[CML 028915] Re: 映画『永遠のゼロ』についての考察(3)

no name spilliaert at jcom.home.ne.jp
2014年 1月 13日 (月) 03:42:08 JST


CMLの一読者です。

いやあー他の方にはお目汚しですが、お忙しいまっぺんさんがわざわざ自分のこ
だわりを露呈してるので、再度コメントします。

●1
>まっぺんさんは反戦思想にこだわりすぎでしょう(私)
>こだわっていない、とすでに説明済みですが?(まっぺん)
投稿3枚にわたる長文で、大きな見出しで戦争賛成(好戦)とはこうだ!と書い
ていたのでまっぺんさんは反戦思想(好戦の逆)こだわっていると、私は思いま
すよ。

まっぺんさんの問題は好戦(逆転すれば反戦)にはある形式があり、それがどう
だこうだ、という様に実際のありようと離れて、上から(思想的に)映画を見て
いる事でしょう。そういう自分で自分に枠をはめる形で映画を見れば、その形を
外れさえすれば好戦じゃない、又は良い映画だ、となってしまうという事でしょう。

例えば最も有名な戦争プロパガンダ映画(好戦映画・戦争賞賛映画)の一つは
チャップリンの「独裁者」ですが、まっぺんさんの脳内ではあれは反戦映画に
なってしまうのではありませんか?(NewYorkTimesの公開当時の記事を見れば、
記者はこれを明確に戦争プロパガンダと認識していますし、当時のアメリカでそ
れ故問題視されています、またチャップリンの構想では日本相手に戦うべき!と
のメッセージもあったようです。ただしこれらは日本社会全体ではあまり認識さ
れていません)


●2
>1故障していることは耳のするどい宮部にしか分からなかった(まっぺん)
>2「故障している」と言っても「臆病者」と言われるだけ(まっぺん)
>3特攻が「国家の命令」だから宮部は悩んだ(まっぺん)
まっぺんさんは映画中の特攻機の故障や志願という事件にこだわって、それによ
り主人公による特攻の崇高さに、より増して感動したようですが、映画内の設定
と事実を区別できていないのだと思います。

映画「永遠の0」の設定である「命おしさに戦闘を回避しつづける」「宮部久蔵
という主人公が自身の特攻の可否を選択できる」は事実無視の人工的な作り物で
あり、歴史を知れば、全体が馬鹿馬鹿しくて非現実で退屈だという事です。であ
るので故障がどうのこうの、というまっぺんさんの「こだわり」も馬鹿馬鹿しい
と批判したのです。


直接答えれば
1→現実には特攻出撃後、機が故障したと申告して帰還した特攻機を調べてもど
うと言う事はない、そういう場合もあると聞きます

2→戦友から臆病者と言われ続けている宮部久蔵が、今更臆病者と呼ばれる事を
恐れるはずがないでしょう。まっぺんさんは「命おしさに戦闘を回避しつづけ
る」の意味がわかっていないのでしょう。

3→特攻が命令なら宮部が特攻しようがしまいが、若者の死ぬ数に変わりはあり
ません。自身の特攻出撃で若者を救うという宮部の行為自体が無意味でしょう。
 又、宮部が苦しくて特攻を借りて自殺したと解釈しているのなら、なぜ最初の
設定「けして死なない」からわざわざ必然性もないのに逆転したか不明ですし、
まっぺんさんの示した映画のテーマ「夫婦の愛」と矛盾しています。そもそも観
客が知らぬ間に主人公が180度変わるはずがないでしょう。

●なお映画では、若者に配る特攻志願用紙は「諾」「否」の2選択になってお
り、特攻は志願である、と観客に見せていました。しかし実際には「熱烈に希望
する」「希望する」「どちらでもよい」となっていた例があると聞きました。

以上


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