[CML 029860] ビキニ60年 まだ戻れない 水爆の傷痕、今も恐れる元島民

BARA harumi-s at mars.dti.ne.jp
2014年 2月 25日 (火) 16:44:27 JST


ビキニ60年 まだ戻れない 水爆の傷痕、今も恐れる元島民
2014.2.25
朝日新聞・朝刊
http://digital.asahi.com/articles/DA3S10997146.html?ref=pcviewer

東京から南東方向へ約4千キロ。太平洋のほぼ真ん中、見渡す限り
真っ青な海が広がる眼下に、ビキニ環礁が姿を現した。

 サンゴが隆起してできた23の島が首飾りのように連なる。
その環礁の北西角に、ぽっかりと開いたくぼみが見えた。

 通称「ブラボー・クレーター」。1954年3月1日、広島原爆の1千倍の
威力とされる米国の水爆「ブラボー」の実験でできた。
直径約2キロ、深さ約80メートルに及ぶくぼみは常夏の海に刻まれた
「核の傷痕」だ。

 ビキニ環礁では、167人の島民が核実験前に別の島へ移住を強い
られた。その後、米国はビキニ地方政府と91年から本格的に除染と
再定住計画を進めた。

 しかし、核実験から60年たっても島民らの帰還は実現していない。
環礁は2010年に世界文化遺産に登録され、観光振興を模索するが、
見通しは厳しい。

 地方政府もマーシャル諸島共和国の首都に「避難」したままだ。
ジェイソン・アイタブ評議会議員(63)は「ビキニにはまだ放射能がある」。
そして米国への不信感を口にした。「米国の科学者をビキニに
何度も案内したが、彼らは歓迎の席でも地元の食材に手をつけなかった」

 ブラボー実験は広範囲に放射性物質をまき散らし、「危険区域外」と
されて事前に避難しなかったロンゲラップ環礁の島民らは「死の灰」を浴びた。
この島でも一部ながら除染が進み、再定住計画が動き始めていた。
だが、同じく元島民は戻ってきていない。

 除染と再定住。そして、帰郷を阻む「核への恐れ」。ビキニが映し出す
現実には、福島が直面する課題が重なって見える。(中崎太郎)

     ◇

 ■第五福竜丸の23人も被曝

 太平洋戦争末期の1945年8月、米国が広島と長崎に原爆を投下し、
「核の時代」が幕を開けた。

 ビキニ環礁が属するマーシャル諸島は日本の委任統治領だったが、
日本の敗戦後は米国の信託統治領になった。原爆投下の翌46年、
米国は住民を強制移住させたうえで原水爆実験を開始。
ソ連が核開発を急ぐ中、米国はビキニ環礁とエニウェトク環礁で
58年までに計67回の核実験を実施した。

 なかでも54年3月1日の水爆「ブラボー」実験は広島型原爆の
1千倍の威力だった。
この実験で日本のマグロ漁船「第五福竜丸」も「死の灰」を浴び、
乗組員23人が被曝(ひばく)。半年後に無線長が亡くなった。
広島・長崎に続く「3度目の核惨事」として日本の反核運動の
きっかけになった。
だが、日本が「原子力の平和利用」に踏み出す時期とも重なり、
日米間で早期の幕引きが図られた。

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マーシャル諸島・ビキニ環礁の水爆実験から60年を経てなお、
元島民やその家族が故郷に戻れないのはなぜか。兵器利用であれ、
民生利用であれ、いったん核の被害に見舞われてしまうと、その傷は
簡単には癒えない。ビキニは核と人間のあり方を今に問いかける。

■ビキニ 米宣言後も高線量

 「核実験はすべての世界大戦の終結と全人類の利益のため」。
米軍にそう説かれビキニの島民167人が追われた先の一つが、
約600キロ南東のエジット島だった。全住民約280人がビキニ
出身者とその家族だ。

 この中にビキニへの帰島を経験した男性がいた。
1974年から5年間、戻ったというバンジョー・ジョエルさん(63)。
「ビキニは風が心地よい。戻れるなら戻りたいけど、安全だと
信じられない」

 一連の核実験が終了した10年後。
ジョンソン米大統領(当時)は68年にビキニ環礁の「安全宣言」を出し、
再定住を促した。
バンジョーさんら5家族約100人が信じて戻った。
しかし、77年に井戸水から米国の基準値を超えるストロンチウム
90が検出された。
78年には米内務省がセシウム137について「(定住を)許可できない
レベル」と発表。島民は再び故郷をあとにした。

 首都マジュロ郊外で暮らすバンジョーさんの兄コーラントさん(65)は、
家族がビキニに一時帰島したことを悔やんでいる。
当時、フィリピンに出稼ぎ中だった。

 帰国して放射線量計測船の船長を務めた。マーシャル諸島の
政府が各地で線量を測る極秘任務だった。
ビキニでは、すべての計測機器が振り切れたという。

 「自分の目で見て初めて放射線が残っていることを知った。
家族がビキニに戻る前に知っていれば止めたのに」。
9人の子どもがおり、「60年たって本当に放射線がなくなったかは
誰も分からない。若い人は戻るべきではない」と言った。

