[CML 032420] 論考 安倍首相による〈7・1解釈改憲〉を凝視して 井上澄夫

井上澄夫 s-inoue at js4.so-net.ne.jp
2014年 7月 5日 (土) 23:02:06 JST



みなさんへ



 この文章は、安倍首相による〈7・1解釈改憲〉という最悪の意味で画期的な事態を凝視して、自分の立ち位置を改めて確かめるために書き、ある民衆のメディアに寄せたものです。ご一読いただければ幸いです。なお、転載・拡散は自由です。



               井上澄夫 米空軍嘉手納飛行場・一坪反戦地主

                    北限のジュゴンを見守る会

                         2014・7・5



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非武装原理主義者として考える



                                  井上澄夫



 安倍首相は七月一日、閣議決定をもって憲法9条を葬り、現憲法施行以来続いてきた戦後立憲体制を破壊した。痛恨の極みだが、反改憲勢力は歴史的な敗北を喫した。その重い事実を胸に刻みながら、敗因を考える。



 改憲反対運動は「九条を守れ」と主張してきた。そこで語られてきた「九条」はどのような内容をもつのか。

 九条は一項で〈戦争の放棄〉を、二項で〈戦力不保持〉と〈国の交戦権の否認〉を定めている。しかし反改憲運動はこれらの三規定すべてを「守る」ものだっただろうか。私は総じてそうではなかったと思う。

 ほとんどの場合、「九条」は〈戦争の放棄〉のみを想起させ、九条を守れば戦争にならないという「信仰」を生んできた。その場合、〈戦力不保持〉と〈国の交戦権の否認〉はどうとらえられていたのか。



 吉田茂首相は現憲法公布前の一九四六年六月二五日、政府の憲法案について衆院本会議でこうのべた。



 〈戦争抛棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定して居りませぬが、第九条第二項に於て一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、又交戦権も抛棄したのであります。従来近年の戦争は多く自衛権の名に於て戦はれたのであります。満州事変然り、大東亜戦争然り。〉



 これはまさに稀代の名論卓説というべきだが、吉田はわずか数年後の五〇年一月二四日、衆院本会議での施政方針演説でこうのべた。



 〈戦争放棄の趣旨に徹することは、決して自衛権を放棄するということを意味するものではないのであります。〉



 この年の元旦、マッカーサーが年頭の辞で日本国憲法は自己防衛の権利を否定せずと声明しているから、吉田が自衛権に関する見解を変えた理由は明らかだが、この吉田の見解変更こそ、《最初の解釈改憲》だっただろう。それ以来、吉田のいう自衛権は「個別的自衛権」と名を変えて第二次安倍政権以前の歴代保守政権によって正当な九条解釈とされてきた。しかしこの個別的自衛権保有論が、九条が定める三規定、〈戦争放棄〉〈戦力不保持〉〈国の交戦権否認〉のいずれとも矛盾することは言うまでもない。



 ところでこれまでの反改憲運動は九条が定める三規定に基づき個別的自衛権を明確に否定してきただろうか。七月一日付北海道新聞の記事「「自衛隊城下町」千歳の不安 集団的自衛権閣議決定へ 隊員「戦争で死ぬのは嫌」 家族「言い出せずつらい」」にこうある。



 〈千歳九条の会は、自衛隊を批判する活動と思われ非難されたこともある。中山竹生(たけお)代表(七七)は「市民である隊員を否定する活動ではない」と話す。「専守防衛に徹すべきだ」と伝えたいのだが、賛同の輪は広がらない。〉



 専守防衛に徹すべきとは、九条の戦力不保持規定に違反する自衛隊の存在を容認することを前提にしている。それは国の交戦権を認めるということでもある。



 しかし専守防衛論は安倍政権の七・一閣議決定による解釈改憲を批判する多くのマスメディアの論調にも顕著である。七・三付東京新聞の一面トップ記事「半田滋編集委員のまるわかり集団的自衛権」にはこうある。



 〈憲法の縛りの中で自衛隊を活用してきたから平和国家なのです。〉



 これは「自衛隊による平和論」の典型だが、反改憲運動においても「千歳九条の会」は例外ではないのが現実ではないだろうか。

 九条を守るのであれば自衛隊を容認する人でも歓迎という運動の広げ方も耳にするが、そういう運動は九条のナニを守るのか。

 安倍は明文改憲を当面棚上げし、七・一解釈改憲では九条の文言をいじらなかった。それゆえ九条の文言は意味を殺されて残った。



 私は九条の内容である三規定を一括して〈非武装・不戦〉ととらえる。私が九条を支持するのは非武装原理主義者だからである。この国は一八七二年に始まる琉球処分と一八七四年の台湾侵略以来、侵略戦争と植民地支配によってアジア・太平洋諸国に筆舌に尽くしえない惨害をもたらした。九条はその歴史を反省し二度と同じ轍を踏まないと決意して世界に発した誓約である。その誓約を保証するものこそ戦力不保持=完全非武装なのだ。



 吉田茂による《最初の解釈改憲》は安倍晋三による《究極の解釈改憲》に行き着いた。私たちはその負の歴史を清算するところから反戦運動を立て直すべきである。自衛隊の存在を「あってはならない」と明確に否定し、現に自衛隊という名の新日本軍が展開している作戦に正面から反対すべきである。

 自衛隊が大きくなりすぎて海外で戦争されては困るが、いざというときは自衛隊サンに頑張ってもらいたいという虫のいい魂胆は、戦争放棄とは無縁であるし、反戦ではない。



 安倍政権は沖縄・名護市辺野古での新米軍基地建設工事を本格的に開始した。新基地にはオスプレイを含む五八機の米軍機が配備されることになっている。安倍は「尖閣諸島」をめぐる日中間の緊張をあえて高め、「尖閣」戦争に備えるとして自衛隊を与那国、石垣、宮古、奄美大島の島じまに配備し、琉球弧を最前線の要塞にしようとしている。そのために自衛隊にもオスプレイを導入するのみか、敵前上陸用の水陸両用車を開発中である。安倍の解釈改憲による戦争国家化は近い将来現実になるのではなく、私たちの眼前ですでに進行しているのだ。



 かつて自民党の幹部が「九条を素直に読めば、自衛隊があるのはおかしいと中学生でもわかる」と語るのを数度聞いた。むろんその人物は「だから九条を変える必要がある」と主張したいのだが、彼のいう「中学生の理解」はまったく正しいのだ。

 九条が〈戦争放棄〉〈戦力不保持=非武装〉〈国の交戦権否認〉を鮮明に規定していることには明確な歴史上の根拠がある。歴史に学び、日々の反戦の実践によって「九条の意味」を完全に実現することは私たちの責務である。


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