[CML 036306]  「慰安婦」の「高」収入と『日本軍慰安所 管理人の日記』、改訂

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2015年 2月 16日 (月) 21:18:52 JST


 半月城です。
 以前から気になっていたのですが、「慰安婦」は高収入で「日本兵士の月給の75
倍」、「軍司令官や総理大臣より高い」収入を得ていたなどと語る秦郁彦氏の説が日
本ではひろく流布されているようです(注1)。常識的にそんなはずはあり得ないと
思っていたのですが、意外とこれに対する反論がなかなか見つかりませんでした。こ
の長年の疑問にやっと答えられた方が現れました。京都大学の堀和生氏です(注
2)。
 堀氏は、韓国で2012年に発見されて2013年に翻訳、発刊された『日本軍慰安所 管
理人の日記』を神戸大学の木村幹氏と共に和訳されましたが、それに関連して「東ア
ジアの歴史認識の壁」と題する論説を京大東アジアセンター ニュースレターに書か
れました(注3)。その中で堀氏は「慰安婦」が得た収入などを経済学的に考察してい
ました。その論説を元にして「慰安婦」の「高」収入を私なりに整理したいと思います。
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 日本軍兵士が軍の慰安所で「慰安婦」へ支払う料金は現地日本軍の規則によって定め
られました。たとえば、ビルマ(ミャンマー)マンダレー駐屯慰安所規定(1943年5
月26日 駐屯地司令部)の遊興料金表は、兵士は30分につき 1円50銭でした。これは
米価をもとに現在の価値に換算すると 1,020倍で 1,530円になります(注4)。
 したがって、「慰安婦」が一日に10時間で20人の相手をさせられると料金の合計は30
円、1か月25日で 750円、「慰安婦」の取り分を半分とすると「慰安婦」は1か月に375
円(現在の価値で約38万円)を得ることになります。これは一般兵士の給料よりは高
いでしょうが、はたして当時の総理大臣より高収入でしょうか?
 ところが、問題は彼女たちが受けとった「お金」の種類です。これは日本の紙幣や
貨幣ではなく軍票でした。軍票の単位はビルマではルピーですが、1ルピーの為替
レートは 1円と決められていました。そのため、現地の日本人社会で 1ルピーは 1円
と呼ばれました。シンガポールやマレーシアでは海峡ドルですが、これも 1ドルが 1
円とされました。他の国でもほぼ同様です。
 この為替の固定相場制に「慰安婦」の「高」収入のからくりがありました。日本軍は
現地で軍需物資などを軍票で買いつけましたが、軍票を印刷するだけで物資がどんど
ん調達できるので軍票の発行はどんどん増大しました。この結果、必然的に現地の物
価がどんどん値上がりを続け、インフレが起きました。ラングーン(ヤンゴン)では
1944年末に物価が3年間で何と 87倍という超インフレになりました。単純計算では
半年ごとに物価が 2.1倍になります。それでも日本は 1ルピーが 1円という建前を変
えませんでした。
 したがって、ルピーを円に換えて日本や朝鮮に送金すれば大もうけできますが、も
ちろんこれは困難でした。送金を自由に認めると日本にまでインフレが波及して日本
経済の混乱が必至なので、大蔵省はそれを防ぐために送金制限などで日本へ流入する
資金の流入を極力おさえました。
 1945年5月における中国の華中・華南の例でいえば、送金者は送金額の69倍を現地
通貨による現地預金にさせられ、内地預金として受け取れるのは外貨表示預金のわず
か1/69にすぎませんでした。
 南方地域についても同様な措置がとられました。性奴隷としてビルマへ連行された
文玉珠さんは、兵士たちからもらった軍票をほとんど軍事郵便貯金にしました。イン
フレが進むにつれ、朝鮮へ送金しようとすると軍票をかなりの割合で貯金せざるを得
なかったのでした。なお、軍事郵便貯金は軍人や軍属のみが利用できる貯金なので、
文玉珠さんは軍属扱いだったわけです。
 文玉珠さんの貯金は現在でも軍事郵便貯金を管理している熊本貯金事務センター
(現在はゆうちょう銀行に移管)の帳簿に残高が 25,846円と記されています。この
価値ですが、残高を先ほどの米貨換算で現在の価値にすると 2,600万円になります
が、当時のビルマの超インフレを考慮すると現在価値ははるかに低くなります。
 大蔵省は台湾の人たちに対してはこうした通帳に書かれた額面の 120倍で 1995−
2000年に払い戻しました。この方式で計算すると、文玉珠さんの貯金は約 310万円相
当になります。とうてい高収入であったなどといえる額ではありません。
 秦郁彦氏が、「慰安婦」が高収入であるとした根拠ですが、これはビルマのミチナ
(ミートキーナ)戦場で「慰安婦」と雇い主の北村夫婦(日本人)を尋問したヨネダ報
告書が元になっています。報告書で慰安所の料金は兵士が 1円50銭、下士官が 3円、
「慰安婦」の月間収入は平均 1,500円とされました(注5)。
 この収入は先の計算の4倍になりますが、といって「慰安婦」は4倍の兵を相手にさ
せられたのではありません。これは1944年夏の話であり、料金制度に変化がありまし
た。インフレが進んだ結果、従来の規定料金では「慰安婦」の生活が成り立たないた
め、軍は代わりにいろいろな物資を「慰安婦」へ支給しました(注6)。それを加味し
て収入を 1,500円としたのでしょう。
 この 1,500円はどれくらいの価値があったでしょうか。この年の暮れにラングーン
の物価は3年前の87倍、半年ごとに 2.1倍なので、同年の夏の時点では 87/2.1
倍、すなわち3年前の41倍くらいと思われます。すると、1,500円の現在価値は
153万円/41 すなわち、3万7千円くらいになります。
 都会と違ってへんぴなミチナではインフレはこれほどひどくないので、現在価値は
もう少し高かったでしょう。それでも「慰安婦」は高収入どころか、生活すら苦しかっ
たようです。秦郁彦氏はこうした現地のインフレを考慮に入れずに現地の 1,500円を
単純に内地の総理大臣の給料と比べたのでしょうが、これは明らかな暴論です。
 さて、「慰安婦」の軍事郵便貯金ですが、これは戦時中には本人に代わって日本や朝
鮮の留守家族が引きだすことはもちろんできませんでした。戦後はGHQによって払
出しが禁止されました。サンフランシスコ講和条約後は日本人の預金だけは払い戻さ
れましたが、外国人預金の払い戻しは停止されました。
 その後、日本が条約などで賠償・補償をしなかった台湾の人たちに対しては前述の
ように日本政府は預金の払い戻しを認めました。しかし、韓国人の場合は引き出しの
機会が与えられないまま、日韓条約でその権利すらも失われたとされました。
 性奴隷として忍苦を重ねて得られたわずかばかりの自分の預金が下ろせないなん
て、彼女たちの怒りや悔しさは言葉ではとうてい尽くせないことでしょう。また、預
金せずにビルマなどから無効になった軍票を持ち帰った「慰安婦」たちの怒りも天を突
き破ることでしょう。そうした彼女たちの日本に対する怒りが韓国ではほとんど解決
されないままになっていることはいうまでもありません。
 結局、「慰安婦」は高収入を得ていたなどと戦時インフレ経済を無視した秦郁彦氏の
説は「過度な単純化ではなく事実認識としてまったく間違っている」と堀氏は批判し
ました。そもそも「慰安婦」の利用料金は現地の軍が決めるのに、「慰安婦」の収入が総
理大臣より高くなるような料金を軍が設定するなんて、およそ常識では考えられませ
ん。秦郁彦氏がそうした常識はずれの事実誤認を垂れ流すことは厳しく批判されなけ
ればなりません。
 
