[CML 032010] ローマ法王パレスチナ訪問2題(その1)

Yasuaki Matsumoto y_matsu29 at ybb.ne.jp
2014年 6月 17日 (火) 21:21:06 JST


みなさまへ   (BCCにて)松元

フランシスコ・ローマ法王は、アン マンからヘリコプターでベツレヘムの生誕
教会に到着しました。法王は空から、1948年、1967年のパレスチナ難民
たちがアレンビー橋 を渡ったことを想い起こしたでしょうか?

法王がパレスチナ/イスラエルを訪問したのは5月25〜26日 でしたが、この前後
にインティファーダ・パレスタイン に投稿された2篇のエッセーを紹介いたし
ます。前篇は、法王がパレスチナを訪問する数日前に書かれたもので、ロンドン
在住の中東アナ リスト、ジェニン出身の71歳のパレスチナ人がパレスチナ問
題を回顧します。

後篇は、現在シドニーで、「パレス チナ問題のための正義」のコーディネー
ターを務めている女性研究者による手厳しい論評。彼女は、2005年ヘルシンキの
アチェ和平会談の人権アドバイザー、オーストラリ ア東チモール協会議長など
歴任し、BDS(イスラエル・ボイコット)など活発な投稿活動をしています。
拙訳ですが、紹介させていただ きます。ご参考になれば幸いです。

な お、ベツレヘムのアイダ難民キャンプ近くの分離壁で法王が祈りのために車
を止めたことはすでに世界中に報道されていますが、イスラエル当 局が前もっ
て壁を 白く塗り替えていたところに、さらにパレスチナの若者が「パパ、われ
われは自由に生きたい」という落書きをし、これが法王の目を止めたと 言われ
ています。http://i2.wp.com/www.intifada-palestine.com/wp-content/uploads
/2014/05/Pope-prays-at-the-seperation-barrier-Al-Monitor-640x360.jpg

6 月8日には、イスラエルのペレス大統領とパレスチナ自治政府アッバス議長
が予定通りヴァチカンに招かれ「平和のための祈りの集い」をした と伝えられ
ました が、ちなみに、イスラエル建国後のローマ法王の聖地巡礼は、第二ヴァ
チカン公会議後の1964年のパウロ6世が初めてで、フランシスコ法 王が4
人目となり ます。2000年のヨハネ・パウロ2世の聖地訪問では、ヤドバ
シェム(ホロコースト記念館)を訪れるとともに、ミサでは、十字軍、宗教裁
判、反ユダヤ主義 にカトリック教会と信者がかかわった過去の罪を認め、神に
許しを求めたといわれています。

し かし、この6月15日には、(紹介論考にも触れられているように、ついこ
の前、無防備のパレスチナの若者2名が背中を撃たれて殺害された ことを不問
にした まま)イスラエル入植地の若者3名が「行方不明」になったというだけ
の理由で、ネタニヤフが軍に厳命し、パレスチナ国会議員を含むハマー ス関連
の80人が 逮捕されたと伝えられました。あろうことか、パレスチナ統一政府
ができるというこの日にあわせて、この国家の狼藉のニュースがただちに全 世
界に配信された のです。証拠も令状もなしに逮捕し、裁判もなく拘留し投獄す
る、暗殺も爆撃も民間人虐殺もほしいままにし国際法を蹂躙して、何ら国際社会
からの咎めを受け ない軍事占領のこの例外国家の存在は、世界の暗雲の源であ
りつづけています。(2014年6月15日、松元記)

*ローマ法王パレスチナ訪問**2題(前篇)***

A Very Particular God
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Posted: 24 May 2014 08:52 AM PDT

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*じつに特別な神***

*ジャファール・**M**・ラミーニ**(松元保昭訳)****
2014**年**5**月**24**日****
インティファーダ・パレスタイン
*


****

*私 たちは今なお、イスラエルの人々のせいで私たち自身のホロコーストを被っ
ています。さらに、もし普遍的に認められている人権を訴えた り抵抗したり頭
をもた げようものなら、イスラエルのもうひとつの植民地アメリカ合州国議会
によってテロリストの烙印を押され、私たちは野蛮な力で押さえつ けられるの
です。これ は悲劇的な皮肉です。***

