[CML 029323] < テント日誌 1月29日(水) 経産省前テントひろば 872日、商業用原発停止 140日目 >

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2014年 1月 31日 (金) 23:55:00 JST


(転送します)

テント日誌 1月29日(水)

経産省前テントひろば872日目 商業用原発停止140日目

援軍現わる,また愉しからずやってことなのだ、わが友たちよ!

  柳田国男の小品に「野草雑記」や「野鳥雑記」がある。自分の住まいの周りの野草や野鳥についての観察記とでもいおうか。彼は郊外と目された喜多見に居を移していた。そこでのこころもち余裕を持っての観察だが、ここには子供のころの回想もあり、日本人の生活や文化の面影を伝えている。僕は三年目を迎えるテントに習慣のようにして足を運びながら、この周辺の雑草などを季節の移り変わりの中で眺めている。もっとも野鳥は「指定席」の周辺で見かける雀くらいのものだが。こうして、少年期までを送った農村でのあれこれを想起している。これは自然にやってきて回想し物語をしていることにもなる。僕のこころの滋養にもなっている。

 テントという形態で運動をはじめたときはどこまで続けられるかはわからなかったが、脱原発運動の高まりがあり、それとの連帯感もあった。毎週金曜日の官邸前抗議行動も大きな力添えとなった。しかし、運動の高まりがそう続くものでないことは分かっていたし、事実、停滞気味になってきた。でもこうした運動の流れとは別に国民の脱原発の意識が続いていることは救いだった。それは、今もまたそうである。こうした中での僕らの闘いを持久戦となづけた。特別なことをしたわけではない。できたわけでもない。自問自答という形で考えることを増やしただけある。持久戦は孤立感を伴うことは避けがたい。だから、援軍が欲しい。考える事は援軍のことを考えることだ。これは権力のありようを考え、運動のあり方を考えることだ。どれだけ考えられたカはともかく、持久戦とは考えを続けることであると念じてきた。

 僕はこの脱原発運動を担う人たちの考え方と運動の停滞とは重なるところがあると考えた。援軍というのはここのところに関わることだった。脱原発運動の広がりや深まりのためには、運動を担う人たちの運動についての考えが変わらなければならない、視えない形の壁を壊さなければと思った。これは党派性の問題であり、同族意識のようなものといっていいのだ。壁は権力の方と同時に運動の担い手の方にもあるのだ。テントで果てしの激論とねむられぬ中で考えたことだ。脱原発運動は左右というこれまでの政治的枠組みから脱していかなければならない。国民的運動にというのはそのことである。単純だけど一番困難なことかもしれない。これには無意識も含めて僕らが身につけてきた思考(考え)からの脱出というか、それが必要だからだ。経験というのは大事だ。だが、時に経験や経験から身に付けたものは束縛にもなる。これもまた経験的に学んだことだとしても。

 脱原発運動の発展と担い手たちの党派意識や同族意識からの脱却は重なるのだろう。これは自分が友にきつい言葉をなげかけた後味の悪さの中で反省したことだった。その意味では僕には小泉元首相の発言は驚きだった。これが本当の援軍なのだ。歴史は意外なところから以外なものがあらわれるのだ。こんな風に歴史は変わっていくのかという驚きもあった。脱原発運動が発展すること、そのために身についている古い殻を破り続けていくこと、それを映す鏡のようなものを僕はそこにみた。小泉発言を驚きの中で受けとめ、彼らが脱原発の行動はじめたら、どう連帯して行けるか、僕は考えてきた。また、これまで脱原発運動を担ってきた人たちの反応も想像しながら。

 「援軍現わる、また、愉しからずや!」ということが最初の感想だったが、僕らが逆に援軍すべき事だとも思った。援軍には僕らの方が援軍に行くべき存在もある。小泉発言の歓迎の流れの中にあるのが細川支援だ。別に都知事選にはじまったことでもないし、これからも続くことだ。僕は小泉の発言と行動を歓迎し、支援する。細川の行動もまた。「細川でいいじゃないか」とかいたところ多くの賛意と反発をいただいた。別段、テントひろばの方針でないことは自明のことで論ずるまでもないことで、気にすることもない。テント日誌は自由に表現したらいいのだ。そのために文章の責任名を載せてきた。多くの団体やグループが団体の意見ということと、そこで自由な表現ができなくなる矛盾を持ってきた。こうした矛盾の打破の一つとして署名入りの文章ということを考えやってきた。だから今回からイニシャルはやめることにする。
(文責 三上治)



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