[CML 039145] "ISIS反乱軍に見せかけて”イギリス特殊部隊SASがシリアでアサドと戦っている

檜原転石 hinokihara at mis.janis.or.jp
2015年 8月 14日 (金) 09:39:17 JST


檜原転石です。

イスラエルは欧米植民地主義の最前線、まあ分かりやすく言い換えると、植民地
主義者がやりたいことをイスラエルは歴史の被害を独占して涙を流しながら平然
とやっているということ。そしてパレスチナ人へのユダヤ・ナチの蛮行を国民が
ほぼ支持するのも実は簡単で、国民がウソで固めた神話(ユダヤ人が離散したな
ど)を信じて、かつ子どもの時からの洗脳で人種差別主義者に仕立て上げられて
いるということ。イラン・パペによれば、イスラエルのユダヤ人が教育やメディ
アなどを通して生まれてから死ぬまで受け取る明確な一つのメッセージ―─パレス
チナ人など傍にいないことが最善だ!

かように中東にはテロ国家イスラエルが存在し、昔から混乱と暴力と不正義を蔓
延させていて、かつそこではまたテロ国家アメリカが主導して石油国有化後のイ
ランをぶちこわしたり、イラクなどを戦場とする戦争状態を作り出す。また過激
宗教を煽る手法でも中東に混乱と暴力を蔓延させる。

「平和は誰でも望んでいる」などというお人好しの言葉がよく聞かれるが、強欲
のための殺人が必須の連中がいることを決して忘れてはいけない。

 石原産業・石原廣一郎の本音──「イギリスの植民地下での事業はうま味がな
い。俺はマレーシアからは引き上げる。今度戻ってくるときには、日本軍を連れ
て戻ってくる。」を私たち貧乏人は「肝に銘ずる」べきである。私たちの主要な
敵は強欲拝金主義者・ガリガリモウジャなのである。



★分断して統治せよ!

米国では白人至上主義者が黒人9人を教会で銃殺し、警察もまた頻繁に丸腰の黒
人を射殺している。米国といえば奴隷制度が昔あったことで有名だが、それ以前
には、虐げられていた白人・黒人・先住民(インディアン)などが“みんな団結し
て植民地支配層に立ち向かっていた”。それに恐れをなした支配層は“分断して統
治する”ための戦術として奴隷制度を案出した。その結果の効果が白人貧困層の
人種差別主義者が黒人を襲う米国の今──。

▼イラン石油国有化後のCIAの策謀
マーク・ガシオロフスキー(Mark Gasiorowski)
ルイジアナ州立大学政治学教授、バトン・ルージュ
訳・柏原竜一
http://www.diplo.jp/articles00/0010-2.html



▼まず最初にタクフィール(背教徒宣告)をして、その後で殺す
http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/39257532.html

・・・
 植民地主義はこれまでつねに、〔イスラーム世界に〕対立を持ち込むためにタ
クフィールという武器を用いてきた。そして、〔イスラーム世界を〕分裂させ、
自らの政治的願望を実現させるために、エジプトやシリア、イラク、その他のイ
スラーム諸国でタクフィールというまさに同じ武器を、今も用いているのである。

▼ちきゅう座

ジョン・ピルジャー:ファシズムの台頭が再度問題になる現実

2015年 3月 28日

 <松元保昭:スペイン在住>
http://chikyuza.net/archives/51995

・・・

密かにイギリス特殊部隊[SAS]に供給され訓練された多くの「反体制派」が
ISISとなっていた。彼らの最新のビデオ は、スルトで捕えられた21人のコ
プト・キリスト教徒労働者の打ち首を見せている。その都市スルトは彼らのため
にNATO爆撃によって破壊されていた。



オバマ、キャメロン、そしてオランドにとって、カダフィの本当の罪は、リビア
の経済的自立 およびアフリカ最大の石油備蓄をUSドルでの売却を停止すると
いう彼の公然とした意志であった。オイルダラーは米帝国権力の支柱である。
カダフィは大胆にも、オール・アフリカ銀行を設立して金で保証される共通のア
フリカ通貨に同意し、また価値ある資源がありながら貧しい 国々のあいだで経
済統合を促進する予定でもあった。これが生じようと生じまいと、アフリカに
「参入」し軍事「提携」でアフリカ諸国の政府 を買収しようとしている米国に
とっては、まさにこの考え方が耐え難いものだった。

▼「アフガンのイスラムはワシントンが作り上げた」ブレジンスキー氏が認める
http://www.ne.jp/asahi/home/enviro/news/peace/blum-J


▼ジョン・ピルジャー:ファシズムの台頭が再度問題になる現実
http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/39637180.html

・・・

《アフガニスタン》

 「今夜、9・11以降はじめて、アフガニスタンにおけるわれわれの戦闘任務
は終わった。」 これが、オバマの2015年一般教書演説の冒頭の言葉だった。実
際には、約10000人の部隊と20000人 の軍事請負業者[傭兵]が アフガニスタンに
期限は設けない形で留まっている。「アメリカの歴史でもっとも長い戦争が賢明
な結末を迎えている。」とオバマは語った。 事実は、アフガニスタンでは2014
年、国連が統計をとりはじめて以来どの年より も多くの民間人が殺害された。
過去にアフガニスタンで殺された人々の大多数は―民間人も兵士も含み―オバマの
大統領任期中に殺害されていた。

アフガニスタンの悲劇はインドシナ半島のとてつもない犯罪に匹敵する。アメリ
カの卓越した 戦略地政学の権威、アフガニスタンから現在に至るまでの米基本
方針のゴッドファザー、ズビグネフ・ブレジンスキーは、その称賛され非常によ
く引用された著書『壮大なチェス盤』で、もしアメリカがユーラシアを支配し世
界を牛耳るというなら大衆民主主義を維持することはできないと書いた。なぜな
ら「覇権の追求という目的は大衆の熱烈な支持を集めることはないのだから、…
デモクラシーは帝国の動員に対立するのだ。」彼は正しい。ウィキリークスとエ
ドワード・スノーデンが暴露したように、監視・警察国家はデモクラシーを侵害
する。1976年、カーター大統領当時の国家安全保障補佐官ブレジンスキーは、ア
フガニスタンの最初にして唯一のデモクラシーに致命的打撃を与えて彼の論点を
証明してみせた。この重要な歴史を誰が知ろう?

