[CML 029576] 東京都知事選の向こう側の景色 ――「オババ」断章:オババは、ほんとうに消えてしまったようだ。なによりの証拠に「におい」がすっかりなくなってしまったらしい。(辺見庸「日録」2013/08/09~2014/02/10)

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2014年 2月 11日 (火) 22:13:00 JST


【序章もしくは終章】(「日録6」2014/02/10)
いったい、個人がどのように生きることが、せめても、せめてもだ、内心の自由に合致するというのか。陸橋の下でぷかぷかと
タバコをふかし、暑い日も寒い日もなんとか暮らしていたオババは、ほんとうに消えてしまったようだ。友人がしらべてくれた。
もう死んでしまったのではないかという。なによりの証拠に「におい」がすっかりなくなってしまったらしい。もよりの交番にきいた
ら「そういうことには答えられません。すみません」と言われたという。たぶんオババは消された。清掃されたのだ。(略)昨日、
大道寺さんから手紙がとどいた。
http://yo-hemmi.net/article/387698228.html

【2013/08/09】
東京の病院にいく。眠剤、精神安定剤、血圧降下剤2種、抗血栓剤もらう。例によって、9年間、例のごとし。これもいわゆるフ
ツウだ。医者はいちおうヒトの顔をしているけれども、じつは脳に問題のあるまだ若いヤギが眼鏡をかけて白衣を着ているに
すぎない。それはきょうびもはや病気とも言えない、あまりにフツウの障害であり、症状は〈すべての痛みへの無感動〉〈政治、
社会状況、とりわけ患者の内面や固有の脳血管障害への無関心〉〈前記のことがらへの不干渉〉〈同無提案〉〈同不介入〉〈心
にもない微笑〉〈曖昧な微苦笑〉〈言辞、動作、気配全般における無気力〉〈あらゆる局面における完璧な非暴力〉・・・などをもっ
て特徴とするらしい。まったくフツウである。ただし、あのヤギがだれも見ていないところでなにをしているかは、わかったもの
ではない。自動料金払い機で薬代を見たら、2か月分で1万3千円ほどだった。ギョッとする。払えないひとだって少なからずい
るだろう。払えないひとびとは降圧剤も抗血栓剤ものまず、「自己責任」で脳溢血を再発し、自己責任でヨイヨイになり、自己責
任でのたれ死ぬほかない。

この病院にほどちかい歩道橋のたもとに老婆のホームレスがいるのを以前、見たことがある。ほんとうは老婆ではないのかも
しれないが。いつも汚れたふとんを敷いて横向きに寝ていた。枕元にお茶の紙パックを置いていた。少し離れてとおるだけで
すごいにおいだった。あんなに小さなからだからはげしい悪臭をはなっていた。存在の芯が黙って叫んでいたのだ。タスケテ、
タスケテ、タスケテ! 何百人、何千人が、ろくに彼女を見もせずに、ただ息をつめてとおりすぎたことか。すぐそばに病院があ
るというのに、だれかが飛びだしてきて助けようとしたか。人間ほどすさまじくにおう生き物はない。ホームレスの体臭ではない。
通行人の腐れた心が鼻も曲がるほど臭いのだ。いま、気温34度。彼女はどうしているだろう。もう死んだろうか。灼熱の路上
でまだきれぎれの夢を見ているのだろうか。いや、こときれただろう。ここは満目の廃墟だ。ruin・・・砂漠ですらない。時々刻々、
ひとがむきだされていく。化けの皮がはがされていく。人生の中身も、ひとがらも、こころざしも、理想も、そんなもの、なんの
かんけいもございません。支払い能力がすべて。ひととはすなわち、支払い能力のことです。こまめに水分を補給し、エアコン
をてきせつに使用して、夏を快適におすごしください。ただし、電気代を払えなかったら、自己責任で直腸内温度39度になって
死んでもらいます。

