命記念日】なのだ!



1789年7月14日、ルイ16世の統治下で重税と飢饉と物価高騰に苦しんだパリ市民
が立ち上がり当時火薬庫だったバスチーユ監獄を襲撃して武器 を奪いこれが
きっかけで革命の嵐が全国に広がった記念すべき日なのだ。

フランスでは今日の【革命記念日】は祭日となり、政府主催で凱旋門とシャンゼ
リゼ通りとコンコルド広場を使って軍事パレードが盛大に行われる。

日本では誰が思いついたのかわからないが、【フランス革命記念日】とは言わず
にシャンソン大会のような【パリ祭】と呼んで【革命】という文字を消 す巧み
な世論誘導がなされている。

フランスのルイ絶対王政を打倒した【フランス革命】が、記念日を持ち、祭日と
なり、政府主催の盛大な式典が行われているのと比べると、日本の江戸 幕府を
倒した【明治維新】には、記念日も祭日も政府主催の式典も一切ないのはなぜな
のか?

司馬遼太郎が言うように、明治維新が江戸幕府の封建支配から日本を近代国家に
転換させた誇るべき市民革命であったと言うのであれば、【フランス革 命】の
ように記念日を設け、祭日にして、政府主催で記念式典をやればよいではないのか?

なぜやらないできたのか?

その理由はこの間取り上げてきたように、日本の【明治維新】には国民に誇れ
るようなものは一切なく、逆に国民に隠すべき多くの謀略や陰謀や暗殺があった
からなのだ。

■国民に隠されてきた【明治維新の正体】

1.明治維新を実行した主力勢力は、長州藩、薩摩藩、土佐藩などの下級武士や被
差別部落民であり、市民革命ではなかったこと。

2.明治維新は、日本の植民地支配を目指す英国政府とロスチャイルド国際金融マ
フィアが、長州藩、薩摩藩、土佐藩などの下級武士に資金と武器と戦 略指南を
与えて起こした軍事クーデターであったこと。

3.明治維新は、下級公家で孝明天皇から蟄居を命ぜられていた岩倉具視と朝鮮部
落の長州熊毛郡田布施村出身の下級武士伊藤博文と長州萩出身で松下 村塾塾生
の下級武士木戸孝允の三人が中心となり公武合体で平和裏に体制変革を目指して
いた孝明天皇を殺し、明治天皇となった嫡子の睦人親王をも殺 して伊藤博文の
子飼いの田布施村出身の大室寅之助に差し替えて明治天皇に偽装させた【大謀略
事件】だったのだ。

4.明治維新は、【フランス革命】のように封建体制を根底から破壊して近代国家
を創出した市民革命では全くなく、江戸幕府の封建体制はそのまま残 し江戸幕
府の代わりに長州、薩摩、土佐の下級武士が権力を握り、二人の天皇を殺して自
分たちの天皇をでっち上げたクーデターだったのだ。

5.孝明天皇暗殺と明治天皇暗殺と差し替えの実行犯伊藤博文は、この大犯罪を隠
ぺいするために自ら【大日本帝国憲法】を起案し、天皇に々颪療治 権軍の統
帥権9餡颪硫鮖狂↓に[Г竜案権と共にタ誓刺垈朕の神権をも与えて、天皇を
【生き神】の絶対権力者に仕立て上げたのだ。

日本国民は天皇家の永遠の繁栄を願う【君が代】を意味も分からず国歌として斉
唱しているが、フランス国民はマルセイユ義勇兵がパリ入城の際ni
歌っていた【ラ・マルセイエーズ】を国歌にして歌っているのだ。

■ 君が代とは?(Wikipediaより抜粋)

1880年に法律では定められなかったが日本の国歌として「君が代」が採用され
た。この国歌のテーマは皇統の永続性であり、歌詞は10世紀に編纂 された『古
今和歌集』に収録されている短歌の一つである

歌詞

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで

英訳

A thousand years of happy life be thine!
Live on, my Lord, till what are pebbles now,
By age united, to great rocks shall grow,
Whose venerable sides the moss doth line.

■「ラ・マルセイエーズ」とは?(Wikipediaより抜粋)

この歌は、フランス革命政府がオーストリアへ宣戦布告したという知らせがスト
ラスブールに届いた1792年4月25日から翌26日の夜にかけて、 市長ディードリヒ
の要望で、当地に駐屯していた工兵大尉ルージェ・ド・リールが出征する部隊を
鼓舞するために、一夜にして作詞作曲したというのが定説である。

その後、この歌は全国にパンフレットという形で流布され、テュイルリー宮襲撃
事件の約2週間前にマルセイユ連盟兵がパリ入城したときに口ずさんでいたこと
をきっかけとしてパリ市民の間で流行した。

このために元々の題名ではなく、現在の『ラ・マルセイエーズ(「マルセイユ
人」の意味)』という形で定着した。さらに1795年7月14日に国民公会で国歌と
して採用されたのである。

1804年、ナポレオン・ボナパルトが皇帝になると、「暴君(専制君主)を倒せ」
という部分の暴君(ティラン)は世襲君主全般をさすことから、国歌を『門出
の歌』に変更し、『ラ・マルセイエーズ』は第一帝政から王政復古にかけては、
特別な許しがある場合を除いては、公の場で歌うことは禁止されていた。

1830年の7月革命以降は晴れて解禁となり、第三共和制下で再び国歌に制定さ
れ、同年にベルリオーズが独唱者と二重合唱、オーケストラのための編曲を施
した。

第四共和政の「1946年憲法」、第五共和政の「1958年憲法」いずれにも『ラ・マ
ルセイエーズ』を国歌として定める旨が明記されている。

▼フランス国歌『ラ・マルセエイーズ』歌詞

https://www.facebook.com/video.php?v=10204784653210132&set=p.10204784653210132&type=2&theater

日本語訳

1番

行こう 祖国の子らよ
栄光の日が来た!
我らに向かって 暴君の
血まみれの旗が 掲げられた
血まみれの旗が 掲げられた
聞こえるか 戦場の
残忍な敵兵の咆哮を
奴らは我らの元に来て
我らの子と妻の喉を掻き切る!

武器を取れ 市民らよ
隊列を組め
進もう 進もう!
汚れた血が
我らの畑の畝を満たすまで!

武器を取れ 市民らよ
隊列を組め
進もう 進もう!
汚れた血が
我らの畑の畝を満たすまで!

(終わり)

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