[CML 028985] 「怒り」をもって言う ――「憲法会議」(憲法改悪阻止各会連絡会議)の澤藤統一郎弁護士への言論封殺事件

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2014年 1月 16日 (木) 01:44:44 JST


今日付け(2014年1月15日)の澤藤統一郎弁護士の「憲法日記」「宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその26」を私のコメ
ントをつけずにそのまま送信します。

このメーリングリストにも「憲法会議」所属の研究者、弁護士は少なくなくいらっしゃると思います。

澤藤統一郎弁護士(元日本民主法律家協会事務局長、「憲法会議」会員)の以下の問題提起、その澤藤弁護士の宇都宮健児
東京都知事選立候補予定者、「人にやさしい東京をつくる会」運営会議批判への「報復」措置とでもいうべき今回の「月刊憲法
運動」の同弁護士への執筆依頼撤回事件、それに対する同弁護士の「怒り」の声をどう思われますか?

率直なご意見をお伺いしたいところです。

以下、「宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその26」(澤藤統一郎の憲法日記 
2014年1月15日)。
http://article9.jp/wordpress/?p=1926

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「人にやさしい東京をつくる会」の運営会議の席で、私は、出席者から少なくとも2度、「今後運動の世界で生きていけなくなるから
よく考えろ」という「忠告」を受けている。「だから、おとなしくしておいた方が身のためだ」という恫喝と私は理解した(「その10」)。

「いまどき馬鹿げたことを」と私は一顧だにしなかったが、ようやくにして思い当たる事件にぶつかった。私は、新たな怒りを燃やし
て報告する。直接の怒りの対象は、「憲法会議」(憲法改悪阻止各会連絡会議)だ。事件は、その機関誌である「月刊憲法運動」
の執筆依頼の撤回である。些細なことではない。私は重要な問題と考える。「憲法会議」に、憲法を語る資格があるのかを問わね
ばならない。そして、そのような人々に支えられている宇都宮君に、改めて「立候補はおやめなさい」と言わねばならない。

話しの発端は、昨年の12月27日。憲法会議の平井正事務局長から電話をいただいた。機関誌「憲法運動」2014年2月号(1月
末発行)への執筆依頼。テーマは、「岩手靖国訴訟」。2015年が憲法会議結成50周年となることを記念して、 憲法を軸にした戦
後のたたかいの記録を残したい。テーマを決めて適任者に執筆を依頼し、順次「憲法運動」の各号に掲載して、50周年の記念行
事には一冊の本にまとめたい。その第2号への執筆依頼だという。内容は任せるが、過去の記録とするだけでなく現時点での教
訓とする視点が欲しいとの話しもあった。字数は6000字、締切は1月17日(金)とのことだった。

私は即座に承諾した。26日には、安倍晋三の靖国神社参拝が強行されていた。岩手靖国訴訟への取り組みや判決内容は、今こ
そ教訓として酌むべきだと思っていたところである。憲法会議が同様の意見であることに、我が意を得たりと思った。さすがは憲法
会議と敬意を表する気持ちであった。この会話の際に、私はブログのことなど思い出すこともなかった。なお、この執筆依頼があっ
た日は「おやめなさいシリーズ」を書き始めて7日目に当たる。書き始め当時の緊張感も薄れていたころだ。

同日、ファクスで執筆要領が送信された。電話で聞かされたことの確認であり、原稿料は8000円とされていた。こうして、憲法会
議と私との間に、原稿執筆に関する請負契約が成立した。

私は、正月休みの間に、岩手靖国訴訟に関する資料をひっぱり出して読み込んだ。判決直後に新日本出版社から刊行した自著
「岩手靖国訴訟」を読み返し、わずか6000字の字数で何をどう書くべきか想を練った。

ところが、まったく思いがけないことが起こった。1月8日午後、突然平井氏が、拙宅を訪ねてきた。そして、言いにくそうに、「執筆
依頼した原稿は2月号に掲載するわけにはいかなくなった。3月号以降のいつになるかは分からないが、掲載号を延期したいので、
ご了解いただきたい」というのだ。氏は、玄関の立ち話のつもりだったようだが、私は応接室に座ってもらってお話を聞いた。1時間
余。私の妻も立ち会った。

2月号に私の執筆原稿を掲載できない理由は、私がブログで宇都宮君の批判をしていることだとはっきり伝えられた。
「私が依頼され承諾した原稿の内容は、都政の問題ではなく靖国問題ではないか。宇都宮君への批判が出てくるわけがない」と言
ってみたが、「それは分かっています。それでも、先生が宇都宮さんを批判していることが問題なのです」という。「いったい誰が、ど
のように問題にしているのか」と聞くと、「いえ、誰かがそう言っているというわけではありません。私ども、憲法会議事務局の判断で
す」との答。

それからは、私と妻とで、平井氏を説得する努力をした。
「私は、どうしても承諾するわけにはいかない」
「私の宇都宮君批判が理由でなければ、掲載号が何号か遅れてもやむを得ないとするだろう」
「しかし、私は、宇都宮君を批判する言論の自由にこだわる。あなたがやろうとしていることは、私の言論への口封じだ。それを認
めて引き下がるわけにはいかない」
「私は宇都宮後援会から原稿執筆依頼を受けたのではない」
「憲法会議は、憲法の理念を活かそうという立ち場にあるはずだ。積極的に言論の自由を擁護すべきではないのか」
「権力による言論の封殺に抗議するのであれば、自らも小さな権力となって言論の封殺をするなどのことがないよう心掛けるべき
だろう」
「憲法を、公権力に対する規制とだけ理解していたのでは、企業の中での労働者の市民的自由を守ることができない。私的な強
者にも憲法を守らせなければならないが、そのためには民主団体も自らを律しなければならない」
「ダブルスタンダードは自らの発言の迫力を弱めることにしかならない」
「憲法会議は、『私はあなたの意見には反対だが、あなたの意見を封じようとする者とは断固闘う』と言うべきではないか。それで
こそ憲法会議が権威と尊敬を勝ち得ることになる」

