[CML 031742] ブラック企業の意義
林田力
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2014年 6月 3日 (火) 21:54:47 JST
ブラック企業は社会問題になっており、今後も重要な政治課題になる。ブラック企業を重要な政治課題とする理由として、汎用性、本質性、長寿性の3要素を挙げる。
まずブラック企業の幅広さである。ブラック企業は若者を使い捨てにし、過労死や過労死に追い込むという非常に深刻な問題である。しかし、ブラック企業という言葉は特殊な企業・特殊な現場に使われるものではない。体育会系企業の従業員が自社の社風を愚痴る場合でも使える言葉である。この言葉の軽さからブラック企業という表現を嫌悪する人もいるが、普通の労働者が自分の問題として使える言葉には価値がある。ブラック企業という言葉によって狭義のブラック企業の被害者とつながることができ、連帯の可能性が生まれる。
ブラック企業の持つ汎用性はブラックバイトやブラック士業、ブラック特区など派生型を続々と生み出している。ブラック企業という言葉によってバラバラの問題をつなげることができる。
たとえば非正規雇用も深刻な労働問題であるが、純粋にマーケティングの視点に立てばブラック企業の方が優れている。若年層の3分の1が非正規労働者という事実は社会問題としては重たい。しかし、有権者の数で考えれば若年層の3分の1は少数派である。この現実を認識しなければ政治の場では空理空論になる。だからこそ非正規雇用の問題もブラック派遣会社やブラックバイトとブラック企業の派生型で訴えることが有効になる。
次に本質性である。ブラック企業は日本の労働問題の本質を突いている。狭義のブラック企業は正社員を使い捨てにする企業である。ブラック企業が正社員を酷使できる源流には、労働者に担当職務を超えて無限の忠誠を要求する日本型雇用がある。ブラック企業は20世紀の過労死と本質的に同じ問題である。
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ブラック企業批判は「昔は良かったが、新自由主義が入ってメチャクチャになった」という批判とは一線を画する。だからこそ左翼を既得権益擁護者と嫌う若年層もブラック企業批判には飛びつく。自民党代議士も『ブラック企業は国賊だ』という書籍を刊行する。
最後に長寿性である。ブラック企業は生命力を持った、息の長い言葉である。ブラック企業は2013年の流行語大賞にランクインした。流行語は一過性のもので、将来的には急速に廃れるとの懸念も考えられるが、ブラック企業には歴史がある。
ブラック企業はネットスラングとして始まった。それがメジャーな場所に出るきっかけは書籍『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』の刊行であるが、これは2008年である。この書籍は映画化するなど当時も話題になった。その言葉が5年後に流行語大賞になっている。一過性の流行語では片付けられない生命力である。
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林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
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