[CML 031795] 「吉田調書」について
長船 青治
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2014年 6月 6日 (金) 12:35:58 JST
塩見さん、皆さん
塩見さんのこういう足下からの運動の立ち上げに感心しました。
まず一番上にある(本当はもっと一番上に安倍政権があるのだが、)天下り団体の「(株)都市開発」と
半分はいかにもシルバー世代の味方のような顔をした公共職業安定所の「シルバー人材センター」が
あってその下に労働現場の「クレア駐車場管理3人委員会」があるという風に読みました。
塩見さんの長かった別荘生活のことを思うと、今でもよく「獄中非転向」を掲げて居られるということは
おそらく塀の 中で相当な「意志」の再確認の繰り返しの年月であったのではないかと
推察いたします。
最近になってやっと3年以上経って、福島第一原発所長だった「吉田調書」がぼく等少数の友人の間だけでなく
ネット上や新聞などでも
話題になっていますが、ぼく等が「東日本大震災緊急支援市民会議」で2011年4月に南相馬市災害対策本部に
支援物資を届けた折で、たぶん「桜井市長」との面談は合計10回以上やったのですがその2回目くらいの
更に数日前あたりから塩見さんが、(ぼくにとってはまったく考へてもいなくて
驚いたり、全くその通りだと思ったりしたのですが、)トラックの助手席で突然、「吉田所長は、国民に
説明責任があるのではないか、」と半分位はその暗黒世界にいる吉田所長に対し
怒りを隠せないように何度も何度も同じ事を運転しているぼく等に言い出したのを思い出します。
まったくもってこの時にもっとこの極めて本質的で大事なことを「9条改憲阻止の会」は国民だけでなく世界に対して訴えるべきでした。
「桜井市長との会談」でも塩見さんはこのことに触れたと思います。
しかし当時のぼくの印象では「桜井市長」ですらこの重大な「吉田所長が国民に対して説明責任があるということ。」に
ついて積極的でなかった。
ぼく等というより国民は「福島第一原発」のなかが今どうなっているかまるで中世の暗黒時代のような
「不安と戦慄」を覚えたものでした。
それから3年が経過して、あのとき塩見さんとぼく等が覚えた「不安と戦慄」が何だったかが
次第に「吉田調書」によって明らかになって来たのでしょうか。
ぼくは、物事に対して考へる時にけっこう真正面から考へるほうなので、それがよく失敗の原因に
なったり成功の理由になったりしているのですが、今日、振り返ってその時、南相馬市内の喫茶店で
覚えた「不安と戦慄」の理由は、最近はゆっくりその「吉田調書」なるものを読んでみたり
できるのですが、それよりも何よりもだいたい1年以上も経って「吉田所長が国民に向かって初めてテレビに出て
言ったことのほうが、」ぼく個人にとっては「許せない」大事件であった訳です。
長船青治から
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