[CML 033812] 「読売」記者が目撃した従軍慰安婦

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2014年 9月 12日 (金) 19:40:54 JST


 坂井貴司です。
 
 従軍慰安婦「誤報」記事で朝日新聞を叩く読売新聞。しかし、太平洋戦争中、
同社の従軍記者が、騙されてビルマへ連行された朝鮮人慰安婦と出会った記録が
残っています。

「読売新聞の従軍記者 小俣行男氏の記録」
 http://www.twitlonger.com/show/n_1s510jl
 
(ここから)

「読売新聞の従軍記者 小俣行男氏の記録」 
1942年5月か6月頃 ビルマ(現ミャンマー)

(朝到着した貨物船で、朝鮮の女が四、五十名上陸したと聞き、彼女らの宿舎に
のりこんだとき)

 私の相手になったのは23、4歳の女だった。日本語は上手かった。公学校で先生
をしていたと言った。「学校の先生がどうしてこんなところにやってきたのか」
と聞くと、彼女は本当に口惜しそうにこういった。「私たちはだまされたのです。
東京の軍需工場へ行くという話しで募集がありました。私は東京に行ってみたか
ったので、応募しました。仁川沖に泊まっていた船に乗り込んだところ、東京に
行かず南へ南へとやってきて、着いたところはシンガポールでした。そこで半分
くらいがおろされて、私たちはビルマに連れて来られたのです。歩いて帰るわけ
に行かず逃げることもできません。私たちはあきらめています。ただ、可哀そう
なのは何も知らない娘達です。16、7の娘が8人にいます。この商売は嫌だと泣い
ています。助ける方法はありませんか」

 考えた末に憲兵隊に逃げこんで訴えるという方法を教えたが、憲兵がはたして
助けるかどうか自信はなかった。結局、8人の少女は憲兵隊に救いを求めた。憲兵
隊は始末に困ったが、将校クラブに勤めるようになったという。しかし、将校ク
ラブ(将校専用の慰安所)がけっして安全なところでないことは戦地の常識であ
る。その後この少女たちはどうなったろうか。

※出典 小俣行男著『戦場と記者 - 日華事変、太平洋戦争従軍記』冬樹社
(1967年)より 

(ここまで)

坂井貴司
福岡県
E-Mail:donko at ac.csf.ne.jp
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「郵政民営化は構造改革の本丸」(小泉純一郎前首相)
その現実がここに書かれています・
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