 ビキニ地方政府によると、米政府は82年、「ビキニ島民の
ための再定住信託基金」に2千万ドル(約20億円)を拠出。
その後、除染のために9千万ドル(約90億円)を基金に追加した。
住居地は表土を約40センチ削り、他の地域はカリウム肥料を
まいて作物のセシウム137の吸収を防ぐ――。
98年にはビキニ本島の内海側、約1・2平方キロの除染が完了した。

 除染の基準は年間1ミリシーベルトで進められた。
福島での原発事故に伴う日本政府の長期目標と同じだ。

 ところが、2001年に米環境保護局が、米国内での放射線の
被曝(ひばく)基準として年間0・15ミリシーベルトとする目安を
打ち出した。
ビキニ地方政府もならったが、コストは当然かさむ。
基金の残高では対応できないと、それ以降は除染がストップして
しまった。

 除染基準で帰還や再定住が左右される姿は、「除染目標が
高すぎれば復興の妨げになる」といった議論も出る今の福島とも
重なる。

 ■ロンゲラップ 帰島後、被害拡大の歴史

 ビキニ環礁から東へ約180キロ。60年前に「死の灰」を浴びた
ロンゲラップ本島は、再定住に向けた計画が動いていた。

 除染残土を滑走路の下に埋めた空港に本社機「あすか」で着陸。
新設の舗装道を通ってココヤシ林を抜けると、まるで住宅展示場の
ような「町」が現れた。
銀色のトタン屋根の白い建物が40軒ほど並ぶ。先行して住む
約50人の作業員は、再定住に必要なインフラ設備の維持管理などに
あたる。
雇用の受け皿として試験的な養豚、養鶏も始まった。

 除染は1998年以降、米国が出した4千万ドル(約40億円)の
基金で進められた。
ココヤシ林を切り、大型ブルドーザーで表土を剥いだ。
除染が完了したのは陸地全体の2%弱、約0・15平方キロ。
東京ドーム約3個分だけだが、住宅などの建設は昨年終わった。

 計画を進めるロンゲラップ地方政府のジェームズ・マタヨシ首長(45)は
「放射線リスクは、飲酒や喫煙に比べれば高くない。
職を20人分用意すれば、明日にでも20人の若者が移住するだろう」。
だが、真新しい住居の多くは空き家のままだ。なぜ帰還は進まないのか。

 ロンゲラップでは胎児を含む島民86人が被曝した。
米国は島民を別の島へ移住させたが、57年には「安全宣言」を出し、
多くの島民がいったん故郷に戻った。
しかし、流産や死産、甲状腺障害などの健康被害が相次ぎ、85年には
住民自ら再び島をあとにする。
ロンゲラップ選出の国会議員ケレス・ケリーさん(42)は「再定住で
被害が拡大したという歴史を忘れてはならない」。
前議員のアバッカ・マディソンさん(47)は「米国は再定住を完了させる
ことで問題から手を引きたいだけだ」と不信感を口にした。

 島民たちが避難した先は南に約150キロの無人島メジャトだった。
今ではヤシやタコノキが植えられ、ココナツ油も生産する。

 3歳の時に「死の灰」を浴びたカバン・アンジャインさん(63)は
父を37歳で亡くし、母も甲状腺機能障害に苦しんだ。
「私たちは番号で米国に管理されている。
私は44番」。
米エネルギー省の「健康調査」で薬を処方されている。
核の恐怖にほんろうされた記憶はぬぐえない。
「帰島しても昔の生活には戻れない」。
長引く避難生活も、帰還を難しくする。

 島内唯一の小学校で、ロンゲラップに帰りたいかを尋ねた。
12人の児童全員が元気よく手を挙げた。
「見たことがないから行ってみたい」「どんな船着き場か見てみたい」……。
ふるさとは、まだ見ぬ「あこがれの地」になっていた。

 ■エニウェトク 除染し再定住、実現の地も

 46~58年に計67回の核実験があったマーシャル諸島には、
再定住を実現した地域もある。ビキニと並ぶ核実験場だった
エニウェトク環礁だ。
ビキニやロンゲラップと同様、米国の基金で本島の一部を除染し、
80年以降に集団で再定住した。

 汚染濃度の高い環礁北部では、今も立ち入りや食材採取は
制限されている。

 しかし、エニウェトク地方政府のシティーマネジャー、
ニール・フローレスさん(44)は「すでに子どもを含め800人が
帰島し、放射能を心配する声はほとんどない」と話したうえで
「再定住を成功させたことを誇りに思う。
広島も長崎も今は人が住んでいる。見えない不安を恐れていても
どうしようもない」。

 一方で、異様な光景が空から一望できた。
隣接する青と灰色の二つの円。
元々は核実験の爆心にできた直径100メートルほどのクレーターだが、
ひとつはドーム形に盛り上がっている。

 除染ではぎ取った残土をクレーターに詰め、コンクリートで覆った。
深さ約9メートルといわれた穴が高さ7メートル以上の膨らみになった。

 青い海に浮かぶ人工的な構造物が、癒えない「核の傷痕」を
物語っていた。(中崎太郎)



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