[CML 038376] 今日の言葉 ――敗北と死に至る道が人生だと、痛いほど知りながら、それでも東堂二等兵は「私は、この戦争を生き抜くべきである」と転心し、長い物語は幕を下ろす。

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2015年 7月 9日 (木) 16:28:42 JST


【諦めている自分もまた許せない】
時代にも空気にも流されない、勇者は、ひとりですっと立ち続けた。他国の戦争に協力する法律は「平和安全法制」。異論は「レッ
テル貼り」。衆院の絶対多数さえ、有権者の24%の得票で小選挙区4分の3の議席を得ただけ、という構造。強大な権力の統べ
る現実世界は、流れができれば止め難い。無力に絶望するが、諦めている自分もまた許せない――。そんな人を待つ作品群が
ある。大西巨人の全小説、そのどの一作でも効くはずだ。第2次大戦での軍隊体験をもとにした大長編『神聖喜劇』でまずは知ら
れる。主人公の東堂二等兵は、開戦に対して有効な反抗をなし得ず、自己には無力を、他者には絶望を感じる。「私は、この戦争
に死すべきである」と我流の虚無主義(ニヒリズム)に染まっている。しかし東堂は、超人的な記憶力を武器に、強大な権力=軍隊
組織へ合法的な反抗を試みる。軍隊諸法規を逆手にとり、上官の無法・矛盾を突く。それは「ごまめの歯軋り」であること、「墓穴
を掘り下げることでしかあり得ない」こと、つまり自分の敗北で終わることを熟知しながら。(略)現首相は、ポツダム宣言を「つまび
らかに読んでいない」のに、戦後レジームからの脱却を説く。そんな反論理・反知性主義と戦う作品でもある。込み入った論理も、
登場人物の執拗な思考と濃密な言語で、中毒的に読ませる。作品世界からにじみ出る笑いも魅力だ。『神聖喜劇』で剃毛して性
交する場面など「あんたら、なにやってんねんと突っ込みを入れたくなる」(橋本さん)。しかし、だれかをあざける笑いを作者は嫌
悪した。「揶揄や皮肉やぞんざいさを売り物」にするベストセラー小説を、憎んだ。眉一つ動かさない謹厳実直さで、瞳の奥だけが
笑う。戦士の柔らかなユーモア。気に入らぬ新聞社を「つぶさなあかん」などと発言し、のちに「冗談のつもり」「僕なりのギャグ」と
言い逃れるのが今の流行作家だ。大西作品の冗談・ギャグは、浅ましき時代にこそ底光りする。『神聖喜劇』の最終盤。敗北と死
に至る道が人生だと、痛いほど知りながら、それでも東堂二等兵は「私は、この戦争を生き抜くべきである」と転心し、長い物語は
幕を下ろす。大西作品を今読むこととは、すなわち、われら「人生の二等兵」の全力的な精進の物語り、――別の長い物語りでな
ければならない。(朝日新聞諫早支局長・近藤康太郎 2015年7月6日)


【補遺:統治エリートたち、メディア・エリートたちへ】
論理的かつ合理的に物事を考える者たちにとって、この法案が是であるか非であるかの議論は、「出発点」にすら着くことができ
ないものである。現行憲法の条文には集団的自衛権を容認する根拠が全く見出せないという批判に、驚くほど稚拙な根拠を持っ
て「当たらない」と居直るような、合理のかけらもない対応、長舌によって不合理かつ意味不明な答弁を繰り返す首相の知的荒廃
ぶりに象徴される与党の言論レベルは、もはやまっとうな言論そのものと次元を異にするものだ。それは、我々が曲がりなりにも
100年を超えて細々と維持してきた憲政の常識と前提を亡きものとさせつつある。つまり議論の対象は法案を飛び越えて「政治そ
のもの」に至ったのである。(略)「どのような事情があろうと、利害を超えて、それはだめだということがある。それをやったら我々
は終わりだ」。政治は、「あらゆる善意と真実と歴史をなぎ倒して世界を前に一歩進める必要がある」と判断された時、何ものにも
配慮することなく悪魔と手を握る人間的営為である。しかし、それはそのように法と道理を踏みにじることに十分な正当性があっ
てのことだ。憲法を踏みにじる必要があるほど我々は切迫した状況にあり、議会でのおしゃべりをしている間に我々が破滅するよ
うな急迫的危機があるのだと、人々を説得できることが不可欠な条件である。もしそれが果たせない時、政治家を最後の最後に
縛るものは「いくらなんでも、それはできない」という広義の統治エリートたちが党派や利害を超えて無条件で共有すべき「規範」で
ある。いかにきらびやかな、いかに先進的な政治制度を導入しようと、どれだけの支持を集めて政治権力を把握しようと、どれだ
けの議会における多数を暫定的に保持しようと、そして政治家個人がどれだけ私的怨念と野望を抱えていようと、最終局面にお
いて、1億の人間の運命と生活、100年先の子孫に決定的な影響を与える可能性のある判断においては、「それはいくらなんでも
できない」という規範は、我々の最後の安全弁である。そして、それが省みられなくなった時、立憲主義を基礎とする我々の民主
政治は即死するのである。それほどデモクラシーとは脆弱なものなのだ。失われるのは、安保関連法における法の安定性、長年
積み重ねられてきた法解釈、政治における言論の知的尊厳だけではない。手放してしまうのは我々の政治の最終的、かつ根本
的な「縛り」である。有権者の付託を受けようと受けまいと、永田町と霞が関の統治エリートたち、我々が置かれた状況を人々に
正しく伝えるメディア・エリートたちは、弱き我らのデモクラシーを担保しているものの重さを、果たしてどれだけ理解しているだろう
か?(岡田憲治ブログ 2015年07月06日)

【山中人間話】

・内閣支持率の低下:中間層「反安倍」にシフト?

・安保法制、144議会「反対」 意見書を可決

・岩手県議会は、安保関連法案の「廃案」を求める意見書を賛成多数で可決。廃案の意見書を可決した都道府県議会は初めて
です

・安保法制、長崎県議会が「賛成」 「成立を強く求める」

・「中日」から。憲法学者9割「違憲」安保法案、本紙調査204人回答。全国の大学で憲法を教える教授ら328人を対象に、法案
の合憲性などを尋ねるアンケートを実施。回答した204人(回答率62%)のうち、違憲184人、合憲7人、その他13人。

・これは圧倒的。公明党の北側副代表、9割は「一部」ではないですよ。→東京新聞:安保法案 憲法学者9割「違憲」 本紙調査に
204人回答

・重要なのは数じゃないと開き直る方がまだマシ。これまでのアンケート(報ステでは149人中3人が合憲)を見て違憲論は「一部」
とは。こういう言葉遣いの人がいくら「国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」に限定する、と言ってもなあ。

詳細は下記をご参照ください。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1375.html


東本高志@大分
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