[CML 031448] 書籍紹介:「縮小社会」「脱成長」に重要な本:シリーズ地域の再生3 グローバリズムの終焉 経済学的文明から地理学的文明へ

uchitomi makoto muchitomi at hotmail.com
2014年 5月 21日 (水) 04:26:13 JST



> 関曠野さんをお呼びしての講演会などもよいですね。
>
>  内富
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> シリーズ地域の再生3
> グローバリズムの終焉
> 経済学的文明から地理学的文明へ
> 著者
> 関曠野 著
> 藤澤雄一郎 著
> 定価
> 2,808円 (税込)
> ISBNコード
> 9784540092169
> 発行日
> 2014/03
> 出版
> 農山漁村文化協会(農文協)
> 判型/頁数
> 四六 280ペー
> 解説
> 世界貿易の時代が終焉すれば、グローバリズムからの脱却と国民経済の再生が各国の課題となる。経済は自給を原則とし、貿易はそれを補完するものにすぎなくなる。そして「経済」は地域の限られた資源を賢明に利用する知恵を意味することになる。さらに輸送の文明の終焉によって社会は食料からエネルギーまで可能なかぎり自給自足する地域コミュニティーにより構成されることになる。国家はムラの連合体になる。文明の基調は輸送から居住に転換し、経済学ではなく地理学がその原理になる。その活動の代表格が農という人間の営みである。
> 著者
> 関 曠野
> 1944年、東京生まれ。早稲田大学文学部を卒業後、共同通信社をへて1980年からフリーランスの文筆業。著書『プラトンと資本主義』(北斗出版)『ハムレットの方へ』(同前)『民族とは何か』(講談社現代新書)『フクシマ以後』(青土社)など
> 藤澤雄一郎
> 1957年、信州安曇野生まれ。東京水産大学卒業。有機農家。
> 目次
> 第1部 グローバリズムの終焉――経済学的文明から地理学的文明へ 関 曠野
> 序章 「農業」から「農」へ
> 1 将来の国民生活のモデル・農的生活
> 2 生活様式としての農、国土に住まうということ
> 第1章 世界の現状――なぜシステムは不安定化したのか
> 1 無視された警告「成長の限界」
> 2 過剰発展を可能にした原油
> 3 銀行マネーの矛盾
> 4 先送りされた銀行マネーの矛盾を表面化させたピーク・オイル
> 5 銀行経済のサブシステムとしての近代租税国家の解体
> 第2章 グローバリゼーションからローカリゼーションへ
> 1 日本は「貿易立国」か?
> 2 「世界貿易」の起源
> 3 資本主義を誕生させた歴史のタナボタ
> 4 軍需産業と世界貿易によるアメリカの世界戦略
> 5 ブレトン=ウッズ体制とニクソン・ショック
> 6 グローバリゼーションの本質
> 7 ユーロの消滅とグローバリゼーションの終焉
> 8 ギリシャとEUに出口はあるか
> 9 キューバに学ぶ
> 第3章 経済学から地理学へ
> 1 前原発言の二つの問題
> 2 GDPは豊かさの指標ではない
> 3 資本主義とは土地と労働の資本への従属
> 4 資本の力を飛躍的に増幅させた科学的知識
> 5 輸送の文明としての近代文明
> 6 資本主義は本来グローバルな性格をもっていた
> 7 ホッブズとロック――人間を経済人(ホモ・エコノミクス)とする政治哲学
> 8 ロックの自由主義は今もなおアメリカの国家哲学
> 9 経済のグローバル化と思想のグローバル化
> 10 グローバル資本主義とナショナル国民経済の時代
> 11 土地にまつわる記憶のないアメリカ
> 12 城下町広島とブーム・タウンのデトロイト
> 13 地理学的文明と経済学的文明
> 14 エントロピーという代価を無視した近代産業
> 15 江戸時代日本というモデル
> 16 文明とは基本的に農の文明である
> 17 輸送の文明から居住の文明へ
> 18 「特別な場所」としての都市
> 19 「規模の不経済」に陥る経済学的文明
> 20 地理学的地域連合の国・スイス
> 第4章 成長から保全へ、フローからストックへ
> 1 空しく宙に浮いた文明原理の転換
> 2 マネーゲームの拡大と負の成長
> 3 成長の限界と和解できない銀行という制度
> 4 経済デモクラシー確立のための社会信用論
> 5 生産と消費の不均衡を是正するベーシック・インカム
> 6 政府通貨を発行する「政府」とはいかなる政府か
> 7 投資の社会化をもたらすイスラム型金融
> 8 大量消費社会は平時の戦争経済
> 9 フローの拡大ではなくストックの充実を志向する経済へ
> 10 種、生命環境、国土保全という農の使命
> 補論 状況への発言
> 1 村の自治、都市と国家の民主主義
> 2 「番組小学校」に結実した京都・町衆の自治の精神
> 3 貿易の論理 自給の論理
