[CML 028784] 「人にやさしい東京をつくる会」弁護士団の「法的見解」の愚かしさと共産党の右傾化について

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2014年 1月 7日 (火) 22:10:41 JST


がっかりしたという体のものではありません。激しい怒りがこみあげてきました。「人にやさしい東京をつくる会」の中山武敏氏、海渡
雄一氏、田中隆氏3弁護士の連名による「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」という澤藤統一郎さん(昨年の
12月20日に同会運営委員を「だまし討ち」解任されるまでやはり同会の会員・弁護士でした)の昨日段階で17回を数える「宇都宮
健児君、立候補はおやめなさい」という「宇都宮健児君」「宇都宮選対」「人にやさしい東京をつくる会」批判に対する反論文書を読ん
だときの私の感想です。
http://utsunomiyakenji.com/pdf/201401benngoshi-kennkai.pdf

その3氏による澤藤氏批判の「法的見解」は「1 はじめに」で次のように言います。 


      「同ブログ「宣戦布告」第1弾で、同氏自身が「『宣戦布告』の動機の半分は私憤です」と記載し、自ら私憤で宇都宮健児氏
      や上原公子選対本部長(当時)を攻撃していることを自認している。澤藤氏は弁護士であるが、法律家は事実と法律に基
      づいた法的主張をなすべきであり、私憤に立脚する同氏の主張が恣意的なものであることはこの点からも容易に察せら
      れる。」

自らの主張を「法的見解」と名づけながら、そしてさらに澤藤氏を「澤藤氏は弁護士であるが、法律家は事実と法律に基づいた法的
主張をなすべきであ」ると批判しながら、自らは「法的見解」とはいうべくもない「私憤」という法外な批判から始めるのです。澤藤氏が
以下のようにその「法的見解」の反批判をするのも当然というべきでしょう。

      「「見解」は、私が「『宣戦布告』の動機の半分は私憤です」と言っていることを捉えて、「私憤に立脚する同氏の主張が恣
      意的なものであることはこの点からも容易に察せられる」と言う。しかも、この「非法律的論点」について、不自然なまでの
      紙幅を割いている。これが、何か私の主張に対する「法的な」批判となっているとお考えなのだろうか。「私憤」と「主張が
      恣意的」とは無関係。主張そのものに対する批判が困難なので「私憤」を持ち出したに過ぎない。」(「宇都宮健児君、立候
      補はおやめなさいーその17」)

さらに「私憤」とは澤藤氏によれば本来次のようなものです(前の記事でも引用しているものですがもう一度繰り返しておきます)。

      「さらに、『私怨論』というべき批判がある。私が、自分の息子のことだから、怒っているのだという指摘だが、これが『批判』
      になり得ているのだろうか。不当な権利侵害があれば、被害者側に『私怨』『私憤』が生じるのは当然だ。『私怨』論は、傍
      観者の自己正当化の理屈でしかないだろう。『大所高所』論に対応するには、『私怨』『私憤』重視論である。私は、人権侵
      害を批判するには、被害者の『私怨』『私憤』に共感する感性が必要だと思う。」(前掲「その11」)

さらに上記にいう「大所高所」論とは次のようなものです。

      「『大所・高所』論とは、弱者の権利救済をネグレクトし、泣き寝入りを強いることを合理化する論理だと私は思う。将の論理
      であって、兵の論理ではない。体制の側の論理であって、弱者の側の論理ではない。『大所高所』論には、個別の権利侵害
      に対する怒りで対抗しなければならないと思う。」(同上)

「不当な権利侵害があれば、被害者側に『私怨』『私憤』が生じるのは当然だ」。それをさも問題であるかのように言挙げする論理は
「弱者の権利救済をネグレクトし、泣き寝入りを強いることを合理化する論理」「体制の側の論理であって、弱者の側の論理ではない」
と澤藤弁護士は反批判しています。蓋し、当然な反批判というべきでしょう。

次のような反批判もあります。
      
      「宇都宮氏擁護のための「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」を一読して失笑してしまいました。何
      の反論にもなっていないのみ為らず、澤藤氏の批判を「私憤、私怨」に依るものである、とこれが、弁護士の「論理」か、と
      疑うような記載があったからです。凡そ、弁護士に依る論説とも思えません。 これを書かれた弁護士諸子は、冤罪を償う
      べく国家賠償を請求される無実の人に「私怨」を晴らすのは罪とでも云われるのでしょうか。 或いは、公害病に苦しむ患者
      を代理して公害企業に被害を償うべく訴訟を提起することは、「私怨」を晴らすことに為り出来ない、と云われるのでしょうか。
      法学徒ならば、イェーリング(Rudolf von Jhering)の次の言葉を知っているのか、と問わねばなりません。 即ち、「人格その
      ものに挑戦する卑劣な不法、いいかえれば、その実行の着手の仕方のうちに権利の無視、人格的侮辱といった性質をも
      っているような権利侵害に対する抵抗は義務である。 それは、権利者の自分自身に対する義務である」と。澤藤統一郎氏
      は、この自己に課せられた義務を果たそうと「権利のための闘争」(Der 
   Kampf ums Recht)に立ち上がられたのです。(とら
      猫イーチ2014.01.07 )
      http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1329.html#comment17465

