[CML 032819] 『南京!南京!』(中国映画 監督:陸川/ルー・チューアン 2009年公開)をyoutubeで観る

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2014年 7月 26日 (土) 21:54:55 JST


youtubeの日本語字幕版で『南京!南京!』(監督:陸川(ルー・チューアン)、2:14:50、2009年)を観ました。はじめは意図がわか
らず、なかなか観通すのに難儀したのですが、それでもこの映画の映像の美しさは私にもわかるものでした。私は久しぶりに「硬
質のリリシズム」という言葉を思い出しました。特に被「攻略」側(中国側)の情念を内向させた寡黙な男性を演じるリウ・イエの描
き方に私はそれを感じました。そのことがはっきりとわかるようになった頃には作品の意図も見えてきて、私は一層この作品に魅
かれていきました。ラストにすでに遺影となった登場人物の写真がクローズアップされて映し出されるのですが、時間にすればほ
んの数十秒のことでしょうが、私は長いことその遺影を見入っていたような気がします。 

http://www.youtube.com/watch?v=VWjHyCKaRUg

辺見庸はこの『南京!南京!』について次のように書いています。

      『南京!南京!』。1937年12月から翌年1月までの出来事が、1971年生まれの中国人監督によって、このように映像化
      された。まずそのことに、言いしれないおどろきをおぼえる。歴史、経験、記憶、映像、忘却、視圏、写角……。見ること
      と、見られること。記憶すること、記憶されること。曝すことと、曝されること。死者の山のざわめき。(略)事実とは反事実
      をふくむ、糸のきれて散らばった数珠玉である。事実とはしたがって異同そのものである。陸川監督が資料と証言という
      おびただしい数珠玉を、かれの歴史観、人間観、想像力という糸でつないでみたら、こんな全景になったということだろう。
      (略)

      『南京!南京!』は、中国製というより、陸川監督の手になる南京大虐殺にかんする映像テクストである。日本ではこれ
      に比肩しうる映像テクストがない。みずからの非を飾ることのさもしさもさることながら、日本というクニには、かかわって
      きた戦争と戦争犯罪のテクストがほとんどないこと――それは「学ばない」という習性のあわれをこえた不可思議であり、
      それこそが恐怖のみなもとだ。南京攻略祝賀式典のシーン。うち鳴らされる大太鼓。ドンドコドンドコ。多数の兵士たち
      の、なにやらドジョウすくいのような、異様なダンスと行進。神輿のようなもの。はためく各師団の幟。必見である。思い
      切ってデフォルメされた、このありえそうもないシーンこそ、わたしにはもっともリアルで、卓抜な映像とかんじられた。シ
      ュールである。シュールであったのだ。リーベン(日本)の素振りと律動が、こうみられたのだ。(「日録27」)
      http://yo-hemmi.net/article/402548872.html

上記で辺見が「必見である」と言い、「シュール」と言い、「卓抜な映像」と言う『南京!南京!』のラストシーン(南京「攻略」を祝う
日本軍の祝賀パレードのシーン)について陸川監督はインタビューに答えて次のように言っています。

      ここで表現したかったのは戦争がいかに人の魂をコントロールするかということ。戦争が起こる前には必ず文化によっ
      て戦争の執行者への洗脳が行われる。精神の絶対的なコントロールと占領こそが戦争の本質です。戦争の核心的結
      果は、異なる民族の文化を被侵略者の廃墟の上で踊らせることです。これは私が夢の中で思いついたことです。2007
      年8、9月に脚本と葛藤しているときにうたた寝をして、うとうとしながらこの場面を夢見ました。
      http://j.people.com.cn/94478/96695/6642806.html

以下、省略。全文は下記をご参照ください。

■『南京!南京!』(中国映画 監督:陸川/ルー・チューアン 2009年公開)をyoutubeで観る(弊ブログ 2014年7月26日)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-956.html


東本高志@大分
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http://mizukith.blog91.fc2.com/ 



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