[CML 031621] 今日の言葉~抜録~(2014/05/11~2014/05/29)

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2014年 5月 29日 (木) 12:18:11 JST


・集団的自衛権の行使容認の根拠として、最高裁砂川事件判決の代わりに政府が持ち出してきたのが、自衛権行使の範囲を
示した1972年の政府見解「集団的自衛権と憲法との関係に関する政府資料」だ。(略)政府は72年見解をベースに、73年に
は政府の国会答弁で、(1)わが国に対する急迫不正の侵害がある(2)これを排除するために他に適当な手段がない(3)必要
最小限度の実力行使にとどまるべきこと−−との「自衛権発動3要件」を示した。この3要件を政府は現在に至るまで、自衛権の
発動として武力行使する際の要件にしてきている。これは、(1)と(2)の二つの条件が満たされて初めて武力行使が可能となり、
行使する際には(3)の必要最小限度にとどまるべきだ−−と定めていると一般的には解釈されてきた。これに対して、今回の政
府の考え方は、(3)の必要最小限度に重点を置くことで、(1)の条件を満たさなくても、「必要最小限度」であれば集団的自衛権
も行使できるとの見解を導き出そうとしているとも受けとれる。(略)「これでは何でもできることになりかねず、スーパー必要最小
限度になってしまう」との声すらある。(毎日新聞 2014年05月11日)
http://mainichi.jp/shimen/news/20140511ddm002010107000c.html

・国家総動員法(略)の国会審議の過程で、有名な「黙れ」事件が起きている。(略)「黙れ!」と叫んだのは、陸軍省の説明員とし
て出席していた佐藤賢了。(略)法案の精神や個人的な信念を滔々と演説した佐藤に「やめさせろ」「やめろ」と野次が飛んだ。
そのとき、政府の説明員に過ぎない佐藤が、国会議員に対して「黙れ!」と怒鳴りつけたのだ。軍人の傲慢極まれりという象徴的
事件として語られる。戦後、半藤は、その佐藤賢了をインタビューしたことがあるという。佐藤は、次のようにまくし立てたそうだ。
「いいか、国防に任ずる者は、たえず強靱な備えのない平和というものはない と考えておる。そんな備えなき平和なんてもんは
幻想にすぎん。いいか、その備えを固めるためにはあの総動員法が必要であったのだ」半藤は述懐する。「この元軍人には反
省という言葉はないと、そのとき思った。(略)いま、政治の場での、憲法解釈変更の集団的自衛権行使論議をみていると、奇妙
なほど佐藤賢了氏の壮語が想起されてくる(略)国家総動員法の成立が国家滅亡の一里塚となったような危険を、集団的自衛
権はこの国にもたらす。そんな予感が消せないでいる。」(澤藤統一郎の憲法日記
2014年5月11日)
http://article9.jp/wordpress/?p=2629

(中略)

・「すべてはわかっている。言うまでもない。……小さな、笑うべきひとことに世界がある」。からだが攣っている。(略)ひどい日だ。
さやかに見えたものが、けふは曖昧な腰つきになり、どろっとくぐもっている。じぶんには責任がない とだれもが おもっている(引
用者注:とは、どういうことか? 前日の「日録」には次のようにあります。「憲法第9条がいよいよますます死文化させられる。政権
は憲法第9条を笑いものにしている。土足で蹴飛ばしてヘラヘラ笑っている。断念どころではない。飄逸どころではない。「知識人
の転向は、新聞記者、ジャーナリストの転向からはじまる。/テーマは改憲問題」(丸山眞男『自己内対話』[1956年の手帖より])。
これも、もう過去形で語られなければならない。これまでいくたび引用してきたことか。引用のたびごとに、警告が重みをなくして
いった。転向、知識人、新聞記者、ジャーナリスト……という言葉は、すでに、なにごとも意味しなくなった」)。(辺見庸「日録17」
2014/05/15)
http://yo-hemmi.net/article/396858354.html

・物事をありのまま写さず、こうあればいいと思う世界を撮ってきた。イメージ通りの写真になるように計算し、演出も施している。
けれどそれは特別な場所でも、著名な人々でも、珍しい出来事でもない。日常の片隅で見かけそうな、いつもと変わらない暮らし
のワンシーンで、ユーモアのセンスを効かせ、敢えて演出の証拠を残した。日々の生活にはこんなにもすてきで美しく、微笑ましく、
楽しい幸せな時間があることを、フランスの写真家ロベール・ドアノー(1912-1994)はさりげなく伝えたかったのだろう。そうしながら
写 真の可能性を探し続けた。(略)照れ屋でプライドが高く、七転八倒、奮闘している姿は決してほかに見せない。いい仕事をして
いる時ほど素知らぬ 顔してさっさとやってのけ、鼻歌まじりで「なあに、たいしたことはありません」なんて言ってしまう。なにより偉
そうにするのを嫌った。そうして撮った写真からは、耳をすますとアントン・カラスの「カフェ・モーツァルト・ワルツ」が聞こえ、日常の
なにげない光景がかけがえのないものに見えてくる。日々の新聞 2014年5月18日読)
http://www.hibinoshinbun.com/index.html

(後略)

全文は下記をご参照ください。

■今日の言葉~抜録~(2014/05/11~2014/05/29) (弊ブログ 2014.05.29)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-888.html



東本高志@大分
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http://mizukith.blog91.fc2.com/ 



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