[CML 031146] Re: 辺見庸 「わざとらしさ」について ――やはり憲法記念の日に 「今日の言葉~抜録~」(5月3日)から

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2014年 5月 4日 (日) 23:12:32 JST


前田さん

一般論として、たとえ相手が「右翼」思想の持ち主であれ、「対話」可能な人との「対話」を否定するつもりはありません。相手の
見かけの「思想」だけで人を判断するのはイデオロギッシュ(教条的)な態度というべきでしょう。私の採る態度でもありません。
そうした態度は人生を淋しく(実のないものに)させるだけだと私も思っています。

しかし、「対話」にしても「論戦」にしても基本的にはモノローグに対するダイアローグ。第一人の他者を相手にする問答のことで
す。「集団」の採る、また、採りうる態度ではありません。

人を選ぶに際しては集団(出版社であれ、労働組合であれ)には集団としての自ずからの「対話」以前の価値基準のようなもの
(たとえば出版社であれば創刊理念、労働組合であれば設立精神)がなければならないでしょう。その創刊理念や設立精神が
なし崩しになるような「思想」者を講師として起用するべきではないと私は考えます。 


むろん、立ち位置の問題ということはあるでしょう前田さんの言われる「起用の仕方」の問題です。しかし、朝日新聞労組はおそ
らく「論戦」などは意図せずに起用したものでしょう。今回の朝日新聞労組の田母神起用はやはり辺見のいう「『良心的に』ファ
シズムを誘導している」事態、あるいはミシェル・ドゥギーのいう「全面的変化(崩ー壊)が起こっている」事態、安易な流行に流さ
れてそれを安易と自覚しない「総転向時代」の思想現象の特徴とみなすべきものだと思います。

それに私は、加藤朗さん(元防衛庁防衛研究所研究員、桜美林大学教授)という人はどういう方か存じませんが、田母神俊雄
についてはそれなりに彼の思想を追跡したことはありますが彼は個人としてのダイアローグの対者としても「対話」可能な人物
とは私は思いません。まったきに「右翼」的な人物以外の何者でもない、というのが私の田母神評価です。

ただ、「金曜日に代わるメディアを構想できて」いないというご指摘はそのとおりで、この点については考えさせられます。

附記:

弊ブログに「引用者注」として以下の一節をつけ加えました。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-871.html

      日本ジャーナリスト会議の「今週の風考計」(Daily JCJ 2014年5月4日)の以下の記事もメディアの「良心的」なポピュ
      リズムへの誘導と「総転向時代」を象徴する格好の事例のように私には見えます。「小泉・細川両元首相らによる、
      脱原発を目指す「原発ゼロ・自然エネルギー推進会議」も、設立総会を7日に開く。発起人や賛同者に多彩な顔ぶれ
      が並び、再生可能エネルギーの普及に向けた活動を広め、原発の再稼働や輸出に反対する活動を展開する。さら
      に原発を抱える首長も参加、これからの知事選挙や来春の統一地方選に向け、脱原発の一点で共闘する選挙戦略
      も視野に入る。過去にたどった両元首相の失政を払拭するためにも、「自然エネルギー推進会議」の中身と活動を
      充実させてほしい」。同記事にいう「多彩な顔ぶれ」とは次のような面々を指すようです(敬称略)。赤川次郎、安野光
      雅、梅原猛、香山リカ、小林武史、菅原文太、瀬戸内寂聴、ドナルド・キーン、湯川れい子、吉永小百合、市川猿之助
      (東京新聞 2014年4月24日)。メディアには「いわくつきの小泉・細川元首相「保守」(いろいろな意味をこめてそう呼ん
      でいます)コンビの主導で真に脱原発の方向に向かうのか」という疑問の視点、すなわち、ジャーナリズムの視点がま
      ったく欠落しています。


東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/

From: maeda at zokei.ac.jp
Sent: Sunday, May 04, 2014 3:15 PM
To: 市民のML
Subject: [CML 031142] Re: 辺見庸 「わざとらしさ」について ――やはり憲法記念の日に 「今日の言葉~抜録~」(5月3日)から

前田 朗です。
5月4日

東本さん

ご苦労様です。

以下の文章のどこまでが東本さんのもので、どこからが辺見さんのものか、わか
りませんが、趣旨には半分同意、半分不同意です。

半分同意というのは、朝日や金曜日に代表される「リベラル」や「良心的メディ
ア」が露呈している無残な崩壊状況について、です。そこには私たち自身も含ま
れるのですが。「リベラル」といっても、思想としてのリベラルではなく、相対
的な関係の中でややリベラルの位置にいた「リベラル」ですからメッキがはがれ
るのもやむをえません。

半分不同意というのは、佐藤優や田母神俊雄の起用についてです。私は彼らを起
用すること自体が問題だとは考えていません。起用の仕方が問題なのだと考えま
す。きちんと論戦するのであれば、起用する理由があり、評価できます。対話が
成り立っているのであれば、それにも意味があります。しかし、例えば金曜日が
佐藤優に長期的に連載を任せて、言いたい放題書かせている点は、辺見が批判す
る通りでしょう。

他にも、とりわけ最近は安直な両論併記に逃げるなど、編集部に見識のないこと
がうかがえることが目立っています。とはいえ、私は辺見のような形での批判は
しません。金曜日に代わるメディアを構想できていませんから。

私自身は、昨年、右翼・民族派の一水会の木村三浩さんとの共著『領土とナショ
ナリズム』において楽しく対話をしました。これに対して「右翼と一緒に本を出
すとはなんだ」といったたぐいの批判をいくつもお寄せいただきました。今年は、
元防衛庁防衛研究所の加藤朗さん(桜美林大学教授)との共著『闘う平和学』を
出しました。加藤さんから教えられるところが多かったと思います。これにも、
すでに強い批判をいただいていますが、「敵と一緒にやるな」というレベルのも
のに過ぎません。

対話できる相手、論争できる相手とは、今後も同様に向き合い、批判しあってい
くつもりです。差別と暴力に狂奔するザイトクとは対話の可能性がありませんし、
言葉への責任を放棄した反知性主義を相手にするのはうんざりですが。

ではまた。



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