[CML 039218] 今日の言葉 ――天皇が内閣の掣肘から離れて独走することの危険は計り知れない。天皇は徹底して内閣のコントロール下にあることで存在を許されているのだ。
higashimoto takashi
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2015年 8月 18日 (火) 19:08:11 JST
下記の澤藤統一郎弁護士の天皇論と「アリの一言」ブログ主宰者の天皇論はそれぞれ独自の論であることはいうまでもありません
が、相互の論がそれぞれの論を補強する関係にある、というのが私の二論の読み方です。一対の天皇論として私は読みました。
以下はそれぞれの論の要旨。
【「英明で誠実な天皇」論は正しいか?】
14日には安倍談話を持ち上げたNHKは、15日には今度は天皇の発言を持ち上げた。「ヨイショ、ヨイショのNHK」である。歯の浮
くような報道ぶり。(略) 天皇の言葉は、とりようによっては、『平和の存続を切望する国民の意識』として憲法9条擁護の広範な国民
意識を評価し、戦争法案反対運動にエールを送っているやに聞こえなくもない。また、『さきの大戦に対する深い反省』は明らかに自
分の意見として述べている。ここには、安倍談話とは異なるメッセージの直接性がある。当然にこれを評価する見解は出て来るだろ
う。天皇制に対する警戒心の薄い保守層からはとりわけ歓迎されることになるだろう。16日の東京新聞は、次のように、半藤一利、
保阪正康のコメントを掲載している。(略。下記参照)この東京新聞の記事の見出しは、「『大戦 深い反省』 天皇陛下 踏み込んだ
『お言葉』」となっている。天皇が「踏み込んだ『お言葉』」を述べて問題がないのか。「象徴天皇という立場で、ぎりぎりの内容に踏み
込んだメッセージ」「陛下が許される範囲内で示した」といって許容してよいのか。「ぎりぎりセーフ」というのが、半藤や保阪の意見だ
が、私はアウトだと思う。天皇の発言の内容は常識的なものだが、内閣の助言と承認を離れての天皇の言動を許容することができ
ない。(略)「天皇よくぞ発言してくれた」「違憲の安倍内閣を、憲法理念に忠実な立場から批判するのだから許容されてよい」という
多くの人の思いはあろう。しかし、天皇が内閣の掣肘から離れて独走することの危険は計り知れない。日本国憲法は、国民主権を
大原則としながら、象徴天皇制を残した。天皇は徹底して内閣のコントロール下にあることで存在を許されているのだ。(澤藤統一郎
の憲法日記 2015年8月17日)
<参考>
・半藤一利さんのコメント:戦後七十年間平和を守るため、必死に努力してきたすべての日本人へ向けた言葉と読むべき
だろう。今なら、安全保障法案に反対して声を上げるなど、草の根の人たちも含むと考えられる。政治的発言が許されな
い象徴天皇という立場で、ぎりぎりの内容(Blog「みずき」:だとは、私も思いません)に踏み込んだメッセージ。
・保阪正康さんのコメント:陛下(Blog「みずき」:保阪さん。あなたはいまだに「陛下」などと「臣民」の用語を使うのか? 私
たちは「戦前」の「絶対的天皇制」を反省したのではなかったのか?)が許される範囲内で示した、昨今の政治情勢への
危惧とも読みとれる。結果的に、十四日に閣議決定された安倍晋三首相の七十年談話と対比関係になる。首相談話は
傍観者的な印象だが、陛下のお言葉は「さきの大戦に対する深い反省」などと自らの言葉で言及しており、主観的に負の
歴史に向き合っている。海外メディアは通常、終戦の日の陛下のお言葉には興味を示さないが、例年との違いを報じて
ほしい。
【明仁天皇の「深い反省」とは何か】
15日の「全国戦没者追悼式」で明仁天皇が、「さきの大戦に対する深い反省」という文言を初めて挿入したことに対し(略)メディア
は具体的中身に触れないまま、明仁天皇を「一貫した平和主義者」と描くことで共通しています。見過ごせないのは、安倍首相との
対比で、いわゆる「民主・革新」勢力の中にも明仁天皇賛美が浸透しているとみられることです。明仁天皇の「平和主義」とはどうい
うものでしょうか。(略)60歳の誕生日を前にした記者会見(1993年12月20日)で、明仁天皇は昭和天皇を回顧してこう述べて
います。「昭和天皇のことに関しては、いつもさまざまに思い起こしております。・・・昭和の初めの平和を願いつつも、そのような方
向に進まなかったことは、非常に深い痛みとして心に残っていることとお察ししております。・・・昭和天皇は、来年は平成六年です
が、昭和六年には柳条湖事件(注:満州事変―私)が起こっています。本当にご苦労が多かったこととお察ししております」(保阪正
康氏『明仁天皇と裕仁天皇』より)こうした一連の発言から分かるのは、明仁天皇が裕仁天皇を「一貫して平和と国民の幸福を願」
ってきた平和主義者だと確信していることです。そして、「満州事変に始まる戦争の歴史」とは、そのような昭和天皇の思う「方向に
進まなかった」時代、昭和天皇が心に「深い痛み」を残し、「苦労が多かった」時代だと認識していることです。こうした歴史観から、
いったい何を「反省」するのでしょうか。「さきの大戦」の最大の責任者である天皇裕仁を美化・擁護し、その戦争責任を隠ぺいする
天皇が、どうして「平和主義者」と言えるでしょうか。明仁天皇の「深い反省」の中身は何なのか。「満州事変に始まる戦争の歴史」
から何を学んでいるのか。何よりも、父である裕仁天皇の戦争責任についてどう考えているのか。明仁天皇は明確に述べるべき
です。一方、明仁天皇を「平和主義者」と描きながら、憲法にはない「天皇の公的行為」なるものについて、「内閣の助言と承認を
必要としていない。・・・憲法の規定と原則の範囲内であれば、天皇の意志を反映させることが可能」(斉藤利彦氏『明仁天皇と平
和主義』朝日新書)として、「天皇の意志」による「公的」行為・行動を肯定し、促進しようとする論調が出ています。いくら安倍首相
が最悪だからといって、天皇の実質的機能を強めようとすることは、憲法原則に照らしてけっして容認することはできません。(アリ
の一言(「私の沖縄日記」改め) 2015年08月18日)
【山中人間話】
以下、省略。下記をご参照ください。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1469.html
東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/
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