[CML 033558] 「ブラック企業」呼称問題: 組合活動には右翼も左翼もありません

石垣敏夫 motoei at jcom.home.ne.jp
2014年 9月 1日 (月) 04:31:43 JST


「ブラック企業」大賞実行委員のみなさんへ

みなさんのご努力に感謝しています。
しかし「ブラック企業」という呼称については「人種差別」が内包していると
考えています。
今すぐ呼称を 「酷使企業」と変更して頂きたいと思いますが、
直ぐできなければ「ブラック企業・酷使企業」
として発表して頂きたいと思います。

ご承知の通り、問題は企業にレッテルを貼ることではなく、
そこで働いている、勤労者が労働組合を作り、人権を守り、
労働条件を改善するために立ち上がることだと考えています。
                さいたま市 石垣敏夫


「ブラック企業」呼称問題: 組合活動には右翼も左翼もありません

みなさんお世話様
林田さんの記載事項
>労働問題について様々な用語が存在する中で、ブラック企業やブラック士業という新しい言葉が話題になった要因は、
既存の用語よりもリアリティが感じられるためである。

衆知の通り、「ブラック企業」が「酷使企業」と呼称が変わったからと言って、
「酷使企業」の労働者が解放されることではありません。これは「ブラック企業」というレッテルを貼っても同様です。
組合活動は「働く人々の労働条件を改善する為にある」ので、左翼も右翼もありません。
(組合は一人でも結成できますが、3人いれば充分です。
組合活動の原則は、言論・思想信条の自由が保障されていることです)

労働・組合運動の哲学は、正規社員は自分の下に非正規社員を位置づけてはならない、
という鉄則があります。(人間はすべて差別しない)。
正規社員が自分より、劣悪労働条件の人たちを下に見て、安堵し、放置してはならない、と言うことです。
私は現場にいて、正規社員が非正規社員に対し、「あいつらは俺達の安全弁だ」と言っていたのを耳にしています。
つまり「首を切られるのは非正規社員から」と言っているのです。

このように正規社員が差別意識を持つこと、これが経営者の狙いです。
社員を差別分断して労働者を使い捨てにする。これが協働企業と異なる経営者・資本家が絶えず考えていることです。

「ブラック企業」の「ブラック呼称」がなぜいけないか。
キング牧師が述べている「ブラック イズ ビューティフル」、「ガザ攻撃は不当」、「『白人』警官の、無防備『黒人』
に対する射殺は問題」と話している人が、「ブラック企業」の呼称は問題ない、とは言えないでしょう。
 裸の王様ではありませんが「ブラック企業」のブラックは悪であり、
ビューティフルではありません。日本人女性の中でも「色白は7恥隠す」と言う言葉があります。

ブラックは「悪」という思考方法、自分は「人種差別をしていない」といくら弁明しても、
「ブラックをホワイトの下に位置づけ、用いている限りそれは誤りです」このままだと「日本は、原発も止められず、
違憲も放置し、人種差別表現についても当事者を無視する、国民・市民」というレッテルを貼られてしまいます。
                         (さいたま市 石垣)

ブラック企業と左翼教条主義 

労働問題について様々な用語が存在する中で、ブラック企業やブラック士業という新しい言葉が話題になった要因は、既存の用語よりもリアリティが感じられるためである。ブラック企業の実態は「生の声を丹念に集めなければ見えてこない」と指摘される(河合薫「「残業は無能の証拠?」 部下を奴隷化するブラック上司」日経ビジネスオンライン2013年8月20日)。

ゼンショーホールディングスの問題も以下のように指摘される「悲鳴を上げている現場の実態を、小川賢太郎会長兼社長以下の経営陣が十分に把握できなかったことが対策を遅らせ、事態を悪化させた」(西雄大「ガバナンスも「ワンオペ」だったゼンショー」日経ビジネスオンライン2014年8月26日)。

故にブラック企業を自分達のイデオロギーのフィルターを通して言い換えることは本末転倒になる。既存の左翼教条主義的な労働者搾取論にリアリティが感じられないから、ブラック企業という言葉で表現する。左翼教条主義者が自らの偏狭なイデオロギーの枠組みで「過酷企業」や「搾取企業」と言い換えても、ブラック企業の生の実態は理解できない。

当然のことながらブラック企業という言葉を使うだけで若年層の苦しみが理解できる訳ではない。左翼を気取りながらも高度経済成長にどっぷり浸かり、世代間不公平を押し付けていることに無自覚ならば、ブラック

企業という言葉を受け入れた程度で若年層の苦しみが理解できるはずもない。しかし、ブラック企業という言葉が生まれた背景を全く理解しようとしない左翼教条主義者に、ブラック企業という言葉を端緒として現実を理解しようとする努力を否定する資格はない。

左翼にも「皆で頑張る」的な特殊日本的集団主義を是とする風潮があり、左翼教条主義のままではブラック企業を批判しきれない。日本の左翼が反体制を気取りながらも、特殊日本的集団主義から抜け出せないならば、個人の自由を重視する新自由主義の方が思想的には進歩的となる。新自由主義が改革派で、左翼は保守と同じく既得権擁護の守旧派という構図に説得力を与える。

左翼教条主義者からは「若者に媚びるな」「若者を甘えさせるな」との反感も予想される。それはブラック企業を正当化するブラック上司と同じメンタリティである。左翼教条主義が「弱者のため」と言いながら、若年層に自分達の歴史とイデオロギーを刷り込むことしか考えていなければ、若年層が右傾化し、左翼を攻撃するようになることは当然である。

自分達のイデオロギーに合わないために見捨てられたブラック企業被害者の面影が脳内に残っている限り、左翼教条主義者を許すことなど到底できなくなる。ブラック企業やブラック士業という言葉が黒人差別になると糾弾する左翼教条主義は白人至上主義のレイシズムに通じるものがある。自身の道徳的優等性意識の強さから、人と人との対話という基本的な作業を疎かにしている。市民運動家の仕事の何割かはコミュニケーションである。優秀な運動家は他人の気持ちを理解できなければならない。

ブラック企業という言葉が今ほど浸透していなかった時代に若年層右傾化の心理を説明した論文に赤木智弘「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」論座2007年1月号がある。この論文は左翼知識人から猛反発を受けた。「自分の頬でも叩けばいい」との感情的な反発もあった。

この論文に批判できる点があることは否定しない。私も批判的に論じたことはある。しかし、そこで書いた通り、「社会の歪みをポストバブル世代に押しつけ、経済成長世代にのみ都合のいい社会」を無視して上から目線で批判するならば、全く問題意識に応えていないことになる(林田力「【オムニバス】「天皇をひっぱたきたい」と言えないネット右翼の限界」JANJAN 2010年3月25日)。

実際、批判に対する再反論のタイトルは「けっきょく、「自己責任」ですか」であった(赤木智弘「けっきょく、「自己責任」ですか 続「『丸山眞男』をひっぱたきたい」「応答」を読んで」論座2007年6月号)。自己責任を押し付ける勢力との対決。この観点から新自由主義勢力を批判する左翼は少なくない。ところが、若年層から見れば世代間不公平に無自覚なシニア世代の左翼こそが自己責任を押し付ける勢力になっている。

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林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
http://www.hayariki.net/poli/black.html


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