[CML 038925] 被害者体験だけでは侵略が止められない理由

檜原転石 hinokihara at mis.janis.or.jp
2015年 8月 2日 (日) 09:26:09 JST


檜原転石です。


安保法案を戦争法案と呼んでも、まだまだ駄目なわけは、戦場がどこかが想起さ
ないから。戦争法案を“侵略戦争法案”とちゃん正しく呼べば、安倍晋三のやりた
い事がすぐ分かる。

敗戦後、日本は米国の侵略戦争に協力しながら大儲けをしてきたが、そんな中で
も被害者体験だけでは十分ではないがある程度は語られてきた。しかし加害者体
験の方はほとんど語られてこなかった。

大空襲や原爆などで悲惨な目にあうのは嫌だから戦争は嫌だと言いながらも、日
本人は、戦場が国外の侵略にはずーっと協力したわけで、加害者体験がほとんど
語られないことの意味の本質は明白だ。

南京事件を描く映画が妨害されるのも同様の理由で、2000万人以上アジア人
を殺した日本人の犯罪の歴史だけは日本の支配層は国民には忘れて欲しいわけだ。

南京陥落を提灯行列で祝った土地強盗殺人共鳴者・差別主義者になっていた国民
も、多少とも罪の意識もあるので、支配層の欲望にある程度まで従ってしまう。

要するに、被害者体験だけでは侵略は止められない。「ひどい目にあわないため
に敵を先やっちまえ!」でもう終わり。




▼反戦のふりをした戦争肯定映画『永遠の0』にだまされるな! 本当の反戦とは
何か、ジブリ高畑勲監督の言葉をきけ!
http://lite-ra.com/2015/07/post-1342.html

・・・
だが、高畑監督の言うように、死にたくない、殺されたくないというのは、一
見、戦争に反対しているように見えて、それだけで戦争を抑止する力にはならな
い、というのは事実だ。

 死にたくない、というだけなら、その先には必ず、死なないために、殺されな
いために相手を殺す、という発想が出てくるからだ。さらに、存在を放置してお
いたら自分たちが殺される、という理由で、先に攻撃を加えるようになる。

 実際、これまでの多くの戦争が「自衛」という名目で行われてきた。日本国憲
法制定時の総理大臣・吉田茂は「国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらる
るようであるが、私は斯くの如きことを認むることが有害であると思うのであり
ます。近年の戦争は多くは国家防衛 権の名に於て行われたることは顕著なる事
実であります。」と言ったが、先の戦争はまさにそうだった。日本はアジア各国
で『火垂るの墓』の清太と節子と同じように罪のない人たちを戦争に巻きこみ、
日本兵が殺されたように他国の兵隊や一般市民を殺してきたのだ。

 それは最近の戦争も変わらない。いや、ありもしない大量破壊兵器の存在を名
目にアメリカが始めたイラク戦争のように、「殺されたくないから先に殺す」と
いう傾向はますます強くなっている。自分は安全な場所にいてミサイルのスイッ
チを押すだけなら、戦争してもいいというムードさえ出てきている。

 本当の意味で戦争をなくそうとするなら、「死にたくない」だけでは足りな
い、「人を殺したくない」という気持ちこそが、はじめて戦争の抑止力となる。
おそらく高畑監督はそう言いたかったのだろう。


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