これも宜なるかなというべき反批判というべきでしょう。中山武敏氏、海渡雄一氏、田中隆氏3弁護士による「澤藤統一郎氏の公選法
違反等の主張に対する法的見解」はおよそ「法的見解」にはなっていないのです。とら猫イーチ氏ならずとも「失笑してしま」う体のもの
でしかありません。私ははじめにこの「法的見解」を読んで「激しい怒りがこみあげてきました」と書きました。「法的見解」になっていな
いばかりでなく、「私憤」を持ち出しながらその「私憤」批判にもなっていない。「私憤」というものの本質性。「私的な深い憤りの感情こそ
が、この世の不当な仕打ちを是正して、すべての不合理を正そうとする行動の原動力となる」ことの意味を3氏が3氏とも法律家であり
ながらまったく理解していないのです。私が「激しい怒りがこみあげてき」たというのはそういうことなのです。

「法的見解」はさらに「2 選対本部長等が報酬を受領していたとの主張について」に続いていきますが、以後の反批判は澤藤弁護士
の「宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその17」で簡潔周到に述べられていますのでその反批判に譲りたいと思います。私はた
だ私も先の都知事選における宇都宮選対の収支報告書に添付されている「選挙報酬として」上記(100,000円)正に領収いたしました、
という上原君子氏の領収書の写しを所持しているということだけをつけ加えておきたいと思います。いうまでもありませんが「選挙報酬」
と「法的見解」の弁解する「交通費等のごく一部の実費弁償」は当然異なります。そのことをひとつ見ただけでも「法的見解」の「非法的
見解」性は明白というべきでしょう。

もう一点、共産党が宇都宮健児氏の推薦を決めたということに関して。

■都知事選 宇都宮氏が出馬表明 共産党推薦 勝利へ全力 党本部で会談 志位委員長が表明(しんぶん赤旗 2014年1月7日)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2014-01-07/2014010701_01_1.html

この共産党の宇都宮氏推薦表明についても私は強い失望を感じました。共産党は先にも安倍首相が「嘘に嘘の上塗りを重ね」た上
で掠めとった招致決定でしかない東京オリンピックを成功させるための国会の「成功決議」なるものに下村博文文科相のいう「オール
ジャパン」の一員として賛成表明をしました。このことについて私は現代版「大政翼賛」体制への加担というべきではないかと厳しく批
判しておきました(弊ブログ「東京五輪『成功決議』 衆院で全会一致、参院で1人を除くほぼ全会一致で賛成。『大政翼賛』とはまさし
くこういう風景ではなかったか?」2013.10.18) 。共産党はもはや「革新」の党であることを棄てて大衆迎合の政党になりおおせた、と
判断せざるをえません。共産党が少数者の正義の声を聴く耳を失い(澤藤弁護士の「憲法日記」ブログでの「訴え」(「宇都宮健児君、
立候補はおやめなさい」連載)参照)、ただ多数者の側(「人にやさしい東京をつくる会・運営会議」側)につくという今回の事態につい
ても同様のことがいえます。共産党は確実に右傾化した。大政翼賛の道に走ったかつての労農派の幹部や社民主義(改良主義)政
党のようになってしまった、と断ぜざるをえません。私は高校時代から数えると半世紀近く共産党を支持してきましたが共産党がこうし
た右傾化の道を進むことの誤りに気づかない限りもはや同党を支持することはできません。あまり固有名詞は出したくはありません
が、端的に言って志位体制は誤っていると思います。同党が自らの誤りに気づくことを祈るのみです。

とにもかくにも宇都宮健児氏は共産党、社民党、市民団体の統一候補として都知事選に出馬することになった。宇都宮氏を支持す
ることなくして革新都政の実現はありえないだろうという批判については、私はこう応えたい。

もともと宇都宮健児氏では都知事選の勝利は難しいというのが私の判断であった。そういう判断にかてて加えて、今回は宇都宮氏
は、先の都知事選では宇都宮陣営であったその革新・リベラル勢力の内部の少なくない人たちからも強い批判を浴びています。さら
に保守勢力側は今回の革新・リベラル勢力内での宇都宮氏批判の議論を対立候補を落選させる手段として最大限活用しようとする
でしょう。そういうことを含めて宇都宮氏の都知事選勝利の条件は前回都知事選にもましてさらに厳しいものがある(端的に言って当
選の可能性はない)と判断せざるをえません。宇都宮氏と「人にやさしい東京をつくる会」は宇都宮氏の擁立、立候補を見送り(ある
いは断念し)、同氏以外の革新統一候補の擁立をもう少し早い段階から模索すべきでした。

共産党や社民党などの革新政党の側にも同様のことが言えます。「人にやさしい東京をつくる会」(運営会議)が「少数者の人権」や
「個の尊厳」を無視し、あるいはその「人権」の大切さについて真摯に考えようともせず、閉鎖的かつ非民主的な運営をしてきたとい
う当事者の具体的な訴えを(澤藤弁護士のブログなどで)知ることのできる立場にいながらその少数者の(道理に適っているという
意味で)「正義の声」に真摯に耳を傾けず宇都宮氏推薦を表明するに至った。その多数者の側につく現在の政党のあり方が私たち
に革新統一候補となっても宇都宮氏を支持し難くさせているのです。

だから、その責任はひとえに「人にやさしい東京をつくる会」(運営会議)と政党側にあるのだ、と。自己を合理化する論理のつもりは
ありません。


東本高志@大分
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