[CML 034680] 公文書・ 押収、内容、焼却、返還

朴エルエー futeisha at gmail.com
2014年 10月 27日 (月) 01:33:00 JST


当然な話ですが、押収された文書はチームによって英訳され、裁判上の証拠として用意されていた文書にも目を通していたようです。

The Washington Document Center (WDC), which was established by the Navy in
1942 to translate captured Japanese documents, sent a 100-person unit to
Japan in late 1945.

押収した日本の書類の英訳のために「WDC」が創設されたが1945年暮れに約100人で構成される部員が送りこまれた。

This WDC unit worked closely with ATIS to search for and seize specific
records at each Japanese Ministry. During the winter of
1945–1946, it seized hundreds of thousands of documents; by the end of
March 1946, it had sent over 419,000 documents back
to Washington for intelligence exploitation.

この「WDC」は日本の各省での書類探し押収のためにATSI(Allied Translator and Innterplater Section
の略です)と緊密に協力。
1945年から1946年の冬の間に数十万の書類を確保し、春までに分析の為に419000書類をワシントンへ運んだ。

... ...
 Before shipping any documents to the WDC, the IPS and the SCAP legal staff
were allowed to review and take records
needed for their work. 51

しかし送る前にはIPS (International Prosecution Sectionの略 「連合告発局」とでも)とSCAP ( Supreme
Commander for the Allied
Powersの略で、連合軍最高司令官とでも )の法律に関した職員は必要ならそれらの書類に目を通す事ができた。

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関連しますが 10月15日の報道が目に止まりました。

>元米兵:旧日本軍の捕虜となった7人来日
港区で市民らと交流 「戦争中でさえ、平和な光景があった」 東京
2014年10月15日
(大手新聞社、記事ウェブアドレスとなっています。この戦争中でさえ、平和な光景があった、などと外務省の招へいに気を使ったのか、
そこを強調する報道姿勢。しかし今は報道もこの程度は普通なのかもしれません。どういう市民団体??デス。)

第二次大戦中、旧日本軍の捕虜となった元米兵の男性7人が来日し14日、港区麻布台1の大阪経済法科大セミナーハウスで市民ら
と交流した。
7人は全員90代。1941~42年にフィリピンやグアムで捕虜となり、日本に送られて荷役や鉱員などの仕事をさせられた。
2010年から始まった日本外務省の招へい事業で12日に来日し、市民団体が交流会を開いた。<

とありますが、
どこからか「捏造である」「日本のイメージが傷つけられた」とか塩野七生さんあたりが「自ら繰り返し語っているうちに、自ら信じるようになる」
「繰り返し質問しても、それ以上のことを言わず、泣いて絶叫し、バカにするなと腹を立てて終わりにしてしまう可能性が高い」という報道さらしき
ものはないような...相手によっていろいろと使い分けるというところでしょうか。


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