[CML 028803] 【昨日に引き続き、「法的見解」への批判】宇都宮健児君立候補はおやめなさいーその18 澤藤統一郎の憲法日記  【その1】

Yabuta Tohru ynntx at ybb.ne.jp
2014年 1月 8日 (水) 17:30:10 JST


藪田です。

誤解なきように言っておくが、東本氏、澤藤統一郎氏、醍醐聡東京大学名誉教授、私もふくめ、弁護士として「宇都宮健児」氏の事は大変高く評価・共感している人間である事を認識していただきたい。また、街弁であった「宇都宮健児」氏が日弁連の会長に選ばれたことは、喜ばしいことであったと思っている。

ところがである、政治家としての資質になると大きな疑問がでてきたのである。

それは、

澤藤統一郎一家こぞって、前回の都知事選で、まさに心より宇都宮健児氏を応援した。奥さまは、なんと供託金300万円まで、だまって貸されたのである。ところが、これまでも書いてあるように恩をあだで返すような仕打ちである。供託金300万円がなけりゃ、昨年の知事選に立候補さえできなかったのである。立候補できなかったら、カンパ総額4000万円も、集まらなかったのある。

宇都宮健児氏並びに、宇都宮選対は、まるで「ブラック企業」ならぬ「ブラック選対」である。人にやさしいは、まるでジョークである。

さらに、選挙違反疑惑まで起こしているのである。上原公子氏、服部泉氏は、選挙運動の主体ながら、労務費10万円を受け取っている。また、慰労会では、1~3万円が、配られたというのであるから、まるで、小説にでも出てきそうな、地方の保守派政治家の選挙風景のようである。

今回も、「宇都宮健児」氏は負けるであろう。負けるにあたっても身清くして負けてもらいたいのである。

澤藤弁護士は「私は、弁護士とは、他人の私憤に寄り添う職業だと思っている。」 いいこと、言うねえ。

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澤藤統一郎の憲法日記

宇都宮健児君立候補はおやめなさいーその18   【その1】

昨日に続いて、「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」に対する反論。

もう一度、読み直して印象を拭えないのは、この「見解」には、一片の反省もないことである。私の渾身の指摘を本当に全面否定でよいのか。省みて不十分なところは、潔く認めて反省すべきがよかろう。この「見解」の姿勢のごとき頑な無反省の姿勢では、再度の宇都宮選挙があった場合には、同じ轍を踏むことになる。

何人かの親しい人から「『私憤論』には踏み込まない方が良かろう」という忠告をいただいている。「法律論ではないところで、足を掬われる」「『なんだ私憤なのか』というだけで、人が耳を傾けてくれなくなる」「『見解』の狙いはそこにあるのだから、慎重に」というもの。ありがたい忠告なのだが、私にはどうしても避けて通れない。

私は、弁護士とは、他人の私憤に寄り添う職業だと思っている。とりわけ弱い立場にある人の私憤に、である。それぞれの人が、この世の理不尽に私憤をたぎらせている。その私憤をどのように昇華させるのか、その人に寄り添って知恵を絞り、汗をかくのが弁護士としてのあるべき姿ではないか。私憤を切り捨てては、弁護士の職務を全うすることができない。少なくとも、弱者の側に立とうとする弁護士のすることではない。私は、宇都宮君への批判の動機が、私憤であることを隠さない、恥じることもない。この私憤は、必ずや共感・共鳴を得ることができると考えているからだ。

さて、「見解」は、「3 選挙運動の為に使用する労務者の報酬の支払い」において、かなりきわどい論理を展開している。徳洲会やUE社が喜びそうな理屈だ。

この節の根幹は、「澤藤氏は、『公職選挙法の定めでは、選挙運動は無償(ボランティア)であることを原則としています。』…との一方的な思い込みに基づく論理を主張している」というところにある。「法的見解」を書いた三弁護士は、「選挙運動は無償であるべきだという原則」が間違いであるかのごとく主張する。しかし、これは明らかに三弁護士の方が、公選法の理解を大きく間違えているのだ。

「見解」の内容を正しいと信頼して読む読者は、「公職選挙法の定めでは、選挙運動は無償(ボランティア)であることを原則としています」という澤藤の指摘が間違っているかと錯覚することだろう。「公職選挙法の定めには、選挙運動は無償(ボランティア)であることの原則などはないのだ」と、思いこむはず。しかし、誤解してはいけない。公職選挙法の定めでは、明らかに「選挙運動は無償(ボランティア)であることとが原則」なのだ。「見解」の立場は大きな間違いなのだ。

公職選挙法の条文の中に、麗々しく「選挙運動は無償(ボランティア)であることの原則」がその文字通りの表現で記載されているわけではない。しかし、公職選挙法の選挙運動についての定めの構造を読み込めば、「選挙運動は無償」の原則が貫かれていることが明白なのだ。

やや面倒だが、次の判決文をお読みいただきたい。
すこし以前のものだが、次のように、格調高く理念を述べている判決がある。
「民主政治に不可欠な選挙は、国民が国家や地方の重要な施策の決定に参画すべき代表者を選出する手段であるから、選挙運動は自発的に応援すべきものであって、手弁当で自己の信じる人を出すということに至って初めて理想的なものといえる。公選法第221条は右の理想に基づき選挙運動者に対する報酬の支給に対し、厳罰をもって臨んでいるのである」(東京地裁、1964年1月29日判決)

また、主流をなす判決として次のものを挙げることができる。
「公職選挙法第197条の2は『選挙運動に従事する者』と、『選挙運動のために使用する労務者』を区別し、前者に対しては…実費弁償のみを支給することができるとし、後者に対しては実費弁償ばかりでなく報酬をも支給することができるとしているのであるが、これは、選挙運動が本来奉仕的な性質のものであるべきだとの建前から、これを原則とし、ただ… 選挙運動のために単なる機械的労務に服する使用人であるいわゆる労務者に対しては、無償の奉仕を期待しがたいところから、これに対し報酬を支給することを認めたものと解される」(1972年3月27日東京高裁判決)


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