[CML 033902] 琉球新報:「普天間問題を含む在沖米軍基地の整理縮小を阻んでいるのは、米側ではなく、日本政府の硬直的な思考だということがはっきりした」+沖縄タイムス:海兵隊の沖縄駐留「日本が要望」元駐日米大使+沖縄タイムス社説[海兵隊引き留め策]沖縄押し付け もう限界

uchitomi makoto muchitomi at hotmail.com
2014年 9月 16日 (火) 19:04:58 JST


「普天間問題を含む在沖米軍基地の整理縮小を阻んでいるのは、米側ではなく、日本政府の硬直的な思考だということがはっきりした。

 1995年の少女乱暴事件当時の駐日米大使だったウォルター・モンデール氏の証言によると、米政府は事件直後、在沖米軍の撤退や大幅な縮小を検討していたという。しかし、日本政府が在沖米軍を撤退させないよう米側に求めていたことが明らかになった。」

「オーストラリア政府の公文書によると、米国防総省は在沖米海兵隊基地を本国に統合する案を検討(72年10月)し、国務省も「(米軍普天間飛行場は)明らかに政治的負債だ」との見解を示した(73年1月)。しかし、日本政府が引き留めたことで、普天間を含む在沖米海兵隊基地返還の機会を逸した。」

<社説>モンデール証言 佐藤首相の約束果たせ
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231608-storytopic-11.html

2014年9月15日 

 普天間問題を含む在沖米軍基地の整理縮小を阻んでいるのは、米側ではなく、日本政府の硬直的な思考だということがはっきりした。

 1995年の少女乱暴事件当時の駐日米大使だったウォルター・モンデール氏の証言によると、米政府は事件直後、在沖米軍の撤退や大幅な縮小を検討していたという。しかし、日本政府が在沖米軍を撤退させないよう米側に求めていたことが明らかになった。

 日本復帰前後の歴史を振り返ると、この構図が繰り返されていることが分かる。

 沖縄返還協定締結直前の71年5月21日、佐藤栄作首相は、屋良朝苗主席から在沖米軍の整理縮小について要請を受けている。佐藤首相は「本土の(基地)負担を沖縄におわす様な事はしない」(「屋良朝苗日記」)と約束した。愛知揆一外相も在沖米軍基地の整理縮小に取り組むと明言した。

 しかし屋良・佐藤会談直前の5月13日、米空軍F4ファントムが東京の横田基地から嘉手納基地に移駐した。後に「関東計画」と呼ばれる在日米軍の整理縮小によって、首都圏から米軍は退く。その結果、日本の負担は沖縄にしわ寄せされ、佐藤首相の約束は果たされなかった。

 愛知外相が回答した整理縮小についてはどうか。沖縄返還交渉の米側実務担当者モートン・ハルペリン氏は、在沖米軍基地縮小は沖縄返還後に「議論が行われていくだろうと思っていた」と本紙に証言している。証言通り、復帰後の72年から73年にかけて米政府内で縮小論議があった。

 オーストラリア政府の公文書によると、米国防総省は在沖米海兵隊基地を本国に統合する案を検討(72年10月)し、国務省も「(米軍普天間飛行場は)明らかに政治的負債だ」との見解を示した(73年1月)。しかし、日本政府が引き留めたことで、普天間を含む在沖米海兵隊基地返還の機会を逸した。

 そして95年、痛ましい事件が起きた時の米軍撤退議論も、米軍駐留に固執する日本側の意向で実現しなかった。

 沖縄にとって米軍の存在は「相当な歴史的恨みがある」(モンデール氏)ことを米側は知っている。普天間飛行場の移設を名目にした新基地建設など不要だ。今こそ43年前、佐藤首相が屋良主席と交わした約束を果たしてもらう時だ。


海兵隊の沖縄駐留「日本が要望」元駐日米大使
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=83067

2014年9月13日 11:12

 【平安名純代・米国特約記者】米元副大統領で、クリントン政権下で駐日米大使を務めたウォルター・モンデール氏が1995年当時、米軍普天間飛行場の返還交渉で、日本側が在沖縄米海兵隊の駐留継続を望んでいたと述べていたことが12日までに分かった。同年に発生した少女暴行事件の重大性を米側が認識し、海兵隊の撤退も視野に検討していたが、日本側が拒否し、県内移設を前提に交渉を進めていたことになる。

