[CML 039023] 広島のチェ・ゲバラ

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2015年 8月 8日 (土) 02:05:13 JST


 坂井貴司です。
 転送・転載歓迎。
 
 フィデル・カストロと共にキューバ革命を成功させたエルネスト・チェ・ゲバ
ラはキューバの外交を担当しました。
 
 彼は日本に一度来たことがあります。
 その特集番組の動画がユーチューブにあります。
 
 Che Guevara visit Hiroshima 1959年 ゲバラ来日秘話
 https://www.youtube.com/watch?v=13ttgkR3gCU&feature=youtu.be

 ゲバラは債務と砂糖貿易に関する問題で、後に首相になった池田勇人と交渉し
ました。会談後、池田は「あんな若造が外交を担っているとは、キューバはどう
かしている」と嗤ったそうです。

 ゲバラの来日の目的は貿易交渉でしたけれど、それとは別の目的がありました。
砂糖に依存するモノカルチャー経済であるキューバを工業化するモデルとして、
日本を視察することでした。資源が乏しい島国である日本は、キューバを工業国
にするためのモデルになりうるとゲバラは思っていました。ゲバラは各地の工場
を熱心に見て回りました。

 その中でゲバラは予定になかった広島を訪問しました。これは靖国神社参拝を
断ったことで実現したものでした。

 日本の外務省官僚は、ゲバラに靖国神社を参拝するよう強く勧めました。しか
しゲバラは、「帝国主義のために闘った者たちを祀る場所には行きたくない」と
断りました。そして「原爆が投下された広島に行きたい」と言いました。

 半ば強引に広島に行ったゲバラは、原爆資料館を見ました。溶けたガラス瓶、
人影が焼き付いた写真などの原爆の遺品を見たゲバラは、大きなショックを受け
ました。怒りのあまり、ゲバラは「なんで日本はここまでされて怒らないんだ?」
と言いました。

 広島に24時間滞在したゲバラは原爆ドームなどの写真を撮影しました。ゲバ
ラは一時期写真屋をしたことがあったため、写真撮影の技術はプロ並みでした。

 キューバに帰ったゲバラはカストロに広島で見たことを話しました。
 その後、キューバの教科書に広島と長崎の原爆投下の記述が記載されるように
なりました。

 後年、ゲバラはキューバ政府の要職の地位を捨て、「私は人類の敵であるアメ
リカ帝国主義を打倒するために戦う」と書いた手紙をカストロに残して、ボリビ
アでゲリラ戦を行い、敗北して処刑されました。

 ゲバラのアメリカ帝国主義への強い怒りは、広島訪問が一因だったのではない
かと私は思います。 

坂井貴司
福岡県
E-Mail:donko at ac.csf.ne.jp
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「郵政民営化は構造改革の本丸」(小泉純一郎前首相)
その現実がここに書かれています・
『伝送便』
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