[CML 035230] 中大「叛旗」系[互助会」の忘年会参加要請を前にして、改めて僕の連合赤軍事件総括について、まとめておきます。               塩見孝也

塩見孝也 rsr80930 at nifty.com
2014年 11月 30日 (日) 09:35:30 JST


中大「叛旗」系[互助会」の忘年会参加招請を前にして、改めて僕の連合赤軍事件総括について、まとめておきます。               塩見孝也                               
2014年11月27日17:23
 12月6日(土曜)6時より某所で上記「互助会」忘年会が開催されます。ちょうど、この日は、同じ時刻に、「9条改憲阻止の会」の政治集会が、開催されます。
 僕は、この政治集会は重要な集会で、この集会が成功することを心から祈念しています。どうか、皆さんがこの集会に万障お繰りあわせの上、御参加されることを切に呼びかけます。場所は文京区民センターです。
 僕は、ナントカ時間をやり繰りし、この「集会」と「集まり」のいずれにも参加しようと思っております。又鹿砦社や仲間達に応援を頼み、この二つの集まりで、新著「革命バカ一代 駐車場日記」も売って行こうと計画を立てています。
 「互助会」の方は、これまでの経緯からして、連赤事件などでの議論になるかも知れません。いずれにしても、丁寧な案内状を送ってくださり、この「忘年会」を準備してくださった方々に衷心から感謝するものです。
 
 以下は、僕の連赤事件いついての基本的態度をまとめた見解です。
 もはや、この問題は、僕の内側では決着済みのことがらで、問題を後ろ向きではなく、前向きに展開してゆくべきとは思ってはおりますが、必要ならまとめて述べることもやぶさかではないとも思います。会場の雰囲気を見つつ、出たとこ勝負で、落ち着いて対応して行くつもりです。 この忘年会は、50〜60人を超える、僕も親しかった沢山の人々も来られるようで、懐かしい限りであり、真摯かつ和気合い合いとしたものになる、そうあって欲しい、と僕は思っています。

