[CML 038329] Re: 丸谷才一の「子供に詩を作らせるな」ということの意味。あるいは上っ面のところだけしか見ない「世間」というものの虚について。

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2015年 7月 6日 (月) 19:12:50 JST


中尾さん、コメント拝読しました。

私は前便で丸谷才一論や特別な「詩論」を述べているつもりはありませんのでただ具体例に即して返信しておきます。

あなたは丸谷才一が「子供に詩を作らせるな」という論で例としてあげている

「牛が水を飲んでいる。/大きな顔をバケツの中につっこんで、ごくごくごく、がぶがぶ、でっかいはらを波打たせて、ひと
息に飲んでしまった。」

という「詩」をある教師が

「牛が水を飲んでいる。/大きな顔を/バケツの中につっこんで、/ごくごくごく、/がぶがぶ、/でっかいはらを波打た
せて、/ひと息に飲んでしまった。」

と7行の分かち書きに改稿した「詩」を「声に出すことで生まれる言葉のリズム、文字からでなく耳から入る言葉のリズム」のある詩。
そして、子供に「身体感覚としての言語体験」を獲得させる詩として評価されるわけですね。

しかし、丸谷は、上記の「詩」について、「わたしの見たところでは、改作前も改作後もどちらも詩ではないし、単なる文章としては
(別にどうといふことはない代物(しろもの)だけれど)、手を入れないうちのほうが数等すぐれてゐる。詩でなんかちつともないスケ
ッチをいい加減に改行して、詩らしく見せかけようといふ卑(いや)しい魂胆のないところが、まだしも清潔なのだ」と批判しています。

私も丸谷説に賛成です。したがって、中尾さんの「丸谷才一さんの日本語論は、言ってみれば『子どもたちに谷川俊太郎さんのよう
な詩を作らせるな』と言っているに等しい暴論」というご意見には賛成しません。

そのことのみを述べて返信としておきます。

ただ、つけたしとして、あなたがどうやら評価しているらしい谷川俊太郎の「詩」について、2011年に詩集『生首』で第16回中原中
也賞を受賞し、2012年に詩集『眼の海』で第42回高見順賞を受賞した詩人で作家の辺見庸の評価をご紹介しておきます。

辺見は、谷川俊太郎が大手生命保険会社(日本生命)のテレビコマーシャルのために書いた「愛する人のために」という「詩」につ
いて次のように痛罵しています。

「むしろ耳に心地いいことば、穏やかでやさしいことばのなかに、標然とするような悪が居座っている。ことば自体、ほとん
ど資本の世界、商品広告の世界にうばいとられている。やさしさや愛のことばも。ことばということばには、資本の霧が立っ
ています。/有名な詩人が大手生命保険会社のテレビコマーシャルのためにもっともらしい文章を寄せる。べつにそれは
crimeではない。ですが、これほど恥ずべきsinはない。ぼくはあれほどひどい罪はないとおもう。あれは正真正銘の"クソ"な
のです。堪えがたい詩人のクソ。そうおもいませんか? そうおもわないという人はしょうがないけど、ぼくはおもわないとい
うことが怖いのです。おもわなくなったということに戦慄を感じます。」(『しのびよる破局』)

ちなみに谷川俊太郎の「愛する人のために」という「詩」はいまでも以下で「聴く」ことができます。youtubeのこのビデオの標題には
「文・谷川俊太郎」と記されていますが、以前は「文」ではなく、「詩」と書いてあったような記憶が私にはあります。これは私の憶測に
すぎませんが、谷川俊太郎は、この「詩」の批判をかわすために「詩」を「文」と変更したのでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=d9qMZhP4vEg

さらにつけたしのつけたしをしておけば、丸谷才一は「言葉の魔術師」として名高い『ユリシーズ』の著者ジェイムズ・ジョイスの日本
における最高峰の研究者としても著名な人でした。その人が「言葉のリズム」の問題を知らないわけがないのです。長くなるので、
これ以上のことは述べません。


東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/

From: 中尾進
Sent: Monday, July 06, 2015 1:45 AM
To: 市民のML
Subject: Re: [CML 038314] 丸谷才一の「子供に詩を作らせるな」ということの意味。あるいは上っ面のところだけしか見ない「世間」というものの虚について。

東本さん、はじめてご意見させていただきます。

ここにあげられている丸谷才一さんの日本語論は、言ってみれば「子どもたちに谷川俊太郎さんのような詩を作らせるな」と言っているに等しい暴論です。
丸谷さんは、谷川俊太郎さんや茨木のり子さんの詩にはさっぱり関心がなかったのでしょう。
丸谷さんが例にあげている日本語教科書を読むとわかりますが、ここでは声に出すことで生まれる言葉のリズム、文字からでなく耳から入る言葉のリズム(これは先天性の「聴覚障害者」の人には難しいですが)、つまり身体感覚としての言語体験の獲得に力点が置かれているのです。それは子どもたちが大好きな谷川俊太郎さんの詩集『ことばあそびうた』(福音館書店)を読めばよくわかります。
子どもたちは、リズム感あふれる詩が大好きです。こういうことがわからない丸谷さんの文章を使って、SEALDsの論評は間違っていると思います。この投稿文を撤回されたほうがいいのではないでしょうか。

丸谷さんのこんな文章を使わなくても、他にSEALDs 論評の切り口はあるのではありませんか。


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