[CML 029745] 続・立憲主義を「ひらがなで語る」こと 澤藤統一郎の憲法日記

Yabuta Tohru ynntx at ybb.ne.jp
2014年 2月 18日 (火) 19:32:32 JST


藪田です

私は、「世界憲法集 (岩波文庫)  」を持ち歩いている。日本国憲法が掲載されているので、条文を見直すのに便利なのと、日本を含めフランス憲法の他、ドイツ、スイス、ロシアの改正を反映。アメリカ、カナダ、韓国、中国、日本を含む全九カ国の憲法が、載っているので便利だ。

憲法といっても、実にいろいろな形式があるものだと感じるし、多角的な視野で、憲法の根源的な理念というもの感じる。上記の9カ国に欠けている重要な国はどこか?英国です。英国には、明文かされた憲法というものはない。実は法律の集合体というものを、憲法としている。などという知識も書いてある。

為政者が、好き勝手にやってはいけない。為政者の手を縛るものが、憲法であり、集団的自衛権などを憲法解釈できないことを、安倍晋三首相は知らないようだが、無免許の人物が、日本丸を操縦しているようなものだ。

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http://article9.jp/wordpress/?p=2104

澤藤統一郎の憲法日記

続・立憲主義を「ひらがなで語る」こと   (2014年2月17日)

昨日(2月16日)のブログは、自分でも手抜きだと思った。いろんな事情があったのだが、言い訳にはならない。さっそく、親しい知人から叱責をいただいた。

「当初一見かみ合わないように見えた、三氏の問題提起が、会場からの質問と意見を受けながら、どのようにかみ合っていったのか。また、立憲主義を『ひらがなで語る』とどうなるのか。続きを期待する」

手厳しい指摘だが、こんなに丁寧に拙文を読んでくれる読者のいることがブログを書き続けることの冥利。立憲主義を「ひらがなで語る」ことの続編だけでもきちんと書いておかなければならない。

梓澤和幸君流の「ひらがなで語った」立憲主義は、大要次のとおり。
「全速力で走り続けている機関車がある。下りの急勾配に差しかかったが、スピードは落ちない。このままでは危ない。このとき、権力という機関車の暴走へのブレーキが憲法。機関車に、あらかじめ国民の意思によるブレーキを組み込んでおくことが立憲主義だ」「用語はどうでもよい。権力の暴走を許さず、あらかじめの国民の命令として、ブレーキをかけられる仕組みが整っていることがたいせつなのだ」

なるほど、おもしろい。それなりによく分かる。しかし、まだ腹にストンと落ちるところまではいかない。名人芸の域に達しているとは言いがたい。

よく引き合いに出されるのは、ギリシア神話に登場する海の妖精セイレーンとオデュッセウスの話。セイレーンは岩礁から美しい歌声で船人を惑わし、歌声に魅惑された船人は舵を誤って難破し命を落とす。ホメーロスに詠われた『オデュッセイア』では、トロイ戦争から帰路のオデュッセウスが、船員には蝋で耳栓をさせ、自身を帆柱に縛り付け、「自分かセイレーンの歌の魅力に負けて縄を解くように命じても従ってはならない。より一層強く締め上げるよう」部下に命令する。部下はこの命令を忠実に実行して、一行は難を逃れる。サイレーンの歌声の誘惑に自らが負けてしまうことを知っているオデュッセウスの知恵として説かれる。

名古屋大学教授・愛敬浩二さんは、この説話を引いて、自らの「意志の弱さという問題を抱える合理的主体が自らの自立性を損なうことなく、継続的な合理性を獲得するテクニック」と解説する。これこそ立憲主義の神髄というわけだ。

主権者オデュッセウスは、「自分がセイレーンの歌の魅力に負けて縄を解くように命令した場合は、より一層強く締め上げるよう」憲法を制定する。いざ、オデュッセウスの気が変わって、「この馬鹿者ども。私の命令が聞けないのか。この縄をほどけ」と叫んでも、縄を解くことは違憲の行為として許されない。セイレーンと遭遇する以前のオデュッセウスの最初の命令が高次なもので、その後現実にセイレーンと遭遇してからの命令はそれに劣るものとして従ってはならない。最初の命令が憲法の制定で、次の命令は憲法に違反するものとして効果を否定される。これが立憲主義。

「民主国家において、主権者であるはずの人民の政治的な決定権が憲法によって制限されているのも、そうして制限を課された政治権力の方が、長期的に見れば、理性的な範囲内での権力の行使をおこなうことができ、無制限な権力よりも強力な政治権力でありうる」から、などとも説明される(東大教授・長谷部恭男さん)。

「開戦が主権者国民の意思だから戦争を始める。半世紀も前の国民の意思に縛られる必要はない」という意見を憲法は許さないのだ。これが立憲主義。自らの弱さや変節の可能性をよく知る主権者が、自らを帆柱に縛り付けた縄、それが憲法、そして予めそのような制約を自らに課しておこうという考え方が、立憲主義だということ。これもなかなかの説明だが、まだ十分には納得しがたい。

「おまえはどうだ。自分のひらがな言葉で語ってみよ」と言われても、実はできない。しばらくは、漢字の「近代立憲主義」と、横文字の「constitutionalism」で語るしか能がない。立憲主義を説明するには、人権の至高性、憲法制定権力と権力授権の関係、そして憲法の権力に対する制限規範性、さらに主権者が主権者自身をも制約することが語り尽くされなければならない。これを、やさしく、深く、楽しく、愉快に、明るく、展望をもって、そしてひらがなでかたれるようになりたい。
ああ、今日も結局は不十分な内容で終わってしまった。

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