ロンドンに て―きょうは私の誕生日です。私は71歳 ですが、この地上に生を受
けてから ずっと、私は神とは何か、神が誰か、ときどき分からなくなります。

私は、預言 者ムハンマドがムスリム信仰を確立する彼の旅と彼の苦労について
読みました。私は、イエスを褒めたたえる賛美と彼が人類にもたらした正義 と
平和のメッセージについてキリスト教の聖職者から説教を聞きました。

私 は、神の唯一性やその服属と神との関係について語る律法学者をたくさん読
んだり聞いたりしました。これら三つのいわゆる「アブラハム信 仰」、すなわ
ちユダ ヤ教、キリスト教、イスラームのあいだには多くの類似点があります
が、それらはまた、依然として大海のように隔たっています。

こうしたと きにも、私はなぜ神に呼びかけるのでしょう?たぶん私の誕生日だ
からでしょう。たぶん今年が、約3700万 人もの無用な死に責任のある第一次 世
界大戦100年 の節目に当たるからでしょう。たぶ ん最近が5月15日 のナクバの
記念日であるからでしょ う。あるいはたぶ ん、私の母国パレスチナが永遠に失
われないという希望のほんのかすかな光でも見たいという絶望的な必要からくる
のでしょう。そしてたぶ ん、彼らに降りか かったイスラエルというこの邪悪か
ら私の兄弟たちが解放されるだろう、その期待を越えることを私が願っているか
らでしょう。

私たちの土 地のシオニスト占領者たちによると、私たちの地パレスチナをあら
ゆる他の者たちに先立って彼らのものとして相続するよう「彼らの」神が彼 ら
を選び彼らに約束したというわけです。

21世 紀には私たちはここ地球村で暮らし ていますが、シオニストたちによれ
ば、依然としてユダヤ人の神が現実の所有権を分けると決定したことになってい
ます。

パ レスチナ人として、私の同胞の大部分のように、私はユダヤ人やキリスト教
徒たちが兄弟または隣人として一緒に暮らすことに何の問題も持っ ていません
でし た。その問題は、シオニストのユダヤ人、無神論者テーオドール・ヘルツ
ルと数人の同じ志をもつ個人たちが彼らに言わせると世界のどこか安 全な場所
を持たね ばならないと決めた19世 紀末に始まりました。

こ れらのシオニストたちは、アルゼンチンについて考え、ウガンダについて考
え、そして最近明らかにされたことによると、アル・ハサと呼ばれ る現在のサ
ウジア ラビアの一部についてさえ彼らは考えていたのです。私たちにとっては
まことに残念なことに、彼らはパレスチナに入植したのです。

あらゆる手 段と武器、とりわけ「神の意思」が、パレスチナの民族浄化を正当
化するために私たちを抹殺するために、これら私たちの土地の占領者たちに
よって利用されたのです。これが、シオニズム運動の初期の指導者たちの幾人か
に「1895年6月、創設者テーオドール・ ヘルツル」と言わせたことなのです。

*「われ われは、国境の向こうに文無しの住民を連れ出そうとしているのだ。…
没収の手順と貧しい奴らの移送は慎重に遂行されねばならない。」 リクードの
中核イデオロギーを形づくる修正シオニズム運動の創設者ウラジミール・ジャボ
ティンスキィは**1923**年に言明した。「…植民地化は、 ―先住民が突破するこ
とのできない鉄の壁で…現地住民の自主的な力から保護さえされれば続行され発
展できるだろう。われわれは、われ らの民が圧倒的多数派を占める領土が必要
なのだ。…われわれは「人種差別」という言葉を恐れる必要はない。」***

このプロ ジェクトの支援を確保するため、英国系ユダヤ人作家イズラエル・ザ
ングィルはひとつの言い回し*「民なき土地に土地なき民を」*を 造り出しまし
た。およそ1890年 代前半のパレスチナには、ほぼ410000人 のパレスチナ・アラ
ブ人(ムスリム とキリスト教徒)が暮らしていたという事実は、彼を悩ますこ
とはなかったのです。

1915年 にポーランドに生まれ2度 イスラエル首相に就任した反英テロ 組織シュ
テルン・ギャング団の指導者イツハーク・シャミールは、アラブ人を*「正規の
民ではない砂漠の野獣」*と 表現しました。1947年 のメモには、彼のシュテル
ン・ギャ ング団は望むらくはイラク方面への全パレスチナ住民の強制排除を指
令しました。

(その2につづく)


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