 モンデール氏の発言は米国務省付属機関が2004年4月27日にインタビューした口述記録に記載。1995年の少女暴行事件について「県民の怒りは当然で私も共有していた」と述べ、「数日のうちに、問題は事件だけではなく、米兵は沖縄から撤退すべきかどうか、少なくともプレゼンスを大幅削減すべきかどうか、米兵の起訴に関するガイドラインを変更すべきかどうかといったものにまで及んでいった」と回顧している。

 その上で「彼ら(日本政府)はわれわれ(在沖海兵隊)を沖縄から追い出したくなかった」と指摘し、沖縄の海兵隊を維持することを前提に協議し、「日本政府の希望通りの結果となった」と交渉過程を振り返った。交渉相手として橋本龍太郎首相(当時)と河野洋平外相(同)の名前を挙げているが、両氏の具体的な発言は入っていない。

 当時、ペリー国防長官は米議会で「日本の全ての提案を検討する」と発言。ナイ国防次官補(当時)も「兵力の本土移転も含む」と述べるなど日本側が希望した場合は本土移転も検討する意向を示していた。

 モンデール氏は、暴行事件で大田昌秀知事(同)に全面的に謝罪。河野氏との会談では加害者の米兵らを強く非難していた。

 同氏は翌96年4月に橋本氏と普天間返還合意を発表。同年12月2日、「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」の最終報告で普天間飛行場を含む11施設の返還、県道104号越え実弾演習の本土移転、パラシュート降下訓練の伊江島移転、嘉手納基地の海軍駐機場の移転・遮音壁の設置などが公表された。


沖縄タイムス社説[海兵隊引き留め策]沖縄押し付け もう限界
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=83116

2014年9月14日 05:30

 負担軽減とは名ばかりで、海兵隊の撤退論が浮上するたびにそれにブレーキをかけ、引き留めてきたのは日本政府である。

 駐日米大使として米軍普天間飛行場の返還交渉に当たったウォルター・モンデール氏が2004年4月、国務省付属機関のインタビューに答えた口述記録の内容が明らかになった。

 1995年、米兵による少女暴行事件をきっかけに燃え広がった復帰後最大規模の抗議行動は、日米同盟を激しく揺さぶり、米国内からも海兵隊撤退論が噴出した。

 ペリー米国防長官は議会で「日本のあらゆる提案を検討する用意がある」と発言。ジョセフ・ナイ国防次官補は「日本政府が望むなら部隊を本土へ移転することにも応じる」と柔軟な姿勢を示した。

 「県民の怒りは当然で、私も共有していた」とモンデール氏が語っているように、日本側にとっては、過重負担に苦しむ沖縄の声を米側にぶつけ、目に見える負担軽減を進める絶好の機会であった。

 だが、「彼ら(日本政府)は、われわれ(在沖海兵隊)を沖縄から追い出したくなかった」と、モンデール氏は当時を振り返る。

 この時だけではない。復帰直後の72年10月、米国防総省が沖縄を含む海兵隊の太平洋地域からの撤退を検討していたことがオーストラリア外務省の公文書で明らかになっている。

 その時にも日本政府は、海兵隊の駐留維持を米側に強く求め、その通りの結果になった。

    ■    ■

 「米国政府はこれまで何度も海兵隊の沖縄からの撤退を考えてきたが、そのたびにそれを日本政府が引き留めようとするという歴史が繰り返されてきた」と沖国大の野添文彬講師は指摘する(13日付本紙2面)。

 本土のキャンプ岐阜やキャンプ富士に駐留していた米海兵隊が沖縄に移駐してきたのは56年のことだ。当時、沖縄からは「なぜ広大な日本から土地の狭い沖縄に移駐してくるのか理解に苦しむ」との抗議の声が上がったが、聞き入れられなかった。

 61年6月の池田・ケネディ会談を受けて来島した米国のケイセン調査団は、沖縄現地で調査したあと、こんな報告書をまとめている。

 「日本政府は、その安全保障に寄与し、しかも米軍基地を国内に置くことから生じうる政治問題を避けることができるという理由から、沖縄の米軍基地を歓迎している」

    ■    ■

 海兵隊は沖縄でなければならないのか。そんなことはない。

 「軍事的には日本国内であればよい。政治的にできないから官僚が道をふさいでいるだけ」だと、防衛大臣を経験した森本敏氏は指摘する(2010年6月、沖縄でのシンポジウムで)。

 米ブルッキングス研究所のマイケル・オハンロン氏も12年10月、米ワシントンで開かれた沖縄県主催のシンポジウムで「辺野古計画の取り消し」を提案している。

 辺野古は決して唯一の選択肢ではない。

 		 	   		  


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