[CML 038316] 「満州」引き揚げ者の証言

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2015年 7月 5日 (日) 23:55:40 JST


 坂井貴司です。
 
 7月5日、福岡県行橋市の「コスメイトゆくはし」で、行橋京都地区日中友好協
会が映画上映とお話を聞く会を開催しました。
 
 太平洋戦争前に「満州」に住んでいた日本人の話を聞きました。
 70,80歳代の老人たちは、想像も出来ない過酷な体験を穏やかな表情で語り
ました。
 
 「私の父は中国人、母は日本人です。
 日中国交回復前、私は母が日本人ということで差別されました。小学生の時で
した。私は成績が優秀だったのに、母が日本人という事で表彰されませんでした。
こんな国は嫌だと思いました。日中国交回復をすると、家族全員で日本に帰国し
ました。
 でも今度は日本語が解らないので苦労しました。日本語を学びながら、看護学
校に通いました。苦しくて泣きながら学びました。やっと准看護士になりました。
次は正看護士になろうと思いました。ところが当時私はまだ中国国籍だったので、
資格を取るための学校に通う事ができませんでした。
 その後、日本国籍を取りましたので正看護士の学校に行くことができるように
なりました。しかし、今度は家庭の事情で行くことが出来ませんでした。
 私は正看護士になることはできませんでしたけれど、職場の人たちは皆良い人
ですので、楽しく働いています」
 
 その人の母が語りました。 
 
 「私は満州の電話局で働いていました。
 昭和20年8月9日、ソビエト軍が攻めてきました。男性はシベリアへ連れてい
かれました。悲しい光景でした。今でも思い出すと涙が出ます。女性だけが残さ
れました。その後、ソビエト軍の兵士が私を強姦しようと襲いかかりました。私
を押し倒して、ズボンを下ろしました。私は必死に抵抗してなんとか逃げました。
 私は列車に乗せられて長春に連れて行かれました。途中でソビエト軍が列車を
止めて、女性たちを引きずり下ろしました。恐ろしい光景でした。私は列車の下
に隠れて、難を逃れました。連れていかれた女性たちはどうなったかはわかりま
せん。
 長春に到着すると、日本人収容所に入れられました。食べ物を得るために、中
国人の畑や店で働きました。腐ったジャガイモやトウモロコシ、コーリャンをも
らって食べました。あまりにも惨めな私を見て、中国国民党軍の兵士が私に同情
して、親切にしてくれました。仲良くなってその人と結婚しました。しかし、夫
になったその人は中国共産党軍に捕らえられ、処刑されました。
 中国には38年間住みました。三回結婚し、三回とも夫と死別しました。
 私は日本人であることを隠し、台湾人であると振る舞いました。すると、台湾
人であるお前は蒋介石のスパイだと逮捕されました。3ヶ月間刑務所にいました。
一生懸命働いて疑いが晴れたので家に帰ると、骨と皮ばかりに痩せこけた子供た
ちが、垢で真っ黒になって待っていました。
 日中国交回復と同時に帰国しました」
 
 「私の父は高等小学校を卒業すると、日本の領土扱いだった満州の関東州に行
き、巡査になりました。日本で警官になるよりも、はるかに給料が良かったから
です。戦時手当てがつくうえに、勤続年数が五割増しになりましたので良い待遇
を受けました。
 私は満州と朝鮮の国境近くで生まれました。その時父は領事館警察官でした。
 当時、朝鮮から満州に移住した朝鮮人農民と、中国人農民の水争いが絶えませ
んでした。父はその水争いを抑えるために中国人や朝鮮人を逮捕していました。
私は逮捕された朝鮮人が拷問されているのを4歳の時に目撃しました。血だらけに
なっていました。父がその拷問された朝鮮人に薬を塗っていたのを覚えています。
 満蒙開拓と言います。実際は中国人が耕した農地を安い価格で強引に買い取っ
て、日本人に与えたのが事実でした。本当の開拓はごくわずかでした。土地を奪
われた中国人の恨みが日本敗戦で爆発しました。だからあのような悲惨なことに
なりました。
 私は日本が負ける前に帰国しました。残った父はソビエトと満州の国境で勤務
していました。兄と弟は満州にとどまりました。ソビエト軍の侵攻で父と兄弟は
行方不明になりました。後に死亡したことを確認しました」
 
 「私は満州の長春に住んでいました。当時は新京と言っていました。
 昭和20年8月9日にソビエト軍が攻めてくると、中国人が暴動を起こしました。
日本人を裸にして、棒でメッタ打ちにしました。刃物や銃は使いませんでした。
日本人は割れたスイカのように血を流して真っ赤になっていました。私はそれを
二階の窓から震えながら見ていました」
「私はソビエト軍が侵攻すると、長春に逃げました。日本人収容所に入れられま
した。そこではチブスが流行して、多くの日本人が死にました。私の父もチブス
で死にました。
 死んだ日本人は競馬場に埋められました。広い競馬場は墓場になりました。私
の父はそこに埋められました」。
 
 私が初めて聞く話ばかりでした。驚きの連続でした。
 
 過酷な内容に涙を流しながら聞く人がいました。 
 
坂井貴司
福岡県
E-Mail:donko at ac.csf.ne.jp
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「郵政民営化は構造改革の本丸」(小泉純一郎前首相)
その現実がここに書かれています・
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