[CML 039161] 今日も報道特集、大切な番組を。そして深夜に関西テレビがザ・ドキュメント 軍神 〜忘れられた兵士たち〜
京都の菊池です。
ekmizu8791 at ezweb.ne.jp
2015年 8月 15日 (土) 17:41:53 JST
今日も報道特集、大切な番組を。そして深夜に関西テレビがザ・ドキュメント 軍神 〜忘れられた兵士たち〜
転送・転載歓迎
京都の菊池です。
今回も
報道特集 | TBSテレビ
毎週土曜午後5:30〜 TBS系列で放送
毎週月曜午後11:30〜 TBSニュースバード(CS)で再放送
http://www.tbs.co.jp/houtoku/
は、大切な番組を放送していると思います。
8月15日の放送
今日は、17:00〜18:50とのこと。
ただいま放送中。
上記番組ホームページより
戦争を忘れた東京の70年〜ドイツと中国で見た被害と加害
約10万人が死亡した1945年3月の東京大空襲。
遺体は仮埋葬を経て、墨田区にある納骨堂に収められたが、身元の特定は不可能だ。
遺族は遺骨を引き取ることもできず、犠牲者の名前もきちんと記録されてこなかった。
やり切れない思いを抱く遺族を取材した。
また、同じく空襲を受けたドイツと中国、そしてアメリカの取材を通じて、
被害と加害の問題を考える。
とのこと。
報道特集のキャスター金平さんのブログ
金平茂紀ブログ ハートに火をつけて
http://tbs-blog.com/houtoku-kanehira/
もご覧ください。
最新として、
#221 創価学会員が実名で安保法案反対
2015/08/12 10:09
http://tbs-blog.com/houtoku-kanehira/30347/
がアップされています。
関西テレビ
http://www.ktv.jp/
が、
今日深夜、
報道局『ザ・ドキュメント 軍神 〜忘れられた兵士たち〜』
http://www.ktv.jp/sengo70/index.html
8月15日(土)深夜1:35〜2:30
報道局が作るのは、『ザ・ドキュメント 軍神 〜忘れられた兵士たち〜』。
キーワードは「歌」。
戦後70年の今年、「戦争法案」と揶揄される安全保障関連法案が衆議院で可決されました。
改めて、なぜ当時の国民が先の大戦を受け入れたのかを考え、今を見つめ直します。
を放送予定です。
(※別件ですが、
番組紹介を読んでとても興味深いのですが、
番組紹介で出てくる
今の状況についてを
・・・
「戦争法案」と揶揄される安全保障関連法案が
・・・
と「揶揄される」という表現をしたことについて
安全保障関連法案を
戦争法案と呼ぶ人は、
戦争法案という言葉を、揶揄-からかいの気持ちでは、使っていないと思うので、
真剣に怒って使っていると私は思います。
だから、揶揄と表現したことを不思議な感覚だなと思いました。)
番組ホームページより
詳しく
http://www.ktv.jp/document/index.html
番組紹介
関西テレビでは1958年の開局以来、さまざまなドキュメンタリーを制作してまいりました。
1982年からは「ドキュメントα」の枠タイトルで、エリアに密着したドキュメンタリーを定期的に制作、
2001年からは「ザ・ドキュメント」として、
現在も単発ドキュメンタリーとともに、「その時代の、その地域に暮らす、その人々を」記録しています。
2015年8月15日(土)25:35〜26:30
企画意図
戦後70年の今年、「戦争法案」と揶揄される安全保障関連法案が衆議院で可決された。今、改めて、なぜ当時の国民が先の大戦を受け入れたのか考える。
内容
日本が戦争へ大きく舵を切った出来事の一つは「満州事変」だ。
このころを境に
大新聞が軍の批判をやめ、国民の目に触れる記事は、軍の意見を反映したものばかりになる。
そして、娯楽であるはずの歌にも軍部の思惑が表れだす。
満州事変の翌年、1932年第一次上海事変のさなか、一般の兵士から英雄が現れる。
中国との戦いのなかで、自爆覚悟で敵方に突入し死んだとされる3人の若者だ。
新聞社は彼らを肉弾三勇士などと呼び、歌を公募、3人は歌となって子供たちにまで浸透していった。
当時、歌を熱狂的な気持ちで歌った10代が、後の太平洋戦争で主力となる。
歌のなかの兵士は、死後も「ある役割」を期待された。
三勇士の次に歌となった兵士は、
太平洋戦争真珠湾攻撃の「特殊潜航艇」の9人だ。
死を覚悟の出陣だったとして軍神と奉られ、次々に歌が作られた。
戦の神「軍神」とされ、彼らは英雄になった。「9軍神」が華々しく発表された一方で、
この話には大きな秘密があった。
作戦には10人が参加していたが、一人が捕虜になっていたのだ。
当時は恥ずべきものとされた捕虜。海軍はその存在を抹殺し、9軍神のみを広めるように努めた。
「軍神」は、沖縄戦の前にも現れた。
沖縄での戦意高揚が進まない中、
見出されたのが
沖縄県与那国島出身で、ガダルカナル島で戦死した兵士だ。
この兵士、大舛松市中隊長も歌となり、教育現場で広められた。
沖縄では多くの学生が地上戦に動員され亡くなった。
「大舛中隊長」の出現は絶妙の時期で、多くの若者に「中隊長に続け」と思わせるのに十分だった。
当時は人々が熱狂し、今は誰も歌わない歌。
歌のなかの兵士は、
非合理な精神世界を納得させるのに使われ、娯楽産業の時局便乗にも利用された。
しかし、そうした兵士や歌に熱狂したのは、国民の側にも受け入れる素地があったと言える。
兵士が歌になった背景にどんな事があったのか、
どういう立場の人が何を語っていたのか。
戦争という言葉が急に身近になってきた今、
あの時代、国民が見聞きした出来事を改めて考える報道ドキュメンタリー。
ディレクター:柴谷真理子(関西テレビ報道センター)
とのこと。
菊池
ekmizu8791アットezweb.ne.jp
(菊池へ送信の場合、アットの部分を@に直して送信してください。菊池)
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