[CML 034264] 反差別闘争の歴史。造語「放射脳」の文言使用に関して

石垣敏夫 motoei at jcom.home.ne.jp
2014年 10月 4日 (土) 09:43:31 JST


檜原さん
お世話様
人間の歴史は階級闘争の歴史で有り、
反差別闘争の歴史でしょう。
差別語とはこの歴史の中で造られており、
無意識に使われている差別語も、階級が見えないところから
生まれています。
私は男で有り、一応健常者でありますから、
現在の弱者、女性、障害者等見えないことが度々あります。
ただ女性でも今の安倍政権下の女性閣僚は女性の立場ではなく、
男思考で安倍首相のしもべとなっています。
「イエロー・ヤンキー」といわれる日本人もその一例でしょう。
 石垣



林田さんへ。造語「放射脳」の文言使用に関して

檜原転石です。

運営委員会の皆様、ご苦労さんです。


トンデモ語の「放射脳」は核・原発マフィア支持者からの反・脱原発陣営への嘲笑侮蔑語です。
この使えない言葉――ある意味では差別語と同じ――を使って、
「放射脳とは、核(原爆と原発)をめぐる権力の嘘を見抜き、あらゆる核兵器と原
発の廃棄を求めるために不可欠の鋭敏な脳です。」と書くのは、私に言わせれば、ただの軽佻浮薄です。

たとえば差別語「メクラ」を使って、視覚障害者(目の不自由な人)**を持ち上げる文を書いて、誰かがそれを差別語を使えないことへの
皮肉とかエスプリとか評価しますか?
筒井康隆などのモノカキは言葉の言い換えを認めず、昔のままの言葉の使用を主張していますが、要するに“言葉の言い換えの本質”を何も分かっていないヤカラです。

分からない時は聞くべきです。前田朗氏に「放射脳」という言葉を使った意図を聞けばいいのです。彼はPC表現(政治的に正しい、差別や偏見にまみれていない言葉)にも批判的なので、このCMLの「放射脳」の使用禁止にも反対しているかもしれません。もちろん反対でもかまいませんが・・・。


▼塩見鮮一郎『作家と差別語』明石書房、1993年
頁109――
もちろん、盲人の言いかえに、「目の不自由な人」という表現がよかったかどうかは、また別の問題として残る。片端を言いかえた「身体障害者」も 同じことで、もっとうまく表現できないのか、と 
いうことは指摘できる。このところの論調を見ていると、「目の不自由な人」も「身体障害者」も、よいいいまわしではないという意見が多い。そういう気分が社会に強まると、つぎの言いかえが準備されてこよう。

  ※

ただ、筒井康隆をはじめ論者の半数以上が、「目の不自由な人」といういい方に眉をしかめたうえで、その結論は、新しい言いかえではなく、もとのものにもどそうというものである。そのような論者は、近代社会における語の言いかえがなになのかをまったくわかっていないのだから、ほっておくしかない。

▼田中克彦『差別語からはいる言語学入門』明石書房、2001年

頁18――

差別語をめぐる議論にあきあきし、それが不毛だと感じた人たちの口からよく聞かれる意見の一つに、ことばだけとりかえてみても、そのことばが指している現実や事態が変わるわけではないというのがある。
  それは大部分その通りだが、そうではない点もある。というのは、ことばは現実のみならず、人々の意識、精神世界の領域のできごとを描き出そうとする。このことを否定する人はまずいないであろう。この本はまさにその問題ととりくんでみたものであるが、いま身近な例として、病気を指す名のことを考えてみよう。
  病名は、単にある病気を客観的に示すだけでなく、そこには多くの偏見がくっついている。ところが病気は医学の発達によって、それとたたかい、なおす方法が次々に開発されてくる。それによって病気への認識が変わってくれば、より適切な言いかたに変える必要が生まれるだろう。
  こうしてとりかえられたことばが指す病気そのものは依然同じであっても、そこにはより客観的で偏見がなく、そして病気で苦しむ人々に絶望ではなく希望を与えるはたらきがあるとするならば、私たちはもちろん、そのようなニュアンスを持ったことばにとりかえる必要がある。
  このように考えると、ことばのたたかいは、観点――ものの見方のたたかいでもある。 

(引用終わり)




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