[CML 029801] 新知事の就任で都教委は変わるだろうか  澤藤統一郎の憲法日記

Yabuta Tohru ynntx at ybb.ne.jp
2014年 2月 22日 (土) 02:15:23 JST


藪田です。

「朝三暮四」という熟語を、賢明なるCMLの参加者は知ってると思う。故事来歴には詳しく述べないが、昔々、猿好きなオジサンが、嫁が猿の餌代について文句を言った。そこで、猿たちにトチの実を「朝三個、夕方に四個に減らすという言うと、猿たちは怒ったので、では「朝に四個、夕方に三個」にすると、結果は変わらないのに猿たちは喜んだのである。

そこから朝三暮四は、人を巧みに言いくるめて騙すこと、また猿の立場から、物事の根本的な違いに気付かない愚かな人を指す言葉となった。

「脱原発」というシングルイシューに騙されるなと警鐘を鳴らしてきたのは「澤藤統一郎」氏である。昨年の4月からである。

さて、今回の知事選でも、「脱原発」という言葉は、魔法のように効いて一部のお猿さんたちは、狂喜乱舞した。「朝三暮四」は、現代政治におきかえるとポピュリズムである。中国の思想家は実に深い洞察の例え話を残してくれたものである。

「朝三暮四」に騙されるオジサン、いやいやお猿さんについて、武士の情けで実名は出さないでおく。

さてさて、本日の澤藤氏のブログは、都教委の事務方(たち)、小さなアイヒマン(たち)についての問題指摘である。

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http://article9.jp/wordpress/?p=2124

澤藤統一郎の憲法日記  (2014年2月21日)

新知事の就任で都教委は変わるだろうか

悪名高い都教委の10・23通達。その通達に基づいた、教員への「日の丸・君が代」強制はまだ終わりを見ない。既に処分件数は457件だが、まだまだ続きそう。そして、この強権行政に対する闘いも終わらない。

本日は、東京都人事委員会での口頭公開審理。2010年~12年に処分されて人事委員会に審査請求している教員のうち8人が意見陳述を行った。それぞれが極めて個性豊かに、「日の丸・君が代」の強制に服することができない理由を語った。教育者としての信念や真摯さが、痛いほどに伝わってくる。とりわけ、障がい児教育、定時制あるいは「荒れた」生徒に向かいあう教師たちの陳述が胸を打つ。

また、異口同音に語られたのは、10・23通達後10年の教育の荒廃である。校長も教員も、教育を語らなくなった。ただただ、上命下服の行政だけが語られている。卒業式の主人公は生徒ではなくなった。「日の丸・君が代」に象徴される国家が、その座を取って代わった。都教委のにらみの中で、管理職はなによりも「日の丸・君が代」強制の貫徹を最重要視している。不服従の教員には、徹底した嫌がらせが行われる。「もはや都教委が行政としての正常な感覚を失い、民間でいうところの『ブラック企業』に身を落としている」とまで言われた。

そして幾人もが、改憲と教育破壊を志向する、安倍政権の動向を憂れえた。「再び教え子を戦争に送ってはならない。それが自分の教員としての出発点だった。今こそ、初心に返って、子どもの将来を守るために、この危険な動向と対峙しなければならない」と決意が語られた。みんなが、他の人では語れない自分の言葉で語った。

さらに、教育行政による教育への露骨な支配・介入が語られた。ある教員の陳述書には、「話し合おうとしない人たちへ」というタイトルが付されていた。「話し合おうとしない人たち」とは東京都教育委員のことである。「話し合うということは、とりわけ教育の世界では大切なこと。話し合うことのできる人間を育てることが教育のおおきな目標と言ってもよい。話し合うことが、争い解決の唯一の手段なのですから」という立ち場からの問題提起。

「学校では、たとえ生徒の稚拙な論理であってもじっと耳を傾け、一緒に考え、理解しあう努力をしなければなりません。一方的な強制は、生徒の人間としての成長には良い影響をもたらしません。かつての教育現場は、卒業式に限らず学校行事の企画・運営については教職員の間で実にさまざまな意見が出され、充実した話し合いがなされてきました」

「ところが、10・23通達以来の10年間、学校現場では、職員会議での賛否を問うことすら禁止され、ひたすら上意下達の徹底が図られ、話し合うということが無くなりました。話し合いに代わるものが、教育の世界にあるまじき問答無用の命令と服従なのです」

「10・23通達とは、現場での話し合いを拒否して、問答無用で行政が教育に介入しようというもの。まさしく教育基本法のいう「不当な支配」そのものです。教育に携わる者が権力に支配されてはならない。権力をもつ者が直接的に教育を支配することの危険性は、歴史からいやというほど学んだではありませんか」

「正しいことでも間達った内容でも、権力が教育に介入することは絶対に避けなければならないことです。まして、10・23通達のように、独断にもとづき、話し合いすら否定するものは、現代の社会においては認めてはなりません」

また、石原慎太郎やその承継者をもって任じた猪瀬直樹の罪の深さに触れつつ、こんな陳述もなされた。

「新しい都知事を迎えて、教育委員会は今までどおりの教育行政を惰性的に継続するのでしょうか。人事委員会は私たちへの処分をこのまま認めるのでしょうか。誤りを糺すよい機会ではありませんか」

舛添要一新都知事についての教育現場からの評価は、まだ定まっていない。少なくも、石原のような極右ではなさそうだ。教育の自由や、教育行政の謙抑性や、公権力がイデオロギーを持ってはならない、という常識くらいは弁えていよう。教員の思想・良心の自由についても、石原・安倍よりは、ずっとマシではないか。もしかしたら、「ブラック官庁・都教委」の変身のチャンスなのかも知れない。



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