[CML 031857] Re4: 美味しんぼ「鼻血問題」 福島出身の弁護士はどう見たか? ――石森雄一郎弁護士の問題提起は美味しんぼ「鼻血問題」議論の結論になりうるものではないか
higashimoto takashi
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2014年 6月 9日 (月) 13:07:45 JST
(承前)
第10。「主観的事実」ということについて。「主観的事実」という言葉はともかくとして「客観的事実」という言葉はよく用いられる言葉です。
その「客観的事実」に対して、『美味しんぼ』の作者は、「私はこう思う」ということを「事実」と主張しているわけですから、その「事実」は
主観でしかない、という意味で「主観的事実」という言葉を用いました。
たしかに「主観」と「事実」は対立概念ですから「主観的事実」というようにはふつうは言いません。私の読書範囲では、あえて「主観的事
実」という言葉を用いるときには「主観的『事実』」というようにかっこつきで表現するのがふつうのように思われます(事実とはいえない
事象について、当該者が事実と主張しているときなどにほんとうは事実とはいえない、という意味を含意してかっこつきで「事実」と表現
していることが多いように思われます)。が、わざわざカッコをつけるのも仰々しいかなと思うところもあったので今回はかっこを外して表
現したということにすぎません。それ以上の他意はありません。
他意のないことをあれこれと論う段階でこの議論はもう終わった、と私は判断します。
これ以上の議論に有意義性があるとは思われま
せん。終了させていただきます。
附記:
「利益相反」ということを盛んに言われますが、実は私はいま裁判中で相手方の代理人弁護士から私(本人訴訟)と私の家族の主張は
「利益相反」すると盛んに言われている最中です。ですから、「利益相反」の法律的意味合いはよく承知しています。先頃も私と私の家
族の主張は「利益相反」しない旨事実に即して準備書面で反論したばかりです。裁判はまだ続きます。さて、どうなるものやら。「すべて
裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行」(憲法76条)われることを期待するのみです。
東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/
From: 森中 定治
Sent: Monday, June 09, 2014 9:25 AM
To: 市民のML
Subject: Re: [CML 031839] Re3: 美味しんぼ「鼻血問題」 福島出身の弁護士はどう見たか? ――石森雄一郎弁護士の問題提起は美味しんぼ「鼻血問題」議論の結論にな
りうるものではないか
東本様
>ここで私が問題にし、石森弁護士も問題にしているのは、「『自分はこう思う』という主観的事実でしかないものを『いとも簡単に客観的事実として『断定』する」『美味しんぼ』の作者の表現姿勢の問題です。主観的事実でしかないものを客観的事実のように語ってはいけない、ということです。
“主観的事実”・・言葉自体が論理矛盾ですね.こんな言葉が実際に使われているのですか?まあ表現方法の一つなのでしょうが・・,でも気持ちは分かります.○○だ!という強い断定も,○○と私は思うという穏やかな表現も,どちらも同じ個人の主観です.“事実”は一つであり,もちろん客観的です.数学のように論理だけで成り立つものなら,誰もが納得できる一つの正解(事実)がありますが,こういった社会事象について,不完全な能力しかもたない人間の調査や研究によって“事実”を見つけることは至難の業です.
先に貴方が引用された安斎育郎氏のコメントは,彼の“主観”としては“因果関係はない”(と思う),しかし“事実”は,どちらとも簡単には断定できないということでしょう.この後半の“簡単には断定できない”という事実は,鼻血と放射能との間に因果関係がないとする立場でもあるとする立場も一致しており,これを論じても無意味です.ですから,安斎育郎氏が後半に述べた事実“因果関係は分かっていない”をもって安斎育郎氏がどちらとも言っていないと主張されても意味はありません.当然ながら小出氏は前半部分の彼の“主観的見解”について対論しているのです.
「美味しんぼ」の主張で,どのように語ろうとも,それは著者の“主観”です.語り方は関係ないと思います.“客観的事実のように語ってはいけない”という貴方の主張には意味がありません.○○だ!とまるで事実のように語れば,事実っぽく聞こえるという人もいれば,○○と私は思うという謙虚な表現の方が,ずっと心に響くという人もいるでしょう.どの表現なら正しいとか,どう表現しろとか,著者に向かって発する言葉としては僭越でしょう.
人間が非力なりにも,できる限り“事実” に近づくには,謙虚さが必要です.そしてその謙虚さが,国民を合意や納得に導くのです.
貴方は相馬郡医師会の調査が,客観的であり“事実”だと思いますか?
自民党環境部会が相馬郡医師会に調査を依頼したのですね.では,その結果は自民党の望むものだろうと見なすことができます.実際に調査に関わった人はどういう人ですか?自民党と同じ利害をもつ人の集団ですか?日頃の言動を見れば分かると思いますが,“放射能と鼻血に因果関係はない”という強い主観をもつ方が多数を占める集団ですか?調査には沢山の医師か関わったでしょうから,なかには何らかの因果関係があるのではないか(自分のところには鼻血を訴えてきた患者が目につく)と考える医師もいたかもしれませんが,そういう医師が自由に発言し得る空気がその調査にはあったのですか?
この視点が「利益相反」の視点です.国民が公正さを感じ,また逆になれば猜疑心を誘発する大変重要な要素です.貴方のブログを見ても,偏りのない,公正な調査をしようとした意志も感じられず,また公正な調査であったことを国民に分かってもらおうとする説明もないようです.調査の結果が“鼻血は増えていない”という主張ばかりです.国民の疑惑を解くには,調査の公正さを示すことが重要であって,結果の強調ではそれができないことが分かります.「利益相反」の視点をもたねばできないのです.
私だったら,もし本当に因果関係を確認しその結果を国民と共有したいと願うなら,因果関係があると主張しているグループと共同で実施しますね.それこそが国民と真の理解を深める,“政府は国民と共にある”ということではありませんか.そういった考慮が,この調査に少しでもあったのでしょうか?
森中
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