[CML 039179] 安倍内閣支持率のアップはどのような人々の声に支えられているか?――「反省は必要。しかし謝罪は区切るべき」という思想について

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2015年 8月 16日 (日) 18:00:04 JST


共同通信社が14、15日に実施した世論調査によれば、戦後70年に当たっての安倍談話を「評価する」との回答は44・2%だ
ったのに対して「評価しない」は37・0%。内閣支持率は43・2%で、前回7月の37・7%から5・5ポイント上昇。逆に内閣不支
持率は46・4%で、前回7月の51・6%から5・2%下降という結果が出ています。この世論調査の結果から見れば、安倍談話
に「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「おわび」の4つのキーワードを急遽盛り込むことにした安倍内閣のネライはひとまず奏
功したと見ることができるでしょう。
http://www.47news.jp/CN/201508/CN2015081501001618.html

安倍談話がいかに騙しのテクニックを駆使して虚構されたものであるかということについては、この一両日、私も、さまざまな論
者、批評者の論を引いて傍証してきました。「安倍さまのNHK」と産経、読売を除くジャーナリズムとしてのメディアと市民メディ
ア(主にフェイスブックやツイッター、ブログ)では圧倒的に安倍批判が勝っていました。にもかかわらず上記の結果です。この
世論調査の結果をどう見るか。資本家、政治家流の「数は力なり」の観点から見れば、NHK、産経、読売など最大手メディア
の高い購読率と視聴率、番組独占力(14日の「ニュース・ウォッチ9」は44分間という時間をとって安倍首相独演会を演出した
ということです)にモノをいわせた物量作戦に負けたということになるのでしょうし、そのとおりだと私も思いますが、「世間」という
曲者の下記のような「善良」な声々も内閣支持率アップの無視できない大きな要因としてあるのではないか。

> 反省は必要。しかし謝罪は区切るべき。そうでなければ未来永劫、対等な友好関係を築くことは出来ないと思う。
> 例えば福島県民の私にとって、長州の人に謝罪など望まない。ただ相互の歴史と先人に敬意を。良きパートナーとして仲良
> くしたいです。

内田樹の論(省略)

映画監督、想田和弘の下記の思索も「考えるヒント」として適切です(ただし、想田和弘の思想についても、私は内田樹と同様の
懸念を持っています。しかし、これも、それはそれとして)。

想田和弘の論(省略)

「ただ、これまでの歴代内閣の歴史認識は踏襲するって言っちゃってるからどう文句の附けようもないんだよな」というもうひとつ
の世間の認識については、14日付けの「今日の言葉」でも引用していますが、ジャーナリストの田畑光永と日本ジャーナリスト
会議(JCJ)の以下の説を対置しておこうと思います。「文句の附けようもない」という問題提起者を説得することができるかどう
か?

      「簡単な例からいけば、村山、小泉両談話で共通に使われた4つのキーワード(マスコミの命名だが)、つまり「侵略」、
      「植民地支配」、「痛切な反省」、「こころからのお詫び」が入るかどうかという内外の関心には、なるほど「全部入れま
      した」と答えられるようになっている。しかし、談話を読めば明らかなように、最初の2つは今後そういうことがあっては
      ならないという文脈での使用である。「侵略しました」、「植民地支配をしました」と言っているわけではない。後の2つは
      「先の大戦における行い」について「我が国」はその言葉を表明してきたという文章である。敗戦70周年時の首相とし
      て反省し、お詫びを言っているわけではない。そして相手は「インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、
      韓国、中国など、隣人であるアジアの人々」である。結局、この4つの言葉の使い方で分かるのは、まず安倍首相は日
      本が「侵略しました」「植民地支配をしました」とは言いたくない。第2に、ほかの国々と並べることで中国、韓国を特別
      扱いしたくない、はっきり言えば中国、韓国に頭を下げるのではない、ということだ。隠すより現るる、とはこのことだ。
      このくだりの最後に、「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」とあるが、村山、小泉両談話
      は、日本の行った「侵略」、「植民地支配」に「反省」と「お詫び」を表明したのだから、この安倍談話を「こうした歴代内
      閣の立場」と言うのは明白なすり替えである。村山、小泉両談話は今後、安倍談話に吸収されてしまう恐れがある。」
                                        (田畑光永「小賢しさの限りを尽くした安倍談話」2015.08.15)

      「3300字に及ぶ戦後70年「安倍談話」の冗漫さは極まる。発表までに二転三転、迷走したあげく「侵略」「植民地支
      配」「痛切な反省」「おわび」の言葉だけは盛り込んだ。それも傍観者的に引用する形で、脈絡はなく、覚悟も心もなし。
      「私は」の主語がないどころか、慰安婦問題への記述もなく、かつ日本の加害責任には全く触れず。首相自らの歴史
      認識はあいまいにしたままだ。「どのような行為が侵略に当たるかは歴史家の議論に委ねるべきだ」などと、いまだ
      に強弁する始末。率直に加害の過去を反省した村山・小泉両談話の姿勢とは大違い。両談話は「私は」という主語を
      はっきり使い、謝罪意思を明確にした。だが「安倍談話」には、それがない。憲法の「け」の字もない。世界に誇るべき
      「憲法9条」の、日本の平和主義と不戦の誓いは、今こそ広く世界にアピールすべきではないか。15日の戦没者追悼
      式でも、安倍首相は3年続けて触れず、加害責任への言及も避け、天皇陛下の「深い反省」という言葉との隔たりは
      際立つ。さらに「積極的平和主義」の美名をかぶせて、「戦争法案」を強行するのは、どういう神経だ。これでは言葉の
      裏から鎧が透けて見える。世界から鋭く批判されるのは当然だ。」(Daily 
 JCJ【今週の風考計】2015年8月16日)

なお、安倍首相の「戦後70年談話」全文は以下。
http://www.sankei.com/politics/print/150814/plt1508140016-c.html


東本高志@大分
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