[CML 038914] 福島の「なりわい訴訟」の勝利の展望といまに続く「福島差別」との激しい落差について ――toriiyoshikiさんの「今日の言葉」とあふらんさんの連ツイの言葉の背後にある「希望」と「悲しさ」
higashimoto takashi
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2015年 8月 1日 (土) 20:55:48 JST
下記のtoriiyoshikiさんの「今日の言葉」とあふらんさんの「山中人間話」の連ツイは「対の言葉」として読まれるべきものだろうと
私は思います。武藤類子さんが「脱原発」運動界隈の注目を浴びて「時の人」になったのは2011年9月19日に東京の明治公園
で行われた「さようなら原発5万人(6万人)集会」を契機とするものでした。そして、「時の人」は、一躍スターのような存在になり
ました(庶民はいつの時代、いつの場合もスターをつくりたがる傾向を持っています。おそらく「見えないもの」を「見えるもの」に
したいという神代の時代からの物象化の欲求がそうさせるのでしょう)。あふらんさんが指摘しているように武藤さんの「感情に
うったえるやり方は人の心をつかみ」「歴史に残るスピーチ」として絶賛を浴びました。そうして武藤さんは「福島に対する『悲劇』
のイメージ」の形成者=ヒロインとなっていきます。しかし、その武藤さんの「情緒的な福島の悲劇」の語りは、「事実と違う福島
の不安と恐怖」を煽ることによって「福島に対する偏見」を固定化させていく役割をも担っていくことにもなりました。いまに続く
「福島差別」はそのことをよく物語っています。「いま福島をめぐって起きているのはまさに『思想戦』なのだ」という意味で「対の
言葉」として読まれるべきものだろう、というのが私の問題提起なのです。
【今日の言葉:ぼくはいま、その可能性に一縷の希望を託している】
朝日新聞「プロメテウスの罠・津波を争う」のシリーズが面白い。ぼくは「なりわい訴訟」の傍聴を可能な限り続けてきたが(略)、
福島第一原発が津波で深刻な影響を被りかねないのを東電と国が予め認識していたことを明らかにするこの連載の件は前半
戦のハイライト。何しろ東電(電事連)の内部資料だから、東電も国も正面切って否定はできない。傍聴してきたぼくの「心証」で
言えば、東電が大津波に耐えられない福島第一原発の危険性を認識しつつ対策に要する費用を惜しんで先送りにしてきたこと、
国も結果としてそれを追認してきたことが立証されたと思う。原発の推進が安全性を後まわしに経済性優先で行われてきたこと
が裁判の場で明らかになったということだ。これは当然、全国20ヶ所以上の裁判所に提起されている他の原発被害訴訟にも大
きな影響を与える。来年以降、東電に巨額の賠償責任を認める判決が全国の地裁で相次ぐというのがぼくのヨミだ。東電(国)
は当然控訴して引き伸ばしを図るだろうが、それにしても連続敗訴という事態になれば現在の賠償=東電の経営再建を国費を
投入して背後から支えるスキルは根底から崩れるだろう。原発再稼働の行方も大きく左右されざるを得ない。日本の司法に最
低限の健全さが残っていればきっとそうなる。東電と国に原発事故被害の補償を求める原告4千人の集団訴訟が「なりわい訴
訟」。裁判長の訴訟指揮を見ていると、裁判長はこの問題の勘所を正確に理解していることは間違いないと思う。被告の東電と
国は、原告の主張に対して説得力ある反論をすることができていない。それは誰の目にも明らかだと思う。「政権」(行政)が筋
の通らないメチャクチャをやって、与党安定多数の「議会」がそれを追認しても、三権分立の原則が健康に機能している限りは
「司法」で一定の歯止めをかけることができる。…ぼくはいま、その可能性に一縷の希望を託している。
(toriiyoshiki Twitter 2015年7月30日)
【山中人間話:武藤類子氏のスピーチの歪み】
「私たちはヒバクシャとなりました」ここで武藤類子氏が言う「私たち」とは誰なのか「ヒバクシャ」の定義は?そういうことが曖昧
なまま、情緒的に福島の悲劇が語られ、それが福島に対する偏見を産んだ一端だと「私は」思っています。しかし、この武藤類
子氏のスピーチや発言は当時絶賛されました。こういう感情にうったえるやり方は人の心をつかみます。聴いた人は福島に対
する「悲劇」のイメージを作り上げていきます。そして、その後検証されたデータに基づく見解は、なかなか広まりませんでした。
そして、今回の会見でも、武藤類子氏は「私たち被害者は『ようやくここまで来た』というおもい」と言っていますが「私たち被害
者」とは誰をさしているのでしょうか。武藤氏が原発事故直後から、こういう言い方を続けることも福島に「分断」をもたらすこと
になるのではと「私は」思っています。私が武藤類子氏の発言に賛同できないのは、(放射能が)「食べ物を通じてもどんどん拡
散されていく」「福島では、・・・みんなものすごい不安と恐怖の中で暮している」など、事実と違うことを今も言い続けているから
なのです。(あふらん 2015年8月1日)
引用者注:「事実」についてはたとえば以下(下段)をご参照ください。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1383.html
【山中人間話】
以下、省略。下記をご参照ください。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1422.html
東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/
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