[CML 032180] Re: JRを退職するにあたって

くすのき cxm00507 at nifty.com
2014年 6月 25日 (水) 01:09:17 JST


くすのきです。

久下さん、はじめまして。
40年、お疲れ様でした!

私は組合というものを知りません。個人企業のクリック、病院に勤務して
来ました。旗を振って首になったこともありましたが、ストの折など動労・
国労はいつも支持してきました。(動労、国労を並列にしていいのかな?)
「学校に自由の風を」という運動をカミさんが始めたとき、教師たちには
さまざまの組合の旗があって、それぞれの方たちが教育の圧制に苦しむさま
を見てきました。

あらたな職場でのあと5年が、心やすらかなもの(欺瞞的言葉ですが)であ
りますように!同時にご健康も!

その国労の久下さんに、一度うかがいたいと思っていたことがあります。

JR小海線に、小海という駅があるのですが、駅から程近いところに、秩父
事件終焉の地があり、ここに碑があります。そして国労が立てた碑も傍にあります。
国労がこの碑をたてた経過を知りたいと思うのですが、碑文以上のことを
知るにはどうすればいいのか、お教えいただけませんか?

<ps>
私も、この6月末で退職。27日までの3日で終わるはずでしたが、5月、6月と
看護婦さんたちの仲間割れから、ボーナス退職が数人も出てしまい、2−3ヶ月
首がつながりました。せっかくの夏休みなのに!!




 


----- Original Message -----
Date: Tue, 24 Jun 2014 11:27:07 +0900
From: "久下格" <kuge_on_cml at aoisora.org>
To: cml at list.jca.apc.org
Subject: [CML 032163] JRを退職するにあたって


国労組合員の久下です。私事で闘いのリストを使うのは違反ですが、以下はFacebookに
公開したものです。70年代にはこのような若者もいたという資料としてお許しくださ
い。(ハハッ)
--------------------
● 定年退職します ●
 JR各社では60才になる月の月末が定年退職の日となっており、私は7月末で定年
退職します。1974年、19才で国鉄に就職してから、まる40年間働いたことにな
ります。
 「働く者の世の中が来る。働く者の世の中を作るために国鉄労働者になる。国労で闘
う」という、今では考えられない「夢」、「幻想」としか言えないような動機で国鉄に
入社した私が、まさか、円満に定年退職とは…(ハハッ)。信じられません。
 まだ高校生の息子が独り立ちするまで、もう少し働かねばならない私は、先日、定年
後に再雇用されて働く駅に、少し早く転勤して働き始めています。
 いろいろ書くことはあるのですが、今はひとつだけ。国鉄分割・民営化反対闘争の敗
北以降を長い老後のように、半ば諦念のなかで暮らし、働いてきたはずの私が、最後に
マルス(指定券発売機)を操作する日に、最後にホームで旗を振る日に、これが最後の
仕事だと思った瞬間に、一種、感動のような感情が湧き上がってきて、我ながらとまど
い、驚いたことだけを書いておきます。ひょっとしたら私は、駅の仕事が好きだったの
かもしれません。
 57才のときに意に反した転勤を強いられましたが、転勤前の職場でも、最後の職場
でも、国労組合員はもちろん、大勢の若者たちとも仲良く、助け合って楽しく働くこと
ができました。今は、大間違いの人生でもこんなに幸せに生きられるのだと、もしも神
がいるなら神に感謝したい気持ちです。
 転勤を強いられた職場でも、最後の職場でも、職場を去る最後の挨拶で、皆が安心し
て働き続けられるよう、5年間で解雇という契約社員制度を見直して、5年働けば皆正
社員とする制度を作ってほしいと述べました。安心して働ける世の中がますます遠ざか
っていく状況のなかで、退職せざるを得ないことは残念でなりませんが、若い人たちに
は、自分たちの問題を解決するのは結局自分たち自身でしかない。皆で頑張っていい職
場を作っていけとしか言えませんでした。
 再雇用先の駅は、比喩ではなく「死ぬほど働かねばならない」厳しい職場です。私は
私の体が壊されないよう、まず、新しい職場の労働環境を整えることからはじめて、も
う少し、働き、そして仲間たちと一緒に闘い続けたいと思っています。

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久下  格   http://aoisora.org/



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