Re: [CML 039049] ★小柄な女傑=増田先生が右翼テロ覚悟で出した「昭和天皇は戦争を選んだ!」の購読を!図書館にも!(戸田)

檜原転石 hinokihara at mis.janis.or.jp
2015年 8月 11日 (火) 06:48:28 JST


檜原転石です。

増田さん、こんちは。


昨日は私のメールがスパム扱いで戻ってきて数通投稿できなかったので、改めて
の投稿です。



今アマゾンを覗いたら、在庫がかなりあるようです。

早速、ツイートで紹介しておきました。

さて、安保んたんヒロヒトは、戦前は戦争犯罪人で世界一の金持、敗戦後は沖縄
を売り、安保に関与して本土も米軍基地として売った言葉の正確な意味での売国
奴ですが、これらについて、5年前の8月15日の中日新聞社説では、私のよう
な上品な表現ではなく以下のように取り上げられていました。

というわけで、これからは“当たり前の天皇ヒロヒト批判”を“多数でやる”という
のが本当の意味での言論の自由の行使ですね。



▼2010年8月15日 中日新聞 社説
歴史は沖縄から変わる 終戦の日に考える
http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/38356300.html

 鳩山由紀夫前首相を退陣させた普天間基地問題は、沖縄の戦後がなお終わって
いないことを告げる事件でした。歴史は沖縄から変えねばなりません。

  「米国に依存しつづける安全保障、これから五十年、百年続けていいとは思
わない」。前首相の辞任演説。同感なのですが、いったいこの米国依存の体質は
どこからきたのでしょうか。

  その疑問に答えてくれたのが岩波現代文庫の「昭和天皇・マッカーサー会
見」に収められた豊下楢彦関西学院大学法学部教授の論考で、意外なことに「昭
和天皇」というのが回答でした。

■昭和天皇の至上課題

  昭和天皇研究は平成になって飛躍的に発展したとされます。「昭和天皇独白
録」や元宮内庁長官の「富田メモ」など重要資料の発見が相次いだからです。膨
大な未解明資料を解読した豊下教授の研究は従来の昭和天皇像、戦後史観を根底
から覆します。

  敗戦で昭和天皇が直面したのは言うまでもなく戦犯としての訴追と憲法改正
による天皇制消滅の危機でした。マッカーサー元帥の協力で極東軍事裁判を切り
抜け、新憲法で象徴となった天皇が直面した次なる危機が共産主義の脅威。昭和
天皇にとり日本を守ることと天皇制を守ることは同義でした。

  非武装が日本の最大の安全保障とする理想主義のマッカーサーに対して昭和
天皇はリアリストでした。憲法九条や機能不全の国際連合では日本を守れず、米
軍依拠の天皇制防衛の結論に至ったといいます。

  かくして、「米軍駐留の安全保障体制の構築」が昭和天皇の至上課題とな
り、象徴天皇になって以降も、なりふり構わぬ「天皇外交」が展開されたという
のが豊下説の核心部です。

  例えば一九四七年九月、宮内省御用掛寺崎英成を通じてマッカーサーの政治
顧問シーボルトに伝えられた有名な天皇の沖縄メッセージは「米国による琉球諸
島の軍事占領の継続を望む」「米国による沖縄占領は共産主義の影響を懸念する
日本国民の賛同も得られる」などの内容。沖縄の戦後の運命が決定付けられてし
まったかもしれません。

■安保下の新たな国体

  五一年締結の安保条約については、吉田茂首相が米国務省顧問のダレスの再
軍備要求を断固拒否、軽武装・経済第一の戦後路線を敷いたというのが通説です
が、ダレスの要求は米軍の基地自由使用権だった。その要請は天皇によって満た
されたといいます。

  豊下教授は、もう一つの戦後史・安保体制という新たな「国体」を描き出し
ますが、独立国をめざす気概が存在した当時の外務省、もし天皇外交がなければ
日本外交は選択肢の幅を広げ、より柔軟なダイナミズムを発揮し得たと想像しま
す。安保の呪縛(じゅばく)は戦後の日本外交から矜持(きょうじ)も気概も奪
いました。

  沖縄返還は七二年五月でした。ここでも基地負担軽減の県民の悲願は達成さ
れませんでした。

  佐藤栄作首相の密約を交わしてまでもの核抜き・本土並みの返還要求でした
が、米側はしたたか。核をカードに狙いは基地の自由使用。懸念された通り基地
の固定化になってしまいました。誠実、誠意が手玉に取られた格好でした。

  佐藤首相の密使として奔走した国際政治学者若泉敬氏は「他策ナカリシヲ信
ゼムト欲ス」の著書を残して九六年七月、自殺しています。「鋭利な刃で五体を
剔(えぐ)られるよう」な自責と結果責任からとされます。無念は引き継がれな
ければなりません。

・・・


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