> 4 アメリカ発国際金融危機から見えてきたこと
> 5 基礎所得保証(ベーシック・インカム)と農が基軸の地域計画で自給型経済へ
> 6 世界貿易の崩壊と日本の未来
> 特別寄稿 私にとっての農的生活 藤澤雄一郎
>
>
> 書評『グローバリズムの終焉〜〜経済学的文明から地理学的文明へ』 シリーズ地域の再生3巻 関曠野、藤澤雄一郎著 農文協 定価2600円プラス税
> http://bijp.net/newsinfo/article/425
> 評者 ベーシックインカム・実現を探る会代表 白崎一裕
>
> 評者は、1980年代半ばから90年代前半まで、不登校やヤンキーの子どもたちのくる私塾をやっていた。その頃の子どもたちの口癖のひとつに「将来のことなんて聞くんじゃね〜〜」という悪態があったものだ。彼ら・彼女らにとっては将来や未来のことなんて鬱陶しくて抑圧的なものであり、未来がいまより良くなるということは信じられなかったのだ。また、その当時聞いたことだが、定時制高校教師の勉強会で出る話の中に、生徒たちが教師のことを「このジジイ!」とか「このババア!」とか攻撃的に呼ぶようになるのが、ほぼ同時多発的でしかも1975年頃からというのである。本書で何度もとりあげられるニクソンのドルショックが1971年、ローマクラブ報告『成長の限界』の公刊は1972年。そしてオイルショックが1973年と続く。先に述べた1970年代の「子どもたちの変容」と本書で指摘されているドルと石油の二つのショックによる成長経済の終焉は、単なる偶然とは言い難い同時性を有している。近代資本主義の終わりの始まりを子どもたちの感性は鋭敏に捉えていたと解釈すべきではないだろうか。「子どもたちの変容」は、その後80年代から90年代へむかうにつれて、校内暴力・いじめに加えて、不登校・引きこもりという現象を伴い継続していく。これらは、単なる青年期の病理現象を超えて現在では普遍化され、草食系とかサトリ(悟り)世代とか呼ばれるようになってきている。「24時間戦えますか」というサラリーマン向け栄養ドリンクのコマーシャルは、発表された当時から、バブル期のサラリーマンをパロディ化するものでもあったが、現代では、まったくの死語といってよいだろう。子ども・若者の感性レベルでは確実に成長経済は終わっているのだ。
>
> 本書では、成長経済をもたらしてきた資本主義の歴史が、コロンブスの航海によるグローバル化を伴ってはじまり、新大陸アメリカの広大な国土と資源を「タナボタ」的に手にいれることによりその資本主義が軌道にのったことが説明されている。この資本主義は、結局のところ大衆の消費欲に支えられた過剰発展と所得不足による矛盾をかかえているのだが、その過剰発展を支えているのが、銀行が生み出す利子付き負債マネーと19世紀には石炭、そして、圧倒的なエネルギー収支の効率の良さをもつ20世紀の石油という化石燃料だった。しかし石油危機やその後のピークオイルにより成長経済はあきらかに行き詰まり、それを仮想現実的に埋め合わせようとして金融マネーゲームが介入するというのが1980年代以降における資本主義成長経済の最後の悪あがきだったというべきだろう。ただ、本書は、単に資本主義的成長経済の終焉を分析しているだけの書物ではない。ポスト成長経済(資本主義)のための見通しをしっかりと提示している。その方法こそが、ダグラスの社会信用論を発展的に受け継いだ、銀行経済から脱却する政府通貨の発行と、過剰発展と過少消費の矛盾を解消する個人単位・無条件のベーシックインカムの実施なのである。これらの制度改革により、冒頭に述べた若者の成長経済への感性的違和感は、その出口と着地点を「農」的暮らしを基盤とした「人間を人間の本分に即して保全する文明」へ求めることとなるだろう。従来からの資本主義批判とエコロジー的環境主義は、お互いがその抽象性から成長経済後の世界を展望することができなかった。しかし、本書は、通貨とエネルギーの問題点を歴史的に総括することにより具体的で実践的な道筋を私たちに提示してくれる。本書が呼びかける提言、すなわち成長経済と資本主義そして化石燃料を消尽する経済学的文明から、地理学・生態学・熱力学の科学的洞察に立脚してエントロピーの抑制を課題にする地理学的文明への転換こそ、実は最も先鋭的な政治的課題であることを最後に付け加えておきたい。
>
> 付記:本書の著者のひとりである関曠野さんも理事で参加する、島之内芸能(合同会社)の試みが「実現を探る会HP」にて紹介されている。この会社では、大阪から明治維新以来の日本の歴史を問い直し、なおかつ、大阪の芸能の伝統を生かし、ベーシックインカムや社会信用論の運動にも取り組もうということらしい。ぜひ、ご参考にしていただきたい。
 		 	   		  


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