 一方、表題の『日本軍慰安所 管理人の日記』ですが、堀氏はその日記を読み解い
て日本軍慰安所の性格を下記のように記しました。
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この日記に登場する慰安所のほとんどは、業者が経営していた。そして、ビルマの
場合は、その多くは朝鮮人であった。それら多くの慰安所はすべて日本軍によって動
員・組織されたものであった。軍は兵站の一部として膨大な数の慰安所の設立を計画
し、業者を通じて各地で多数の慰安婦を集め、軍の専用運搬船で南方に輸送し、各地
の日本部隊に配属して慰安所を運営させた。慰安所は軍によって管理され、作戦の遂
行や部隊の移動によって慰安所も移動した。慰安所は外形上では公娼制の擬制を取っ
ていたが、日本軍が日本軍の戦争遂行のために組織動員したものであった。慰安所は
業者が経営したが、慰安婦・慰安所を動員した主体は日本軍であり、軍兵站が全体を
管理していた。慰安婦と慰安所従業員が、軍属の待遇を受けていたことは、慰安所が
軍の兵站組織の一部であったからに他ならない。
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 この『日本軍慰安所 管理人の日記』の日本語訳「ビルマ・シンガポールの慰安
所」は韓国の落星台経済研究所のホームページから下記のURLで直接ダウンロード
できます(URLの途中に改行記号があったら取り除いて一行にしてください)。
「保存」オプションで「名前を付けて保存」にすると、保存先が明確になります。名
前の後ろの「.pdf」は重要です。
http://www.naksung.re.kr/xe/?module=file&act=procFileDownload&file_srl=18254
6&sid=dbbdf1fa091516f55cc8c5e8d3deb0f9

(注1)秦郁彦、2013年06月13日TBSラジオ番組「『慰安婦問題』の論点」。
(注2)京都大学経済学研究科教授。堀氏は、竹島=独島問題で明治時代の太政官が
  1877年に松島(竹島=独島)は日本と無関係であると心得よと指令した画期的
  な資料の発掘者として知られます。
(注3)京大東アジアセンター ニュースレター、555号、2015.2.2
  堀氏の論説はインターネットにまだ公開されていないので、堀氏の許可を得て、
  誤植を訂正して全文を下記サイト「竹島=独島論争(資料集)」にアップしま
す。
 http://www.kr-jp.net/ronbun/msc_ron/hori-1502.html
(注4)下記のサイト「400年の米価」によると、1943−1944年の米価は10kg当たり
  3.57円、統計の利用できる2000年の米価は3,641円であり、その比は1,020倍にな
る。
  現在の米価は、2000年当時とほとんど変わらないと見てよい。
 http://www4.airnet.ne.jp/sakura/beika/beika_syowa.html
(注5)秦郁彦『昭和史の謎を追う(下)』文藝春秋、1993、pp.331-332。
(注6)中国で慰安所を解説した独立山砲兵第二連隊 第一大隊長 平原一男は
 『山砲の〓江作戦』にこう記した(〓は草かんむりに止)。
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    慰安所の開設に当たって最大の問題は、軍票の価値が暴落し、兵たちが受
 け取る毎月の俸給の中から支払う軍票では、慰安婦たちの生活が成り立たな
 いということであった。そこで大隊本部の経理室で慰安婦たちが稼いだ軍票
 に相当する生活物資を彼女たちに与えるという制度にした。
  経理室が彼女たちに与える生活物資の主力は、現地で徴発した食糧・布類
 であったと記憶している。
 (引用は、吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書、p.114)

(半月城の「慰安婦」書き込み集)
http://www.han.org/a/half-moon/mokuji.html#ianhu



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