[CML 033908] 『世界が食べられなくなる日』

林田力 info at hayariki.net
2014年 9月 16日 (火) 23:57:06 JST


フランス映画『世界が食べられなくなる日』が2014年9月7日、江東区東陽の江東区文化センターで上映された。「世界が食べられなくなる日」上映実行委員会(江東地域協議会)の主催である。

 映画は遺伝子組み換え食品と放射能汚染の問題を取り上げる。人々が企業の利益のためにモルモットになっていると訴える。前半は遺伝子組み換え問題を取り上げる。何故、遺伝子組み換え食品が問題なのか説得力がある。遺伝子組み換えを使うと種子を米国のアグリビジネスに依存することになる。農薬を浴びても枯れない農薬耐性のある遺伝子組み換え作物を食べることは、農薬まみれの作物を食べることになる。

 私も遺伝子組み換え反対派であるが、反対論にナイーブな論調があることも事実である。遺伝子組み換え食品を食べると自分の遺伝子が組み換えられてしまうという類の主張である。それは写真を撮られると魂がなくなるという主張と同レベルなものとして、賛成派からは一蹴されてしまう。映画は、そのような論調ではない。

 後半は原子力発電の問題が取り上げられる。これは福島原発事故被害に寄りかかった感がある。遺伝子組み換え食品のパートのような背景描写が弱い。日本で原発が推進された大きな理由は利権である。本来ならば原発は非効率な発電であるが、総括原価方式によって市場原理が機能しないために非効率な方が儲かる。電力会社の金儲けによって環境が害される。

フランスならば原子力大国になった背景は独自の核戦力という軍事的野心である。それはアメリカの覇権に対抗するという点では積極的に評価できる。遺伝子組み換え批判にもアメリカ企業に支配されることへの反発もある。一方でフランス独自の核戦力はフランスを覇権国の一角として機能させる。そこへの批判がないとフランスの脱原発は難しいのではないだろうか。

 映画は背景の問題提起が弱いために原発事故後の福島を映すだけのきらいがある。原発事故によって福島が汚染されたと主張したいのだろうが、普段着で生活し、「水着で歩いても大丈夫」と語る住民と、住民の前でもマスクや防護服を装備して接するインタビュアーの溝は大きい。映画では避難措置を拡大しない日本政府を批判する声も取り上げたが、上記の住民の思いから浮いている。

 映画では祝島の原発建設反対運動も紹介する。反対運動のデモのコールは「故郷を守れ」である。「故郷を守る」から原発反対は納得できる。一方で避難は故郷を捨てることである。避難は故郷を捨てることであり、避難を求める運動は原発の是非とは別次元の問題であり、原発批判のメッセージが曖昧になる。

 映画では日本の脱原発デモも紹介されていたが、日の丸を持ったデモ参加者が目立つような映像であった。脱原発デモの中にいて映画のように日の丸を持った参加者が目立つ存在と意識したことはない。映画はフランス人の観客向けであるため、日本のデモと印象付けるために日の丸を持っているデモ参加者をクローズアップしただけかもしれない。一方で脱原発デモに日の丸があることは、左翼だけの脱原発運動というイメージを払拭する効果がある。脱原発デモで日の丸を許容することに対して運動内部では議論があるが、外からどう見られるかという視点で考えることも有用である。
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■ 林田力 Hayashida Riki 
■■ 『東急不動産だまし売り裁判』著者
■■◆ http://hayariki.net/


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