[CML 031861] 元若松市(現北九州市)の市長でバプテスト教会の牧師だった吉田敬太郎さんが衆院議員だった太平洋戦争中に軍部を批判して投獄されたハナシ

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2014年 6月 9日 (月) 17:47:07 JST


吉田敬太郎さん(1988年に89歳で死去)は私の小、中学校時代の郷里の若松市(現北九州市)の市長だった人ですから当然
よく知っています。高校時代は彼が政治家を引退した後牧師をしていた若松バプテスト教会の前を通って学校に通っていました
からそのバプテスト教会のたたずまいもよく覚えています。吉田さんとは一度もお会いしたことはありませんが、清潔な人だという
印象は持っていました。

しかし、私にとっての吉田さんは、「火野葦平の小説『花と竜』にも登場する侠客の元親分で衆院議員の父磯吉氏」(平川哲也記
者)の息子というイメージの方が強かったように思います。吉田磯吉は関東一円まで名を轟かしたという大侠客。というが、早い
話がやくざの親分。敬太郎さんには清廉なイメージがあるといっても、所詮は手前(てめえ)は土方、ごんぞう(沖中仕)の安賃銭
の上前をハネた金に恵まれて太りあがったのだろう、という反発の方が強かった。だから、会おうと思えばいつでも会えただろう
に(毎日、彼の教会の前を通っていました)一度もお会いしたことはありませんでした。 


その敬太郎さんが戦争中に軍部を批判して投獄された経験があることも人伝てに聞いてうっすらと知ってはいました。そのとき
一度お会いしてみようと思ったことはあります。が、そうこうしているうちに私が若松を離れることになって、また、そうこうしている
うちに吉田敬太郎さんの訃報を知って、永久にお会いする機会を失くしました。

敬太郎さんは酒が好きだったかどうか知りませんが、私は好きですので、一升瓶をぶら下げて天国でお会いして郷里の話でも
したいものだ、といま思っています。もしかしたら、私の母の話もご存じかもしれません・・・

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太平洋戦争:軍部批判し投獄された衆院議員 自叙伝を復刊 毎日新聞 2014年06月08日
http://mainichi.jp/select/news/20140609k0000m040054000c.html

◇「父駆り立てたのは正義感」

太平洋戦争中に大政翼賛体制下の国会で衆院議員を務めながら、大本営発表を批判して投獄された人がいた。戦後は福岡
県若松市(現北九州市)の市長も務めた吉田敬太郎さん(1988年に89歳で死去)。絶版になっていた自叙伝を長男潤世(じ
ゅんせい)さん(83)が復刊し配布している。自叙伝に込められた吉田さんの思いは、国家の虚偽という過去の過ちを繰り返さ
ないための後世への警鐘といえる。【平川哲也】

「『国賊』と呼ばれても父が戦争に反対したのは、大本営発表のウソを見抜いていたからですよ」。福岡県芦屋町の自宅で潤世
さんは、3年前に復刊した父の自叙伝「汝復讐(なんじふくしゅう)するなかれ」のページを繰りながら語り出した。

吉田さんは若松市出身。火野葦平の小説「花と竜」にも登場する侠客(きょうかく)の元親分で衆院議員の父磯吉氏の地盤を
継いで42年に初当選した。ミッドウェー海戦の損害を過小に発表するなど、大本営が情報統制を強めたころに重なる。そうし
た内実を、吉田さんは外務省に勤める大学の同窓生らから聞いていたという。

自叙伝で、吉田さんは「当局が国民に判断の基礎となる資料をひた隠しにしていたのだから、最後の破局が到来するまでそ
の欺瞞(ぎまん)を見破れるはずもなかった」と書く。44年夏にサイパンが陥落して敗戦が濃厚になると、学友から聞いた情報
を基に「軍部の欺瞞」を突く演説を地元で始め、停戦を主張した。国会では軍事費の決算報告がないことを追及し、憲兵らに
追われる日々が続いた。

45年3月、根拠のないうわさを流したなどとして逮捕され、福岡市内であった軍法会議で懲役3年の実刑判決を受けて刑務所
に収監された。潤世さんら子供たちも「国賊の子」と陰口をたたかれた。敗戦で嫌疑が晴れ出獄したが、潤世さんは栄養失調
でやせ細った父の姿を記憶している。

収監中に出会った聖書が「汝自ら復讐するなかれ」と説くのに共感した吉田さんは、その後キリスト教の牧師となる。さらに51
年から若松市長を3期務め、5市合併による63年の北九州市移行後に公職を退いた。 


終戦から69年を控え、潤世さんは「父を行動に駆り立てたのは『本当のことを言わねばならない』という正義感だったと思いま
す」と話す。

特定秘密を漏えいした者に最大10年の懲役を科す特定秘密保護法が年内にも施行される。国家が恣意(しい)的に特定秘
密を指定し、事実を隠すような恐れはもうないのか。「生きるか死ぬかの体験をしてきた中で父が伝えたかったことがあるは
ず」と潤世さん。その父は自叙伝の後書きでこうつづった。「これは老船長の航海日誌で、人生の大海に挑もうとする若い航
海士への参考のために書いたものです」
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東本高志@大分
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