[CML 030031] 辺見庸にとっての友、堀内良彦の死。そして、「抵抗」と「反動」の問題

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2014年 3月 4日 (火) 14:43:59 JST


「日録8」(2014/02/26~)は辺見庸の友人、堀内良彦氏の死の報告から始まります。 

http://yo-hemmi.net/article/389942370.html

      2月26日付け。友、堀内良彦が2014年2月25 日午後8時ごろ、逝った。 



      同月27日付け。友、堀内良彦は血友病患者でHIV感染者だった。すでに肝臓がんを併発していたのに、福島県の放射能
      汚染地にたびたび入り、東電に抗議し、血友病患者支援にもあたっていた。そうせずにはいられなかったのだ。「戦死」と
      いう言葉はきらいだから、つかわない。良彦はただ、ずっと悪戦苦闘し、のたうちまわり、ついにひとりで逝きやがった。昔、
      文化学院でかれを知った。いっしょに教育テレビにでたこともあった。たびたび助けられた。とてもはげしく憤り、とてもやさ
      しく愛する男。カサヴェテスについておしえてもらった。飼っていた犬は柴のペロ。良彦より先に死んだ。存在していた者が
      不意にいなくなるのはあまりに奇妙だ。不当だ。

      同月28日付け。悔いている。こちらが生きるのにかまけて、堀内良彦の死の瞬間を知らなかったこと、その前に声をかけ
      てやれなかったこと。失念していたわけではないのだが。気になっていたのだが。おれたちはカサヴェテスを愛した。それ
      と、「ヘンリー/ある連続殺人鬼の記録」を、いっしょに偏愛した。良彦はわたしをヘンリーとよび、じぶんをヘンリーの相棒
      だった、結局ヘンリーに殺される悪党として、ひとしきり「どうあっても救われぬ悪人」を演じたこともあった。虫一匹殺せな
      い男が。

      3月1日付け。堀内良彦と夕暮れの観覧車に乗ったことがあった。テレビ撮影のためだったが、深海みたいなたそがれの
      宙をいっしょにまわったのを忘れない。ゴンドラのなかで、かれはなにか大声で叫んでいた。しかし、道路工事中だったの
      か騒音がひどくて、よく聞きとれなかった。わたしは、観覧車のなかで問うたのだった。腹が立たないか、と。良彦が答えた。
      騒音にかき消された。えっ、と聞き返した。するとかれがわめいた。ブッコロシタイ。ソノグライ、オコッテマス。そこはたしか、
      編集できれいに削除された。ダウンしたわたしのパソコンをなおしに、夜中の3時に自宅に駆けつけてくれたこともあった。
      心に皮膜のない、危ないほどむきだしのあの男に、わたしはただ助けてもらうだけだった。迂闊だった。

      3月2日付け。それがごく穏やかなものにせよ、苛烈にせよ、目にはよく視えないにせよ(おおかたは視えないものだ)、こう
      言ってよければ、わたしの戦線はすでにある。だれしも各個の戦線がある。じぶんの戦線は、まるでカナヘビの細い影のよ
      うに、極小である。でも、それをじっと見つめることだ。そこから逃げないことだ。できれば、それをあからさまにすることだ。
      この3年、いったいなにが起きて、なにが起きなかったのか。鬱々とかんがえていたときに、堀内良彦がひとりで逝ったのだ
      った。この3年、いったいなにが起きて、いま、なぜこんなひどいことになっているのか…ずっと昏睡しつづけていたように、
      しょうじき、わからないでいる。ただ、かれのあの激怒と共感と絶望が、ほんとうにたぐいまれな、立派な能力であったことだ
      けは、いくら迂闊なわたしにだって、わかる。強者への激怒と弱者への共感とじぶんへの絶望…。

      3月3日付け。3年間、なにがあったのか。昨夜、「2014.02.28経産省対話集会:急逝した堀内良彦氏への追悼アピール」と
      題された動画を見た。良彦らを追悼した集会記録なのに、経産省前にあつまった若者たちのなかに、良彦がいないかつい
      つい探してしまう。「経産省はよく聞けよ―!」、「原発やめろ」、「いますぐやめろ」、「原発反対」、「再稼働反対」、「原発輸
      出も絶対反対」、「武器の輸出も絶対反対」、「TPP反対」…ラップ調でシュプレヒコール。タンバリンやトランペットの音も聞
      こえる。良彦もここでこうやって、痛むからだをうごかして、リズムにのせて声をはりあげていたのだ。リーダーがラウドスピ
      ーカーで呼びかけている。「堀内くーん、聞いてるかーい?…雲のうえで遊んでてください。あとはぼくたちがやるから…」。
      よどみない声が夜空に吸いこまれていく。3年間、こういうことだったのだ。

3月3日付けには「3年間、こういうことだったのだ」とあります。「こういうこと」とはなにか。私はかつて辺見庸が書いた「抵抗はなぜ
壮大なる反動につりあわないのか――閾下のファシズムを撃て」(「世界」2004年3月号)という文章を思い出しました。その文章には
次のようにあります。少し長いですが引用してみます。辺見の言う「こういうこと」の中身(少なくともその中身の一部分)は以下のよう
なものではないか。