1960年代、地球上の最貧国アフガニスタンに民衆革命が瞬く間に広がった。やが
て1978年には封建貴族体制の残存政権が打倒された。アフガニスタン人民民主党
[PDPA]が政府を結成し、封建 制度の撤廃、すべての宗教の自由、女性の平
等な権利、そして少数民族の社会的公正を含む改革プログラムを宣言した。
13000人以上の政治犯が解放され、警察の犯罪ファイルが公然と焼却された。



 新政府は、極貧層のために無料診察を導入し始めた。日雇労働の身分は廃止さ
れ、大規模な基礎教育プログラムが開始された。女性にとっての進歩は前代未聞
だった。1980年代後半には大学生の半数は女性だった。またアフガニスタンの医
師の半分、公務員の三分の一、そして大多数の教師が女性で占められていた。
女性外科医セイラ・ノーラニィが思い出を語った。「全ての女子が高校にも大学
にも行くことができました。私たちは好きなものを着て行きたいところへ行くこ
とができました。いつもカフェに入り、金曜日には新しいインド映画を観に劇場
に行き、新しい音楽を聴いていました。ムジャヒディーンが勝利し始めたときす
べてが悪くなり始めました。彼らは教師たちを殺して学校を燃やしたものです。
私たちはとにかく怖かったのです。これらの人々が欧米が支援した連中だと考え
ると、腹が立って悲しくなったのです。」



 PDPA政府はソ連に支援されたが、元国務長官サイラス・ヴァンスが後で認
めたように、「[革命における]どんなソ連の共謀もまったくその証拠はなかっ
た」。世界の至るところで解放運動への信頼性が高まっていることに不安を覚え
たブレジンスキーは、もしアフガニスタンがPDPAのもとで成功した場合、そ
の独立と進歩は「前途有望 な実例となる脅威」を提供することになろうと判断
した。



1979年7月3日、ホワイトハウスは、米国兵器とその他の援助で年間5億ドル以上
にもなるプログラムで部族の「原理主義者」グループいわゆるムジャヒディーン
への支援を密かに認可した。そのねらいは、アフガニスタンで初めてとなる世俗
的(非宗教的)な改革派政府を打倒することだった。1979年8月に、カブールの
米国大使館は、「合州国のより大きな利益のためには、…アフガニスタンにおい
ては将来の社会的経済的改革を意味するかもしれないが、これがどんなに後退し
ようとも[PDPA政府]の打倒が得策 となるだろう。」と報告した。イタリッ
ク体は私のもの。



ムジャヒディーンはアル=カイダおよびイスラム国の原型となった。彼らの中に
は、CIAから現金で何千万ドルも受け取っていたグルブディーン・ヘクマティ
アルがいた。ヘクマティアルの専門は、アヘンの密輸売買とベールをかぶること
を拒否した女性の顔に酸を投げつけることだった。ロンドンに招かれた彼はサッ
チャー首相に「自由戦士」と称賛された。

もしブレジンスキーが、世俗的・政治的解放運動を弱体化しソ連を「不安定化」
させる目的で、その自伝で書いたような「過激化されたイスラム教徒何人か」を
生み出すことによって中央アジアでイスラム原理主義を促進する国際的運 動を
始めていなければ、このような狂信的な人間たちはそれぞれの部族的世界に留
まっていたであろう。彼の壮大な計画は、パキスタンの独裁者で地域を支配しよ
うとする将軍ジア・ウル・ハクの野心と一致した。1986年に CIAとパキスタ
ン諜報機関ISIは、アフガニスタン・ジハードに参加させるため世界中から
人々をリクルートし始めた。サウジの大富豪ウサマ・ビン・ラディンはそのうち
の一人だった。やがてタリバーンとアル=カイダに 加わった工作員たちは、
ニューヨーク・ブルックリンのイスラミック・カレッジに徴募されヴァージニア
のCIAキャンプで準軍事的な訓練を受けた。これは「サイクロン計画」と呼ば
れた。1996年、アフガニスタン最後の PDPA大統領(国連総会に助けを求め
ていた)ムハンマド・ナジーブッラーがタリバーンによって街頭で首をつるされ
たとき、この計画は成就された。



サイクロン計画とその「過激化されたイスラム教徒何人か」の「反動」が、2001
年9月11日であった。サイクロン計画は、アフガニスタンからイラク、イエメ
ン、ソマリア、そしてシリアと、ムスリム世界の至るところで無数の男たち、女
たち、子どもたちの命を奪う「対テロ戦争」となった。戦争執行者のメッセージ
は 当時も今も変わらない―「あなたは米国の味方か、そうでなければテロリスト
の味方だ。」




▼見つけた 犬としあわせ
August 07, 2015
 ISIS戦闘員に見せかけて戦う
http://tequilamama.blogspot.jp/
◇"ISIS反乱軍に見せかけて”イギリス特殊部隊SASがシリアでアサドと戦っている


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