[CML 034177] 澤藤統一郎弁護士の今回の東京地裁の「国立マンション訴訟判決」評価と私の上原公子元国立市長評価 附:デオニュース・ドットコムによる上原元国立市長・弁護団の記者会見動画と神保・宮台解説のニュース・コメンタリー

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2014年 9月 29日 (月) 15:20:58 JST


先日25日にあった東京地裁の国立マンション訴訟の判決後の国立市から訴えられていた被告の上原元国立市長と弁護団の記者
会見の模様がビデオニュース・ドットコムによってアップされています。
http://www.videonews.com/press-club/140925-kunitachi/

また、同マンション訴訟の判決の争点の整理と判決から浮かび上がってくる問題点の要点を同ドットコム主宰者でジャーナリストの
神保哲生さんと社会学者の宮台真司さんが同番組のニュース・コメンタリーで対論的に解説し、とても参考になる視点を提起してい
ます。国立マンション訴訟の今回の判決と同訴訟の今後のゆくえに関心のある人にとっては必見の番組といってよいでしょう。
http://www.videonews.com/commentary/20140927-01/

同番組の神保・宮台解説のニュース・コメンタリーによれば、今回の裁判の争点は、前裁判の判決(上原元市長の行為は「市長と
して求められる中立性・公平性を逸脱した」として、国立市に元市長への損害賠償請求を命じる2010年12月22日付東京地裁判決。
確定)を継承して、当然、1.上原元国立市長の明和地所に対する違法行為の有無、2.個人の賠償責任を認めている国家賠償
法第1条第2項に規定される「故意・重過失」の有無であるはずであったが、今回の判決は、同争点の判断を避けて、同判決直前
(約1年前)に国立市議会の請求権放棄の議決があったことを承けて同争点については判断するまでもない」として「現市長が市議
会の請求権放棄の議決に応じなかったことは権限の濫用にあたり、求償権行使は信義則に反する」と判示した。

しかし、同判決は、上記の争点については「判断するまでもない」と判示しながら、同争点に関して判示を補足するという位置づけで
裁判所としての判断も示している。その裁判官の補足的な判断が判事の同争点の判断に関する悩みの深さを示していてなかなか
興味深い。補足判断いわく「結局のところ上記各判決で違法行為だとされた被告上原の行為は個々の行為を単独で取り上げる場
合には不法行為を構成しないこともありうるけれども、一連の行為として全体的に観察すれば地方公共団体の長として社会通念上
許容される限度を超えており、明和地所に許されている適法な営業行為である本件建物の建築及び販売等を妨害したものと判断
せざるをえないという程度のものであって違法性が高いものであったと認めることはできない」。「結局のところ」違法なの? 違法で
はないの? と茶々を入れたくなる迷文である。ここに裁判官の懊悩の深さを読みとることができる。「結局のところ」裁判官は争点
の判断に関しては「俺にはよくわからん」から判示とせず(判示そのものは「国立市議会で請求権放棄の議決があった」ことを理由
に「求償権行使は信義則に反する」とした)、補足的見解に留めたのであろう。

神保・宮台コンビの解説はおおむねそのようなものでした。私としても納得できる解説でした。

私は前便で、澤藤統一郎弁護士の国立マンション訴訟における今回の東京地裁の判決に対するコメントをご紹介しました。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1010.html

その澤藤弁護士のコメントは「国立市議会の請求権放棄の議決」の評価に関する東京地裁判決の判示部分に関するコメントでし
た。今回の判決の補足的な判断に関するコメント、すなわち、上原元国立市長の明和地所に対する違法行為の有無に関するコメ
ントは基本的にありません。

しかし、その澤藤弁護士のコメントを上原元国立市長の違法行為の有無に関してのコメントのように受けとめ、同元市長に対する
国立市の賠償返還請求を棄却した今回の東京地裁判決の問題点を剔抉した「議会の請求権放棄の議決」の評価に関する同弁
護士の批判の試みを逆批判する向きがあります。