そのような死も、もうひとつのシステマティックな死刑執行である。内閣法制局長官の超弩級デタラメ人事に怒ることができる
(いかにも怒ったふりをしてみせる)のは、しごくまっとうであり、かつ、まっとうそうではあるものの、炎熱のこの廃墟にあっては、
なにか高級で贅沢な仕儀のようにさえ見えてくる。じかの路面に、老いて病んだひとの横たわる、その低く熱く臭くむきだされた
地平からかすむ風景を見あげるならば、ほとんどすべてのことがらに殺意をおぼえるほかはない。こうなったらしかたがない、
せめては睨めることだ。わたしにだってひとを睨めつける意思くらいはまだある。睨めてうごかざる殺意。はたと睨めて世界を
刺しつらぬく、目のなかの青い刃。それをふりまわすくらいの殺意がないとはいえない。 


けふは駅についてからアパートに直行はせず、エベレスト*にのぼった。いつかはかならず斃れるだろう。しかし、いま斃れるわ
けにはいかないのだ。だからエベレストにのぼる。麓の芙蓉の花が閉じて結ぼれていた。若い、顔の大きな男に後ろからいき
なり声をかけられた。「熱いね。死ぬね」。男がとおりこし、ふりむいた。心底うれしそうに笑っている。「みんな死んじゃうね・・・」。
気持ちがほどけ、わたしも痴れた顔で笑いかえした。

      *引用者注:辺見の「日録」の2013年7月16日付けに「アパートから200メートルも離れていないカフェまでよろよろ歩き、
      コーヒーを飲んで、またよろよろ帰ってくる(略)。帰途、「エベレスト」にのぼるのを忘れない。ハナミズキのある角の
      広場の土盛りは高さ1メートルもないのだけれど、わたしにとっては断崖絶壁なので、エベレストと名づけた」とありま            
      す。

【2013/08/09記事関連】(2013/08/08)
この炎熱!きょうも貧しくてからだの弱いひとびとから順番に、ポッポッと命の火種を消していくことだろう。3年前の夏にも、た
くさんの貧しいひとびとが亡くなった。そのとき「ツユクサの想い出」というエッセイを書いた。じぶんで書きながら、石を呑んだ
ような衝撃を受けたのでまだ憶えている。いま反芻し、ふたたび予感している。3年前の夏、76歳の老人が熱中症で死んだと
いう“よくあるできごと”について調べていておどろいた。なににおどろいたかというと、「フツウ」にであった。あるいはどこにで
もよくあるだろう日常というものの、そのじつ、 尋常ではない惛がりと灼熱と孤独に、絶句した。老人には月額7万円ほどの年
金があった。妻をなくし、腰痛ではたらけない息子と家賃5万5千円のアパートでくらしていた。不幸ではあるが、この不幸せは
きわめて例外的とまでは言えない。大別するならば、極貧にちかいけれども、他にもあるフツウの貧しさだろう。老人は役所
に生活保護を申請し、あっさり断られた。これもよくあるケース。生一本の老人は節約のため、みずから電気、ガス停止の手
つづきをした。したがって、エアコンがあっても冷房はできない。電球があっても真っ暗。懐中電灯とカセット・コンロだけの穴
居生活みたいなくらしが、死ぬまで10年ほどつづいた。2013年8月8日のいま現在も、そのようなひとびとが暑熱のなかで息も
たえだえになっているだろう。「てきせつにエアコンを使用してください」といわれても、そうできないひとびとがいくらでもいる。

あの76歳の老人は、死後1時間以上が経過していたのに、検死時、直腸内の温度が39度もあったという。わたしは書いた。
「この死はとうてい尋常ではない。まったく同時に、この死には私たちの居場所と地つづきのツユクサのようなふつうさが見え
る。異様とふつうが、ほの暗い同一空間にふたつながら平然となりたっている。それが怖い。たぶんこの国の日常とはそうい
うものだ。ふつうが反転して、ある日とつぜん悪鬼の顔になる」(『水の透視画法』)。あれから3年。大震災、原発炉心溶融、
政権交代・・・。どうだろう、悪鬼の顔は、いまはっきりと見えているだろうか。貧しい者はフツウによりいちだんと貧しくなり、い
っときあれほど反省された原発がフツウに再稼働に道筋をつけ、極右政権の夜郎自大はますますフツウにとどまるところが
ない。すべてをフツウに見せているなにか。とてつもない異常を、ごくフツウと見てしまう目、目、目・・・。わたしはけふもエベレ
ストにのぼった。ツユクサが3年前とおなじく花びらを閉じて合掌していた。わるい予感がする。