●1、 あの時代に於ける指導者として、思想的・理論的未熟性(プチブルジョア革命性)という意味において、70年安保大会戦に於ける連合赤軍事件やその他の正・反の諸闘争・諸事件について、この限りにおいて、僕は指導者として広い意味において責任を負っていることを認めてきました。
 そして、この課題を果たすべく、これまでも努力してきたし、今後も、この意味合いにおいて責任を負い続け、当時の小ブルジョア革命性をマルクス主義のプロレタリア革命主義に止揚すべく奮闘・努力するるものであります。
 このような努力の一環として、今回、表わした新著があることもご理解願います。
 又一昨年、昨年と「連合赤軍事件の全体像を明らかにする会」は、「連合赤軍事件40周年・殉難者追悼会」、昨年は「“粛清“と銃撃戦の討論会」を持ちました。いずれも、僕は呼び掛け人やパネラーとして参加し、追悼と連帯の挨拶を述べました。「殉難者集会」では、森君は勿論、永田さんもその殉難者の一人として、追悼されました(異論もありましたが)。後者の集会では、今まで、「亡くなった人たちだけを悼むところがあり、苦しみながら生き残って、考え続けている同志達に、思いを馳せることがすくなかった。どうか、亡くなった人々の分まで生き続け、良きことをなしてください」とエールを送りました。
 尚「残す会」は、毎月1回「山岳調査委員会」を開催し、山岳の実態を、関係者を招き、事実関係の調査を続けて来ています。僕もそこに、毎月参加していることも報告して置きます。
●2、 僕が指導者であった赤軍派時代(第一次赤軍派)、そして、いまだスターリン主義に侵されていなかった森君が指導者であった第二次赤軍派時代までの赤軍派の武装闘争路線推進の革命的歴史的意義について、限界あるものとして、全面肯定したりはしないものの、僕は今でも誇りに思っていることを表明しておきます。
 概して言えば、赤軍派は、この未熟性の限界を有しつつも、他面では、マルクス主義の原則に忠実足らんとし、又この点でのブント精神を体現せんとし、――それをしっかりと習得しているか否かは別として、――ヒューマンで、民主主義精神を有し、リベラルでもあり、民族の良き文化性も体現していたと自負いたしております。
 しかし、第二次赤軍派以降の、永田さんらのスターリン主義に侵されてしまい、二人処刑を肯定し、野合・でっち上げ「新党」に走って、「総括」という<同志殺し>に耽った森君の行動については断じて支持しない。批判、否定してきました。
 「同志殺し」は、「銃による殲滅戦」の名の下に、綱領上の立場がまったく違う、永田さんと森君が、綱領上の立場の相違を無視し、永田さんが行った二名の方の「粛清」実行を勲章として祀り上げ、スターリン主義思想を発現してしまい、超無原則で超秘密裏に(僕などの獄中メンバーや外の公然部分はまったく知らされていない。関知してない)私党の野合「新党」を強引・身勝手にデッチ上げんとして、この「新党」結成に反対する人々を、抹殺・「粛清」したこと、このことに事件の真相、本質、原因があります。
「新党」ではなく、共闘・連合の原則を守ってゆけば、あんな悲惨な事態はおこらなかった、と思います。
 連合赤軍事件の原因は、二つあります。一つはスターリン主義「粛清」思想採用と二つは、組織問題における綱領無視の無原則野合の私党<新党>でっち上げです。しかし、結局は一つのこと、詰まり、スターリン主義粛清思想の採用にあったといえます。
●3、決して、武装闘争路線そのものに<連合赤軍事件>の原因があったわけではありません。「武装闘争を闘った」ことそれ自体に原因を求め、「闘うべきでなかった」などと1905年のモスクワ蜂起について、プレハーノフまがいに否定したりはしてはなりません。まして、「武装闘争を闘えば、必ず、連合赤軍事件のような<同志殺し>が生まれる」、そして、それは「武装闘争を唱え、実行した赤軍派の所為である」などとする言説はとんでもない錯乱、妄言と言い切れます。こうすれば、連合赤軍総括論争は、行き止まりの袋小路に陥り、ブルジョア政治の世界へと流れ込んで行かざるを得ません。第一次、第二次ブント史も、清算されてゆきます。
 叛旗派は、このような流れに流されず、沼地から抜け出して行くべきです。
 歴史を見れば、たとえ、それが敗北することがわかっていたとしても、正義の赴く所に従って、民衆が闘いに決起して行くことは多々あること。1905年のロシア・モスクワ蜂起、フィデル・カストロのモンガダ襲撃、もっと遡れば1871年のパリ・コンミューンの蜂起など無数にあると思います。
 そして、このような未成熟の革命的行動は、敗北するとはいえ、人民の未来において、その正、反の教訓は必ず役立てさせられて行くこととなります。赤軍派(も革命左派も)は、このような革命的敗北主義の見地で、当時を闘って行きました。 連合赤軍「新党」は、決定的な過ちを犯したとはいえ、大局の大局からすれば、殺された人たちも殺した側の人たちも人民解放の大義のために殉じた人です。この人たちの殉難の戦いを活かすも殺すも、生き残った僕達が如何に闘うか、この如何にあると僕は肝に銘じております。
 