しかし、その逆批判は、今回の判決の判示と同判決の補足的見解とを混同して澤藤弁護士がコメントしていないことについて批判
しているもので、見当違いの批判というほかありません。

そうした批判者には「『公益」のために認められたたった一人でも行政の違法を質すことができる制度である住民訴訟の意義を議
会の多数決で無にすることは『正義」に適うことか」という前便でご紹介した澤藤弁護士の問題提起を改めて再考していただきたい
ものだと思います。澤藤弁護士の問題提起は民主主義の本質にかかわることだと私は思っています。

また、前回の判決(東京地裁、2010年12月22日)で「上原元市長の行為は『市長として求められる中立性・公平性を逸脱した』と指
摘された問題、今回の判決でも結論として上原元市長に対する国立市の賠償返還請求は棄却されたものの、裁判所の補足的な
判断として「被告上原の行為は個々の行為を単独で取り上げる場合には不法行為を構成しないこともありうるけれども、一連の行
為として全体的に観察すれば地方公共団体の長として社会通念上許容される限度を超えて(いる)と判断せざるをえない」とされて
いる点については、上原元国立市長を一個の政治家として評価しようとする場合十分に考慮しなければならない指摘といわなけれ
ばならないでしょう。

さて、この際、上記で述べたことと少し違う角度から、私の今回の判決も踏まえた上での上原公子氏評価も述べておきたいと思い
ます。

私には上原公子氏の政治家としての、あるいは市民運動家としての資質を考えようとするとき思い出すことがあります。それは先
の先の東京都知事選で宇都宮陣営の「候補者のスケジュール管理」の責任者であった澤藤大河氏がその自身の任務はずしの一
件について次のように証言していることです。

     「私は反論した。ここで一歩も退いてはならないと思った。直感的に、これは私だけの問題ではない。選挙共闘のあり方や、
     『民主陣営』の運動のあり方の根幹に関わる問題性をもっていると考えたからだ。まず、『命令』なのか確認をしたところ、
     上原公子選対本部長は『命令』だと明言した。私はこれは極めて重要なことと考え、上原選対本部長には『命令』する権限
     などないことを指摘した。お互いにボランティア。運動の前進のために、合理的な提案と説得と納得の関係のはず。上命下
     服の関係を前提とした『命令』には従えない、ことを明確にした。このときの上原公子本部長の表情をよく覚えている。彼女
     は、熊谷事務局長と目を合わせて、にやにやしながら、『この人、私の命令を聞けないんだって』と笑ったのだ。私はこの彼
     らの態度に心底怒った。」
     http://article9.jp/wordpress/?p=1783

同じボランティア同士の運動の中で「にやにやしながら、『この人、私の命令を聞けないんだって』と笑」うような人物を民主的政治家
として、あるいは市民運動家として評価することができるでしょうか? 私の答は明白に「否」です。実施にではなく、他者の経験を聞
くという形の経験でしかありませんが、その私の見聞した上原公子氏の姿勢は、民主的政治家としても市民運動家としても失格です。

上記のニュース・コメンタリーでも神保さんと宮台さんの今回の国立マンション訴訟の判決の評価は、「上原氏は判決は『市議会が
請求権放棄の議決をしたが、市長がそれに応じなかったことは権限の濫用にあたる』という理由であったとしても、前回からの裁判
の争点もメンションされて勝ったのだから『完全勝利である』と喜んでいるが、今回の裁判の争点部分は判決の直接の理由になって
いないし、また、争点部分の裁判所の判断も上記で述べているように「被告上原の行為は(略)一連の行為として全体的に観察すれ
ば地方公共団体の長として社会通念上許容される限度を超えて(いる)と判断せざるをえない」という判断もあるなどねじれている。
上原氏の「完全勝利」とは言い難いだろう、というものです。今回の東京地裁判決を上原元国立市長の「完全勝訴」と評価している
人たちには今回の判決とその判決に至るまでの経緯を再度検証していただきたいものだと私としては思うものです。


東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/ 



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