[CML 039086] Re: ★小柄な女傑=増田先生が右翼テロ覚悟で出した「昭和天皇は戦争を選んだ!」の購読を!図書館にも!(戸田)
masuda miyako
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2015年 8月 11日 (火) 10:56:10 JST
原転石様
こんにちは。増田です。
> 今アマゾンを覗いたら、在庫がかなりあるようです。
> 早速、ツイートで紹介しておきました。
>
ありがとうございます! 実は、社会批評社から「1000冊、増刷した」と連絡がありました。これでも、全部で2500冊ですから、2015年現在でも育鵬社教科書の使用を強制されている中学生4万人に比べれば「焼け石に水」なんですが…
なんとか、育鵬社の「歴史偽造・日本国憲法敵視」教科書を使うことを強制される中学生の保護者の方には一人でも多く、また、育鵬社教科書とは無関係な方にも、一人でも多く、目を通してもらいたいです!
> さて、安保んたんヒロヒトは、戦前は戦争犯罪人で世界一の金持、敗戦後は沖縄
> を売り、安保に関与して本土も米軍基地として売った言葉の正確な意味での売国
> 奴ですが、これらについて、5年前の8月15日の中日新聞社説では、私のよう
> な上品な表現ではなく以下のように取り上げられていました。
>
この社説は知りませんでした。ご紹介、ありがとうございます。ただ「安保の呪縛(じゅばく)は戦後の日本外交から矜持(きょうじ)も気概も奪いました。」は、本当は「昭和天皇の呪縛(じゅばく)は戦後の日本外交から矜持(きょうじ)も気概も奪いました。」ですよね…ま、商業新聞では、これが限界でしょう。他紙は、この程度のことも書けないでいますから…
そして、中日新聞社説もですが、「昭和天皇の行為は絶対的日本国憲法違反、憲法破壊活動の許されざる政治干渉だ」ということは、現在もどこの新聞でも書けないでしょうね。「天皇の政治利用」なんてトンチンカンなことばっかり書いて、「天皇こそが、違憲の政治利用・政治干渉をして、日本の針路を捻じ曲げたのだ」という事実は、どうしても報道できないようです。
また、「佐藤栄作首相の密約を交わしてまでも」ですが、「有事の核持ち込み」を密約する佐藤首相に、若泉が「ポスト・佐藤、つまり後継者を拘束するような保証(米が)してもらいたい、と要求してくるかもしれません」と言った時、佐藤は「君、最後には天皇陛下だよ。陛下がおられる限り、大丈夫だ」と言っています(『他策ナカリシヲ信ゼムト欲す』P337)
たいへんまじめな若泉は、もちろん、昭和天皇が敗戦後から、ず~~っと政治干渉し、厚かましくも、国民主権下の、彼の臣民ではない首相に違憲の指図をしていた事実など全く知りませんし、夢にも考えられなかったでしょうから、「それは、つまり、かりに自民党政権が崩壊したとしても天皇がおられるかぎり日本という国は確固として存続する。そして、そうであるかぎり、アメリカとの友好関係は維持されるであろう。だから、こういう日本を信頼してもらいたい、ということであったろう。」(『同』)と書いています。
でも、佐藤日記が証明していますが、佐藤は常に昭和天皇に政治・政策・情勢を内奏し、あれこれ、指図を受けていたと思いますから、私は、この「有事核持ち込み密約」についても、絶対に、昭和天皇の、違憲の政治干渉としての支持・指示を受けていたに違いない! と確信するものです。でなければ、こんな言葉は出てこないでしょう。
ただ、何しろ、証拠はないので…佐藤もたぶん死後の出版を予想していたのか、日記でも肝心なところは書いてませんし…拙著『昭和天皇は戦争を選んだ!』には、載せられませんでしたけど…
> というわけで、これからは“当たり前の天皇ヒロヒト批判”を“多数でやる”という
> のが本当の意味での言論の自由の行使ですね。
>
同感です! ただ、前記したように、本当に控えめに昭和天皇の安保政策干渉については触れられるようになっても、現在のマスゴミ状況では、やっぱり、菊タブーは打ち破れないのではないか、「“当たり前の天皇ヒロヒト批判”を」やっぱり「“少数でやる”」ことをやり続けていくしかないのではないか、と思います。