【2013/08/10】
連絡があった。〈オババは生きています! 昨日、歩道橋ちかくの分離帯にノースリーブの臙脂のワンピース姿でたって、走り
すぎる車を見ながら、エヘラエヘラ笑っていました。そう見えました。歩道橋のたもとでしゃがんだとき、生白いお尻が見えまし
た。布団はたたんでありました。離れていても臭かったです。オババは昨日現在、生きていました!〉。うれしい。よかった。し
ぶとくなくてはやっていけない。いま、気温37度。生きるか死ぬかだ。ここは戦場と大差ない廃墟だ。爆煙、地響き、硝煙、瓦
礫。黒く乾いた血だまり。オババはこのたび、そこをたまたま訪なうこととなった存在論的他者である。廃墟の穢れを浄めに
きた異人かもしれぬ。オババに寄進せよ。オババに涼しき場所をあたえよ。このさい禁中におつれせよ。首相官邸でもよい。
ゆっくりと湯浴みしていただけ。首相らは跪いてオババに無礼の段につき深く詫びよ。みずからの三百代言につき謝罪せよ。
オババのお背中をお流ししてさしあげろ。そうしてあくまでも恭しく問え。じぶんの罪の深さを。この世界戦争の行方を。

さて、わたしは先月「永遠の世界戦争がはじまっている」と書いた。まだそうおもっている。夜になると、ときたま酔っぱらって
メールしてくる同年配の友人も昨夜、期せずして言ってきた。「ただいま世界大戦争中!」。そのとおりである。わたしたちは
目下、世界大戦争の渦中にある。逃げるか、戦うか、のたれ死ぬか、だ。歴史の錆びた蝶番がいま、きしりながらついにうご
きつつある。戸がひらきつつある。ほら、そこに水羊羹のような夜(よ)のほどろが零れて見えるだろう。ほどろの色とはいえ、
暮れるとも明けるともいっこうにわからない、なんとしても名状のあたわない、それが無明の未来だ。無明の未来はすぐそこ
までちかづいてきている。すでにきたという説もある。オババはその讖をしめしにきたのだ。

無明の未来には、ひとびとが残り最後の市民権をも剥奪されるだろう。それは言われることを一言も信じないという権利であ
る(ボードリヤール)。残り最後の、ひとたる、ひとであるがゆえの権利ーー〈なにも信じない〉という権利がうばいとられる。だ
れによって、なにによってうばいとられるのか。犬は人間によって再構成された動物である。それではひとは? ひとは神なら
ぬ資本によって、骨の髄まで再構成された生き物であり、資本こそが、なにごとも信じない権利=最後の人権を静かに簒奪
する。一説にすでにそれは剥奪された。だから、なにかを信じるともなく信じている。そうともつゆおもわずに、ひとはこの熱
波を生きる。この熱波に死ぬ。オババは死を賭して言いにきたのだ。永遠の世界戦争について。最後の人権の剥奪につい
て。

【2014/02/07】
オババの姿が見えないという。陸橋のたもとにあった所持品もすべて消えているらしい。オババは避寒のため移動しただけ
か、ほんとうに消えたのか。
http://yo-hemmi.net/article/386189873.html

【2014/02/10】
いったい、個人がどのように生きることが、せめても、せめてもだ、内心の自由に合致するというのか。陸橋の下でぷかぷか
とタバコをふかし、暑い日も寒い日もなんとか暮らしていたオババは、ほんとうに消えてしまったようだ。友人がしらべてくれた。
もう死んでしまったのではないかという。なによりの証拠に「におい」がすっかりなくなってしまったらしい。もよりの交番にきい
たら「そういうことには答えられません。すみません」と言われたという。たぶんオババは消された。清掃されたのだ。(略)昨
日、大道寺さんから手紙がとどいた。
http://yo-hemmi.net/article/387698228.html

                                  *以上、辺見庸ブログからの引用。見出しと太字、改行は引用者。


東本高志@大分
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