[CML 039204] 今日の言葉 ――赦しを想定しない謝罪、赦されることの可能性を考察の外に置いた、エコノミー外の、絶対的謝罪。これが現在の東アジアの中で日本という国家が取り得る、取るべき唯一の歴史的―倫理的行為である。
higashimoto takashi
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2015年 8月 17日 (月) 19:04:38 JST
おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな(中野重治「歌」)
【安倍は自らの歴史解釈を打ち出すために閣議決定を私的に使った】
そもそも、談話とは何か。何のために出すのか。「村山談話」は、戦後50年にあたり、それまで、あの戦争に対する日本の反省を
言葉にしたことがなかったことで、ずっと続いていた近隣諸国とのわだかまりを、少しずつでも解決していこうとする、それこそ未
来志向の政策だったのではないのか。その「村山談話」、さらに「小泉談話」を継承するといいながら、継承するつもりなどなく、安
倍首相は、自らの歴史解釈を打ち出すために、閣議決定を私的に使ったようなものである。(略)「安倍談話」のその「未来志向」
についても指摘しておく。ここには二つの問題がある。一つは、「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えてい
ます。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせて
はなりません。」という下り。この談話のなかで、おそらく安倍首相の個人的な想いが最も強烈に出た箇所がここだろう。(略)謝罪
を続けることをやめて、「私たちで終止符をうつ」という何とも自己中心的な「未来志向」である。(略)
「先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という「安倍談話」の発想に対しては、ジャック・デリダ
/守中高明訳『赦すこと――赦し得ぬものと時効にかかり得ぬもの』(未來社、2015年)の訳者解説にある守中氏の次の指摘を
引用しておこう。
「この国の首相が朝鮮半島の人々、中国の人々、そしてかつて侵略し植民地支配下においたその他の東アジア各地域
の人々に対して行うべきなのは、赦しを想定しない謝罪、赦されることの可能性を考察の外に置いた、エコノミー外の、
絶対的謝罪である。これが現在の東アジアの中で日本という国家が取り得る、取るべき唯一の歴史的―倫理的行為で
ある」(同書126頁)
と。(水島朝穂「今週の直言」2015年8月17日)
【山中人間話】
以下、省略。下記をご参照ください。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1465.html
東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/
CML メーリングリストの案内