 元に戻します。このような上記言説がいまだ、残り、今でも幅を効かせているのは、資本家権力が<赤軍派>と「連合赤軍≪新党≫」、マルクス主義の反スターリン主義革命運動とスターリン主義運動を混同させるべく、到るところに、罠を仕掛け続けているからに他ならないことをしっかりと認識して進んで行きましょう。
●4、「同志殺し」は、武装闘争をやることから必然化されたのではなく、この過程に、永田さんらが革命左派を通じて、プロレタリア革命を反革命するスターリン主義のブルジョア思想、個人独裁の恐怖政治、「粛清」思想を「赤軍派は柔(やわ)であり、苦労が足りない」とかと称し、あたかも、スターリン主義「粛清」思想を革命思想の如く装い、持ち込んできたことに基本原因があります。
 勿論、このような言説を、獄中の赤軍派や大衆運動の現場をもつ赤軍派主流は、全然問題外の事柄として跳ね返しておりましたが。僕は、「再総括論文」において、キューバ革命に見習い、「前衛、指導者の軍人化」を提出していましたが、これは、完全に黙殺されていました。
 ともあれ、僕らは、連合赤軍事件においては、赤軍派やブントの歴史、綱領上の立場、観点、方法、行動・運動分野とはまったく異質の別の世界が介在し、この要因が原因となっていることをことをしっかりと見極めておくべきです。この要因は、革命左派、永田さんや川島君らが持つ外国権威盲従主義、スターリン主義礼賛からもたらされたものでああることは明白なことであります。
 赤軍派全体としては、上記1の思想的限界、欠点を有すものの、永田さんらが行った反革命のスターリン主義思想と何の思想的共通性をまったくもっていなかったことをこの場でも、蔵田氏との「情況」誌での公開論争をはじめ、幾度も声明してきましたが、改めて、今回もはっきりと僕は声明しておきます。
 ブント(当時としては、小ブルジョア革命主義が色濃かった)の革命思想とスターリン主義思想は根本的な違いがあります。
 スターリン主義思想は、マルクス主義思想・世界観とそこからの政治上・思想上の諸原則に背教したブルジョア反革命思想であります。
 「一国で社会主義建設が到達可能である」論に立脚し、世界プロレタリアートの利益、これに内属する自国プロレタリアートの利益を否定・破壊し、すなわち世界同時革命とプロレタリア国際主義の綱領的見地を投げ捨てたブルジョア民族主義と「国民国家」防衛を第一義とする思想であり、それゆえにプロレタリア革命を反革命する思想であります。
 「プロレタリア独裁」の名の下に<ブルジョア独裁>の極限である<個人独裁>と<「粛清」の恐怖政治>を、マルクス主義の言語を操り、推進する思想であります。
 僕らは、革命と反革命がせめぎ合う修羅場の中にあればある程、資本主義批判・プロレタリアを中心とする民衆解放のマルクス主義世界観にしっかりと立脚し、冷静かつ勇猛果敢、豪胆に、動物主義的な生存本能に拝跪することなく、気高き「人民奉仕無償」の革命思想を発揮すべきである、と考えます。
 問題は、当時にあっても(武装闘争)らの具体的方針であったと思います。<同志殺し>の「総括」に耽らず、共闘と党組織建設との原則的違いをしっかりと認識しつつ、共闘原則の下で、このような方針を貫徹してゆくこと。こうすれば、革命家達や民衆・人間は気高さ、民衆への愛、真理探求の科学的分析精神を発揮して、たとえ負けるにしても勇敢に戦っていったものと僕は固く信じています。
●5、この事件は、革命左派において、二人の「脱落者」を何の合理的根拠もなく、永田・<革命左派>が己の自己防衛・日和見主義ゆえに安易に「反革命」と断じ、殺害したことに端を発しています。これに、赤軍派の森君が最初は批判・否定的でありつつも、最後は肯定し、「新党」結成に踏み切り、全体化して発現していった展開構成で、連合赤軍事件は成り立っています。
 言うまでもなく、このスターリン主義批判、「粛清」思想の批判は、第一次ブント以来の組織結成・維持の綱領上の思想的原点であり、それまで、赤軍派思想やブント思想が組織の存在を賭けて、堅持してきた綱領上の思想的基本的見地であります。或いは、このスターリン主義思想は「世界革命の<第3に道>」として、赤軍派や第二次ブントが評価・支持してきた、フィデル・カストロ同志やチェ・ゲバラ同志らを指導者とするキューバ革命の思想とまったく相違する思想でありました。
●6、「歴史は赤軍派を無罪と宣言するであろう」
 僕は、以上のような見地に立って、連合赤軍問題を総括し、これまで実行して来ました。そして、何がしかの成果を上げましたが、いまだ、決定的成果は上げえていません。しかし、今のところ、歴史という<審判者>はいないのですから、フィデル・カストロが宣言したごとく、「歴史が無罪を宣言する」ことを目指し、自己の信ずる所に従ってて、言うべきことは言い、なすべきことはなしてゆく決意です。
 このような見地で、新綱領草案(未完)も書きましたし、「革命馬鹿一代、駐車場日記」も書き上げました。
 



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