平井氏には、反論らしい反論はなかった。私のブログも、ほとんどお読みではないようだった。たいへんなことを言いに来た割りに
は、覚悟も準備もできているようではなかった。

私は、最後に2度ほど繰り返して、確認した。
「私と憲法会議との間には昨年暮れの時点で、『月刊憲法運動』2月号の記事執筆について契約が成立している。今日、あなたは、
成立している契約内容の修正を私に要請した。私は、明確にお断りした」「だから、契約にはなんの変更もない」「今日はそれだけ
のことだ。予定のとおり、私は原稿を書いて17日までに提出する」

これに対して、平井氏は、「持ち帰って再度内部で協議します」と言って帰った。

そして、連休明けの14日、また平井氏から電話があった。私は「ご依頼の原稿はほぼ完成しています。推敲して明日にも送れます」
と言ったが、平井氏は受けとるとは言わなかった。「もう一度要請したいので、会ってもらいたい」とのことだった。前回とは別の提案
があるのかと聞いたが、「前回の要請内容について、さらに詳しくご説明しお願いしたい」というだけ。「それなら、会っても無駄。お互
い時間の浪費だから会うのはやめましょう。要請の趣旨と理由を文書にしてファクス送信していただきたい」と私は言った。そしてつ
け加えた。「私はだまし討ちはしない。場合によっては、あなたのファクスを天下に公表する。そのつもりで、きちんとしたものを書い
ていただきたい。今日の今日では、たいへんだろうから、明日、15日に送信してください」。「承知しました」となった。

そして、今日(1月15日)、そのファクスが届いた。私は、その内容に怒っている。言ってきたのは、「3月号以降への掲載号変更の
要請」だけではない。澤藤が掲載号変更に同意しない場合には、「掲載は見送らざるを得ません」、要するに「執筆お断り」というの
だ。そして、その場合には「8000円を速やかに送金させていただきます」という。契約違反だから金は払う。言外に金を払えばそ
れ以上の文句はないだろう、というニュアンスを感じる。

2月号掲載拒否の理由が、末尾4行に綴られている。「年が変わった時点で、澤藤先生がブログで『宇都宮健児君、立候補はおや
めなさい』と題する文書の発信を続けていることを知りました。2月9日投票の東京都知事選挙において、宇都宮候補の当選をめざ
して、全力をあげて奮闘している憲法会議構成の諸団体の納得を得ることはできません。」というのがそのママの文章である。

この文書がどの範囲の人々が関わって作成されたのかは知る由もない。しかし、この偏狭さには、不気味なものがある。「宇都宮
候補の当選をめざして、全力をあげて奮闘している『憲法会議構成の諸団体』の納得を得ることはできません。」の、『憲法会議構
成の諸団体』は、無数の類似団体に置き換えることができる。これは「村八分」の論理だ。「非国民」排斥の論理でもある。

憲法会議は、私の靖国論については評価し、岩手靖国の運動と判決を今に活かすべく原稿を依頼した。にもかからず、都知事選
での私のブログを問題にして、執筆依頼を撤回した。ブログのどこにどんな問題があるという指摘はない。宇都宮批判を「民主陣
営」批判とし、私に「民主陣営敵対者」のレッテルを貼り付けた。これから、このレッテルがひとり歩きすることになるのだろう。「運
動の世界で生きていけなくなるからよく考えろ」とは、こういうことだったのだ。

私は、この件を些細なことと見過ごすことはできない。会の名称に「憲法」を冠する団体が「批判の自由の封殺」に手を貸してはな
らない。少なくとも、批判の言論に寛容でなくてはならない。憲法会議には、自らの行動を憲法の理念に照らして律しようとの思い
はないのだろうか。省みて、恥ずかしくはないか。

憲法会議が、約束どおりの原稿掲載を拒否した理由は、依頼した原稿の内容を予想してのものではない。私が宇都宮君を批判し
ている理由が間違っているからというものですらない。要するに、いつも仲間の仲良しグループに同調しない「共通の敵」だというこ
とにある。これを、「村八分」「非国民排斥」の論理という。

「宇都宮候補の当選をめざして、全力をあげて奮闘している諸団体の納得を得ることはできません。」は、批判を許さぬ大政翼賛
会の論理でもある。

理性を持った人間の集団において、すべての意見が一致することなどあり得ない。この「村八分」「翼賛会」の論理は、「民主陣営」
を限りなくやせ細らせていくことになるだろう。「運動の世界で生きていけなくなるから、批判などせぬようよく考えろ」などと言ってい
けない。「運動の世界に真っ当な人物がいなくなるから、批判には寛容でなくてはならないことをよく考えろ」というべきではないか。

宇都宮君、君は憲法を守ると公約しているようだ。しかし君は、およそ憲法の理念など弁えぬ人々に担がれている。そのような人
々に支えられた君が、憲法を守る公約を掲げること自体おこがましい。およそ君が選挙戦を闘う意味はない。潔く、立候補をおや
めなさい。
(2014年1月15日)
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東本高志@大分
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