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      「気だるい土曜の昼下がりに都心のビル街を皆とだらだらと歩いていたら、ふと遠い記憶が蘇った。足下の路面が大きく
      波打つようにゆらゆらと揺れたときのこと。足の裏が、あの不安とも愉悦ともつかない弾性波の不可思議な感覚をまだか
      すかに覚えている。アスファルト道路がまるで地震みたいに揺れたのだ。それは、身体の奥の、なんとはなし性的な揺ら
      ぎをも導き、この弾性振動の果てには世界になにかとてつもない変化が継起するにちがいないという予感を生じさせたば
      かりでなく、足下の揺らぎと心の揺らぎが相乗して私をしばしば軽い眩暈におちいらせさえしたものだ。あれは錯覚だった
      のだろうか。錯覚を事実として記憶し、三十六年ほどの長い時間のうちに、そのまちがった記憶をさらに脚色して、いまそ
      れが暗い脳裏からそびきだされたということなのか。冗談ではない、と歩きながら私はひとりごちる。冗談ではない、ほん
      とうにこの道がゆっさゆっさと揺れたのだ。誓ってもいい。数万の人間が怒り狂って一斉に駆けだすと、硬い路面が吊り
      橋みたいに、あるいは春先に弛んだ大河の氷のように揺れることがあるのだ。

      足下の道が揺れると、いったいどうなるか。このことも私はかすかながら記憶している。道が揺れると、〈世界はここから
      ずっと地つづきかもしれない〉と感じることができたりする。勘ちがいにせよ、世界を地づづきと感じることはかならずしも
      わるいことじゃない。なあ、おい、そうじゃないかとだれかにいいたくなる。地つづきの道が揺れる。弾性波がこの道の遠
      くへ、さらに遠くへと伝播してゆき、知らない他国の女たちや男たちの、それぞれの皺を刻んだ足の裏がそれを感じる。
      ただこそばゆく感じるだけか心が励まされるのか、こちらからはわからないけれども、とにかくなにか感じるだろう。伝播
      する。怒りの波動が、道を伝い、道に接するおびただしい人の躰から躰へと伝播していく。つまり、この場合、人も道も大
      気も、怒りの媒質となって揺れるのだ。なあ、おい、そういうのを経験してみたいと思わないか。世界の地つづき感とか自
      分の内と外の終わりない揺れとかを躰で感じてみたくないか。そのことをだれかに問うてみたくなる。本当のところは、ま、
      錯覚なんだけどね、一回くらい躰で感じてみたくないか、と。私の隣りを歩いている若い男に声をかけようとする。彼はさ
      っきから盛んにタンバリンを鳴らしている。腰をくねらせたり片足を宙に跳ね上げたりして踊りながら、タンバリンを叩いて
      いる。男の眼がときおり細まり恍惚とした面持ちになる。遠くのスピーカーから「ウィー・シャル・オーバーカム」が聞こえて
      くる。皆がそれを歌い始める。ご詠歌みたいに聞こえる。私は話しかけるのをやめる。やかましい、と叫びたくなる。寒さ
      と気恥ずかしさが、躰の奥の、あるかなきかの怒りをかき消しそうになる。地面はむろん揺れはしない。揺れるわけもな
      い。たった三千人ほどの行進なのだから。いや、人数なんか少なくてもいい。せめても深い怒りの表現があればいい。
      それがない。地を踏む足に、もはや抜き差しならなくなった憤りというものがこもっていない。道は当然、揺れっこない。
      私は、しかし、道はいまこそ揺れるべきだ、揺するべきだと考えている。昔のように、というのではない。さらに大きな新し
      い弾性波を起こすべきなのだ。もちろん、懐旧でも、憧憬でもなく、そう思う。

      交差点の信号機が赤になり、行列が止まった。じつに素直なものだ。「私たちは自衛隊のイラク派兵に絶対反対します」
      と書かれた最前列の横断幕も歩みを止めた。その前で、皆が笑顔で記念撮影をしている。たがいに携帯電話で撮りあ
      い、その写真をすぐにだれかに送信したりしている。だれもが自己身体の部位の一部のように携帯電話をもっている。
      かつてはあれほど不気味に見えた携帯電話の風景がいつの間にか眼に慣れて、いまはずいぶん平気になってしまった。
      皆が例外なく躰に埋めこまれたかのように携帯電話を備えている。あれほど携帯を難じた私もまた。どんなことにだって
      人はほぼ慣れる。世界とはたぶん、それに慣れなければとてもではないがつきあっていけないなにかの病気なのだ。と
      いうより、世界によって躰が無理矢理慣らされるのだ。それを私たちは慣れたとか選択したとか思いこんでいる。ひどい
      倒錯。そう、政治の三百代言にも簡単に騙され、慣れ、欺罔(ぎもう)にもさして怒らない体質になりつつある。」(参照:
      「資料:辺見庸『抵抗はなぜ壮大なる反動につりあわないのか』(上)」2010.11.02 )
      http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-67.html
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東本高志@大分
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