拙著を新聞記者たちの必読文献(笑)にすれば、あんまり、トンチンカンな記事は書けなくなるだろう、とは思うんですけどね…
> ▼2010年8月15日 中日新聞 社説
> 歴史は沖縄から変わる 終戦の日に考える
> http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/38356300.html
>
> 鳩山由紀夫前首相を退陣させた普天間基地問題は、沖縄の戦後がなお終わって
> いないことを告げる事件でした。歴史は沖縄から変えねばなりません。
>
> 「米国に依存しつづける安全保障、これから五十年、百年続けていいとは思
> わない」。前首相の辞任演説。同感なのですが、いったいこの米国依存の体質は
> どこからきたのでしょうか。
>
> その疑問に答えてくれたのが岩波現代文庫の「昭和天皇・マッカーサー会
> 見」に収められた豊下楢彦関西学院大学法学部教授の論考で、意外なことに「昭
> 和天皇」というのが回答でした。
>
> ■昭和天皇の至上課題
>
> 昭和天皇研究は平成になって飛躍的に発展したとされます。「昭和天皇独白
> 録」や元宮内庁長官の「富田メモ」など重要資料の発見が相次いだからです。膨
> 大な未解明資料を解読した豊下教授の研究は従来の昭和天皇像、戦後史観を根底
> から覆します。
>
> 敗戦で昭和天皇が直面したのは言うまでもなく戦犯としての訴追と憲法改正
> による天皇制消滅の危機でした。マッカーサー元帥の協力で極東軍事裁判を切り
> 抜け、新憲法で象徴となった天皇が直面した次なる危機が共産主義の脅威。昭和
> 天皇にとり日本を守ることと天皇制を守ることは同義でした。
>
> 非武装が日本の最大の安全保障とする理想主義のマッカーサーに対して昭和
> 天皇はリアリストでした。憲法九条や機能不全の国際連合では日本を守れず、米
> 軍依拠の天皇制防衛の結論に至ったといいます。
>
> かくして、「米軍駐留の安全保障体制の構築」が昭和天皇の至上課題とな
> り、象徴天皇になって以降も、なりふり構わぬ「天皇外交」が展開されたという
> のが豊下説の核心部です。
>
> 例えば一九四七年九月、宮内省御用掛寺崎英成を通じてマッカーサーの政治
> 顧問シーボルトに伝えられた有名な天皇の沖縄メッセージは「米国による琉球諸
> 島の軍事占領の継続を望む」「米国による沖縄占領は共産主義の影響を懸念する
> 日本国民の賛同も得られる」などの内容。沖縄の戦後の運命が決定付けられてし
> まったかもしれません。
>
> ■安保下の新たな国体
>
> 五一年締結の安保条約については、吉田茂首相が米国務省顧問のダレスの再
> 軍備要求を断固拒否、軽武装・経済第一の戦後路線を敷いたというのが通説です
> が、ダレスの要求は米軍の基地自由使用権だった。その要請は天皇によって満た
> されたといいます。
>
> 豊下教授は、もう一つの戦後史・安保体制という新たな「国体」を描き出し
> ますが、独立国をめざす気概が存在した当時の外務省、もし天皇外交がなければ
> 日本外交は選択肢の幅を広げ、より柔軟なダイナミズムを発揮し得たと想像しま
> す。安保の呪縛(じゅばく)は戦後の日本外交から矜持(きょうじ)も気概も奪
> いました。
>
> 沖縄返還は七二年五月でした。ここでも基地負担軽減の県民の悲願は達成さ
> れませんでした。
>
> 佐藤栄作首相の密約を交わしてまでもの核抜き・本土並みの返還要求でした
> が、米側はしたたか。核をカードに狙いは基地の自由使用。懸念された通り基地
> の固定化になってしまいました。誠実、誠意が手玉に取られた格好でした。
>
> 佐藤首相の密使として奔走した国際政治学者若泉敬氏は「他策ナカリシヲ信
> ゼムト欲ス」の著書を残して九六年七月、自殺しています。「鋭利な刃で五体を
> 剔(えぐ)られるよう」な自責と結果責任からとされます。無念は引き継がれな
> ければなりません。
>
> ・・・
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