[CML 028984] 【2/2】宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその26 澤藤統一郎の憲法日記

Yabuta Tohru ynntx at ybb.ne.jp
2014年 1月 16日 (木) 00:52:08 JST


藪田です

批判を抑圧するなかでも、同調圧力に屈しない人。歴史的にいえば、足尾鉱毒事件の田中正造、そして6000人のビザを書いた杉原千畝がいる。澤藤統一郎「月刊憲法運動」事件は、ずっと小さい事件ですが、その本質はまったくかわりません。

残念ながら、気の弱い平井氏に求める事は気の毒かもしれないが、実は平井氏とアイヒマンとは、同質といえる。アジア太平洋戦争は、東条英機と昭和天皇の二人で、実行したわけではありません。幾十万、幾千万の、平井氏とアイヒマンの同質の人々が戦争の歯車となって、戦争を遂行したわけです。

平井氏は、「月刊憲法運動」掲載への同調圧力に抗し、それは憲法ならびに民主主義の理念に反するものだからできませんと言い、澤藤統一郎氏の原稿を記載すれば、もちろんそれは誰からもほめられることはないでしょうが、民主主義という砦に、小さな石積みをしてほんの少し強化したことになります。

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平井氏には、反論らしい反論はなかった。私のブログも、ほとんどお読みではないようだった。たいへんなことを言いに来た割りには、覚悟も準備もできているようではなかった。

私は、最後に2度ほど繰り返して、確認した。
「私と憲法会議との間には昨年暮れの時点で、『月刊憲法運動』2月号の記事執筆について契約が成立している。今日、あなたは、成立している契約内容の修正を私に要請した。私は、明確にお断りした」「だから、契約にはなんの変更もない」「今日はそれだけのことだ。予定のとおり、私は原稿を書いて17日までに提出する」

これに対して、平井氏は、「持ち帰って再度内部で協議します」と言って帰った。

そして、連休明けの14日、また平井氏から電話があった。私は「ご依頼の原稿はほぼ完成しています。推敲して明日にも送れます」と言ったが、平井氏は受けとるとは言わなかった。「もう一度要請したいので、会ってもらいたい」とのことだった。前回とは別の提案があるのかと聞いたが、「前回の要請内容について、さらに詳しくご説明しお願いしたい」というだけ。「それなら、会っても無駄。お互い時間の浪費だから会うのはやめましょう。要請の趣旨と理由を文書にしてファクス送信していただきたい」と私は言った。そしてつけ加えた。「私はだまし討ちはしない。場合によっては、あなたのファクスを天下に公表する。そのつもりで、きちんとしたものを書いていただきたい。今日の今日では、たいへんだろうから、明日、15日に送信してください」。「承知しました」となった。

そして、今日(1月15日)、そのファクスが届いた。私は、その内容に怒っている。言ってきたのは、「3月号以降への掲載号変更の要請」だけではない。澤藤が掲載号変更に同意しない場合には、「掲載は見送らざるを得ません」、要するに「執筆お断り」というのだ。そして、その場合には「8000円を速やかに送金させていただきます」という。契約違反だから金は払う。言外に金を払えばそれ以上の文句はないだろう、というニュアンスを感じる。

2月号掲載拒否の理由が、末尾4行に綴られている。「年が変わった時点で、澤藤先生がブログで『宇都宮健児君、立候補はおやめなさい』と題する文書の発信を続けていることを知りました。2月9日投票の東京都知事選挙において、宇都宮候補の当選をめざして、全力をあげて奮闘している憲法会議構成の諸団体の納得を得ることはできません。」というのがそのママの文章である。

この文書がどの範囲の人々が関わって作成されたのかは知る由もない。しかし、この偏狭さには、不気味なものがある。「宇都宮候補の当選をめざして、全力をあげて奮闘している『憲法会議構成の諸団体』の納得を得ることはできません。」の、『憲法会議構成の諸団体』は、無数の類似団体に置き換えることができる。これは「村八分」の論理だ。「非国民」排斥の論理でもある。

憲法会議は、私の靖国論については評価し、岩手靖国の運動と判決を今に活かすべく原稿を依頼した。にもかからず、都知事選での私のブログを問題にして、執筆依頼を撤回した。ブログのどこにどんな問題があるという指摘はない。宇都宮批判を「民主陣営」批判とし、私に「民主陣営敵対者」のレッテルを貼り付けた。これから、このレッテルがひとり歩きすることになるのだろう。「運動の世界で生きていけなくなるからよく考えろ」とは、こういうことだったのだ。

私は、この件を些細なことと見過ごすことはできない。会の名称に「憲法」を冠する団体が「批判の自由の封殺」に手を貸してはならない。少なくとも、批判の言論に寛容でなくてはならない。憲法会議には、自らの行動を憲法の理念に照らして律しようとの思いはないのだろうか。省みて、恥ずかしくはないか。

憲法会議が、約束どおりの原稿掲載を拒否した理由は、依頼した原稿の内容を予想してのものではない。私が宇都宮君を批判している理由が間違っているからというものですらない。要するに、いつも仲間の仲良しグループに同調しない「共通の敵」だということにある。これを、「村八分」「非国民排斥」の論理という。

「宇都宮候補の当選をめざして、全力をあげて奮闘している諸団体の納得を得ることはできません。」は、批判を許さぬ大政翼賛会の論理でもある。

理性を持った人間の集団において、すべての意見が一致することなどあり得ない。この「村八分」「翼賛会」の論理は、「民主陣営」を限りなくやせ細らせていくことになるだろう。「運動の世界で生きていけなくなるから、批判などせぬようよく考えろ」などと言っていけない。「運動の世界に真っ当な人物がいなくなるから、批判には寛容でなくてはならないことをよく考えろ」というべきではないか。

宇都宮君、君は憲法を守ると公約しているようだ。しかし君は、およそ憲法の理念など弁えぬ人々に担がれている。そのような人々に支えられた君が、憲法を守る公約を掲げること自体おこがましい。およそ君が選挙戦を闘う意味はない。潔く、立候補をおやめなさい。
(2014年1月15日


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