[CML 034600] 今日の言葉 ――人間の知性と道徳性の根拠は、上位者が命じても、ルールが命じても、権力が命じても、真理が命じても、さらには神が命じても、「厭なものは厭だ」と言いうることのうちにある。

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2014年 10月 22日 (水) 15:53:45 JST


「内田樹Twitter」(2014年10月22日)から。
http://mizukith.blog91.fc2.com/

     中教審が「道徳道徳」の教育目的として目指しているのは「上位者に服従し、決められたルールを遵守し、自分の知性
     を以て『なすべきこと、してはいけないこと』の当否について判断しない子どもたち」の組織的な生産です。けれども、僕
     たちが遭遇する「道徳的危機」はしばしば「上位者が間違った命令を出す」「ルールを適用するととりかえしのつかない
     ことが起きる」というかたちをとります。その場合に上位者に抗命し、ルールの適用を抑制することが「できる力」が道徳
     的意識の核心をなしています。仮に上位者が「こいつは敵だ、こいつを殺せ」と命じても、「ルール上はそれに従うべき
     なのだが、どうしても身体が動かない」というかたちで発動する「厭な感じ」。それが道徳的意識の原初的なかたちです。
     アルベール・カミュはそれを「反抗」(la revolte)と術語化しました。上位者が命じても、ルールが命じても、権力が命じても、
     真理が命じても、さらには神が命じても、「厭なものは厭だ」と言いうることのうちにカミュは人間の知性と道徳性の根拠
     を求めました。中教審の委員のうちに『反抗的人間』を読んだ人はいるのでしょうか。一人もいないと僕は思います。「人
     間的道徳」について20世紀でもっとも深く切実な問いを深めた哲学者の道徳についての省察を一顧だにしない人たちが
     「道徳教育はいかにあるべきか」を得々として論じている。悲惨な光景と言う他ありません。


東本高志@大分
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